Archive for October 2005

29 October

楽しみと日々。


 朝8時、今日から九州方面にツアーのルパンを駅まで車で送る。そのまま、洗濯機に突撃。普通に洗うもの、ドライ・マークのもの(白系黒系合わせて2種)、そして愛猫ロンドンのための敷物etc・・・。合計4回洗濯機を回す私。ほんと、寝不足なの。回るのは、洗濯機では無くて、私の目・・・。
 朝食はタマゴ・サンド。3切れ齧っただけ。だからもう、お昼前にはお腹が空く。「今日は、どうしても、ハンバーグが食べたい!」こう思うと、もはやハンバーグのことしか頭に無い。買い物、牛ひき肉、この肉屋の手作りピザも購入。野菜も買い、お酒も、それからドラッグ・ストアーに寄って、終了。お昼ご飯は、午後2時。PC開ければ、あら?日射しがだんだん弱くなるではありませんか・・・。乾いた洗濯物からどんどんたたんで、そうしたら、ピアノが目に入って、「そういえば私、この間突指してたっけ。何時したのかしら?朝起きたら、指が腫れていた。ってことは、寝てる間に指を突いていた・・・?そろそろピアノ、弾けるかしら?」気が散る私。ピアノの前にしばし腰を降ろし、何やらザーッと指ならし。「ああ、もう大丈夫」と安心すれば、「ああ、そうだ!ロンドンが帰らないうちに、夕食の仕込みをしてしまおう」と、玉葱刻み、ハンバーグをこねる。サラダの準備、お味噌汁は、何にしよう?ひとりご飯なのに、今日はやけに頑張ってるじゃない?あっ、そうね、単にお腹が空いて仕方が無いのね・・・。まあ、もう、夕方。本当に洗濯物、入れなきゃ!明日はまた、お天気悪いもの・・・嫌ね。
 ibookは、その間、しょっちゅう、お昼寝してました。

 夕食がひとりだと、つまらない。BSの映画、アラン・ドロンとイヴ・モンタン主演の『仁義』など観ている。フランスの暗黒街を描いた'70年の映画。ドロンが最もクールな頃。「ああ、私、生まれかわるなら、フランスの暗黒街の一匹狼がいい・・・」と、もうボイルドぎみになっている。この暗黒街物にドロンが着るトレンチ・コートの色はたいてい決まっている。グレーがかった薄手な物。曇り空のフランスの平原を走る一台の車。雨が似合う、うら寂しい道。物凄く腕が立つ、非情な男、丸腰でも、チャンスを作るような男。「そう、ボギーかドロンよ!ボギーは髭が無かったけど、ドロンは髭がわざとらしくていい。私にも、髭が欲しい・・・」そう考えて、自分の顔に髭がある様子を描いてみたら、夢はすっ飛んだ。「ああ、無常・・・馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
 しかし・・・アラン・ドロンの顔を見ると、ロビー・ロバートソンを思い出す私。「ビッグ・ピンクのジャケットに、髭、あったわね、ロビー。しかも、彼はジプシーの血を受けているという。そういえば、ドロンもジプシーの役を演じていたっけ。こういう顔って、ジプシー顔なのね」と、食器を片付けながら思う私。
 コーヒーを濃く入れ、再び映画を観ていると、「ああ、この映画、ずっと昔に観た事あるのね」。しばし、心に余裕が出来る。すると・・・
 アラン・ドロンの映画で一番好きなのは、『冒険者たち』。これは、本当に好きな映画。ドロンは曲芸飛行士、リノ・バンチュラはモーター狂いの技術者。彼らが偶然出逢う、鉄のオブジェを創作する芸術家志願の若い娘。娘は華々しくパリで展覧会を開くがマスコミに酷評される。失望した彼女を励ましながら、3人は賞金稼ぎとして海底の宝探しの旅に出る。一見、ドロンと彼女が結びつきそうな気配があるのだが、彼女が愛したのは、バンチュラの方。彼女は彼に自分の夢を語る。「海に浮かぶ要塞を手に入れたいの。そして私はそこでずっと暮らすの・・・」が、彼女は舟の中で不幸な死を遂げる。海に彼女の遺体を放つドロンとバンチュラ。さて、結末は秘密に。
 ・・・そんなことを考えていたら、うとうとして・・・気がついたら、『仁義』の男たちは皆警察に撃ち殺されているではないか!
 もう、終り・・・。

 『楽しみと日々』とは、マルセル・プルーストの若き頃の散文的小説文のタイトルである。私はもう、15年くらい、この本を度々愛読している。
 あまりに美しいので、一部紹介・・・

