Archive for 26 March 2009

26 March

「放」



 最近、私の著書『YES』を読んでくださった方々から感想を添えたメッセージをいただいた。それぞれとても素敵なお言葉を私に寄せてくださり、恐縮してしまう。
 私が描いたことは、勿論、私の心に浮かんだことだが、それを鑑賞してくださった人の心に浮かぶイメージは、その人のものとなって映し出されるのである。
 それが、光栄なのだ、私には。
 私が放った言葉が、誰かに届いた時、その表現は、もはや、私のものでは無くなり、その方のものとなる。
 理解とは、実は実態の無いものかもしれない。
 これは、真実とは、異なるからである。
 真実とは、如何にも<ひとつ>として人間に訴えることがある・・・例えば、法廷の現場のような場面がそれであり、そこでは真実とは、ただ<ひとつ>の確信である必要がある。が、理解とは、<ひとつ>である必要はなく、幾つもの枝のように、外に向けて広がり、自由なもの・・・そう、理解とは、単数でなく、開放の証(開かし)。
 そして、私、いただいたメッセージには、必ずお返事いたしますね。

 ところで、「放」という可笑しなタイトルの今宵。
 ええ、「放」が使われる言葉はたくさんあるが、「放」とは広辞苑をザッと覗いただけでも・・・追放、放擲、放射、解放、放免、放置、放棄、奔放、放浪、追いのけること、はなすこと、ときはなすこと、かまわずにおくこと、ほしいままにすること・・・・色々。
 だが、この「放」という言葉、春に良く似合う言葉のように、今年は思える。
 私がよく使う「放」は、開放、や、解放であり、また私という者は、放蕩の族でもある。
 そうして私は、「放つ」者でも、あるかもしれない。

 そこで、「放」という文字に私が感じる印象は、淡く滲む緑色・・・それは、若草色と言いたい色なのである。
 私に<共感覚>のようなものがあるかどうか解らないが、私は文字や数字、記号などを見た時、それに感じる<色>がある、これは子供の頃からのことだった。
 かつてピアノを習い始めた幼い頃、「ド=Do」は赤、レは黄色、ミは緑・・・等と、7つの音に色を使う遣り方(色音符)があったものだが、私にはあまり通じなかった。私は独自にドレミファ・・・をイメージしていた、それは、数字も同様だった。やがて音楽大学に進む頃からは、ドレミファ・・・読みよりも、ドイツ音名で「C=ツェー・D=デー・E=エー・・・・」と呼ぶようになる頃には、私は音そのものや、コードを色で感じるようもなる。余談だが、ロック好きの私は、キーのGなどはブルー(しかしあっぱれな青)、Aは赤(Aマイナーは異なるわ、Aのメジャー、しかも、7thはまた違う)、Dは淡い橙、Cmは群青、C#mなんて・・・クリスタル・・・E♭は紫色。
 そこで、「放」に戻るが、この文字が私に与える色のおかげで、私はこの文字を周期の最後、或いは、始まりに向かう色として印象づけているらしい。
 音名でいえば、「B=シ」が、それに似ている。B♭は、若草色では無い・・・これは、茶の混じった薄緑・・・しかし「B」は、「放」と同じイメージの若草の色なのである、私にとって。

 だから、「放」と、音「B」は、やや曖昧な今日この頃の春を思わせる。
「B♭」は、そこに土の匂いをさせる、「B」よりやや植物よりも大地に近い響き。そして、「B#」というものはご存知のように存在せず、それは「C=Do=ド」であり、ドレミファ的考察で言えば振り出しの音。
 季節はあたかも春から始まるように出来ているが、音階は、必ずしも「C=Do」で始まると考える必要はないものである。
 が、観念として、春を待つ人間の感性というものを察すれば、春とは、私にとって、解き放つ季節なのだろう。
 解き放つことから始まり、如何にも、如何にも、振り出しに戻る印象に、持っていく。

 ・・・「C調=しーちょう」という言い方があるが、これは私等、かつて音楽大学時代、「C」というコード(和音)は単純、という理解のもとに友人とふざけて使った言葉だった。が、この「C調」、一般的には無責任とか、調子がいい、という意味でとらえられている。

 春は単純に行こう。
 そして、3月末を迎える今日この頃、私は、今まで私に取り憑いていた曖昧なものを放つようにして、生きている。
 追放ではない、ただ、放つのだ。
 小さなモノは、放ってやろう・・・私は今まで誠実であり、親愛を込めてきた、もう、十分だろう・・・放ってやれば、曖昧なそれは、自らの空にただ好ましく生きることだろう。

 開放・・・私は広げること、できた・・・だろう・・・少し、漸く。

 新らしく私を魅せるものがある。
 それは、巨木のごとく柔和な表情を見せながらも、春風とともに大きく揺らぎ、広げた枝を鞭のごとく振りかざしながら、煽動する魔法使いのごとき存在である。

「B=シ」は「C=ド」から数えること、7番目の音。
 その「7」は、やはり私には、若草色の印象がある。


 そういえば、映画『男と女』の中で、レーサーである男はこのようなことを、女に言うわ・・・
「レーサーは"7"という数字を嫌う、レーサーにとって、"7"は、縁起の悪い数字」・・・と。

 私にとって、「7」は決して悪い数字ではない、「3」につづいて身近な数字。

 そして、その科白を言う<男>の演技が、私は好きだ。

 嘘か本当か解らないこと。
 真実である必要は、無い。
 が、理解できるイメージ。
 理解できる、暗示とジンクス、そして生き方。

 昨日は何だか疲れていたが、今宵はお酒が美味しい。
 よく呑めているので、この辺で。


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