 <一人一人がものを考え、愛し、活動している。本当に生気に溢れた一家にとって、庭を持つことほど楽しいことはない。春、夏、秋の夕暮れ時、皆は一日の努めを終え、そこに集まる。その庭がどんなに小さく、また垣根は目と鼻の先ほどのものであっても、それは各人が語りもせず、夢見ながら眼をあげる、あの大空の一片を見させないほどに高いものではない。子供は未来の計画や、永久に別れることもない親しき友と暮らす家を、大地と人生の未だ知らざる世界を夢にみる。青年は、己の愛する女(ひと)の神秘な魅力を夢見、そして年若い母親は幼子の未来を夢にみる。昔、仕合わせをかき乱された人妻は、この澄みきった時刻(とき)の奥深く、夫の冷静そのものの上面(うわべ)の蔭に痛ましい悔恨の姿を見い出して思わず憐れみの気持ちを寄せる。屋根の上を昇っていく煙をじっと見守る父親は、遥か彼方、夕暮れの光に夢もうつつの過ぎ去った日々の物静かな情景の数々をいつまでも思い浮かべている。そしてまた、間近い自分の死のこと、自分の死後の子供たちの生活のことを考える。このように、全家族の魂が、敬虔な気持ちも厚く、夕陽めざして昇ってゆく時、大きな菩提樹やマロニエや樅の木は、このような家族の上に、えもいわれぬその香りと尊い影の祝福を繰り広げてくれる・・・>
                 『音楽をきく家族』より

 ここいらで、私は完全に、『寅さん』になっていた・・・。

 私、午後9時過ぎからほんの少し仮眠したけれど、昨日からどれだけ目覚めているのかしらん?

 そうそう、私のパパは、こう言った。
「生きていること、は、起きていること、だと僕は思って若い時代を過ごした」と。

 ああ、だけど、もう若くは無い、私。そろそろ寝ないと・・・。

 ところでロンドン君、今夜、私のサラダのドレッシングをなめたでしょう!
「うっ、酸っぱい、これ、不味いね!」と、テーブルから降りたところ、しっかりチェックしたわよ!

 『楽しみと日々』・・・ううん、私は『楽しい日々』か?

 今日のハンバーグ、ブランデー抜き。ちょっとナツメグ多過ぎましたが、美味でした。

 さすがに少し、アンニュイ・・・。
 きっと、今宵は快眠、明日の目覚めは(例え曇り空でも)、いい気分なのでしょう!

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28 October

薔薇と音楽会。


 14年ほど前、私は或る小学校で音楽を教えていた。このことは、確か5月頃の日記にエピソードとして書いたことがある。或る伝があって、この仕事をすることになったのだ。私は3年生から6年生までを教えていた。が、実際、私が取得している教員免許は、中学・高校1級で、小学校の免許では無い。しかし、よくあることで、大は小を兼ねる的な意味で、中高を持っているなら小学校は当然とされているのが、技術系の学部を卒業した者に与えられた(寛大な?)特権。まるで、運転免許と一緒である。普通自動車の資格のある者は、原付も可、というような・・・。だが、生徒と名付けられるべき若者を教えるより、児童と称される子供たちを教える方が、ずっと大変である。技術も、初心者を教えることは難しい。教育という現場で、大は小を兼ねる、は、ナンセンスである。
 この学校では、5年生が音楽会に参加することになっていた。その時期が、丁度今頃だった。合唱と器楽のふたつを披露するのだが、この音楽会のための練習が9月の半ば頃から始まったのを記憶している。5年生は3クラス。それぞれのクラスは、キャラクターも違う。授業運びがやりやすいクラスもあれば、賑やかで落ち着きの無いクラス、そして、全体が大人しくて反応に困るクラス。今、思うと、担任の教師の性格なども手伝っていたようだ。そして、どうしても最も印象に残ってしまうのは、一番てこずったクラスだ。
 私が赴任する前の音楽教師は、どうやらそうとうズボラだったと見えて、音楽室もさる事ながら、隣室の教官室など、不衛生の極みだった。なので、学校にご挨拶に行った翌日、私はこのふたつの部屋を掃除することから始めた。『マイ・雑巾』を持って、丸一日清掃した。引っ越しと同じである。これを見たこの学校の教師たちは、たちまち私を責任感のある仕事熱心な女、と見なしてくれた。有難いことではあるが、埃の積った環境で働くのが嫌だっただけである。が、これでひとつ世間の目というものを学習したことは確かである。こうなってくると、熱血教師でも演じてみようか、と柄にも無いことを夢想する。さっそうと廊下を歩き、出来るだけはやく子供達の名前も覚える。例え小学校の音楽のテキストのピアノ伴奏でも、抜かり無く弾く。それから、とにかく、彼らと話す・・・。まず、授業始めの『導入』の部分では、思いっきり脱線する(これはお得意である)。子供達を和ませ、親近感を持つことが出来れば、こっちのもの。生意気な子は、「先生って、音楽の先生でしょ?何で、他のこと話すの?」と尋ねるが、そんなことはお構い無し。やがて彼らは思った通り、私のこの『脱線』が楽しくなる。特に、私の子供時代の失敗談など話してあげると、「何だ!先生にも、そんなことがあるんだ〜!」と笑う。
 一番てこずったクラスが、実は一番可愛かった。依怙贔屓ではないが、本当にそんな気になる。このクラスには、ディヴィッドと過去の日記に称した美しい身体の弱い少年がいた。そして、男の子のような少女もいた。ディヴィッドは、まるで恋人のように私に語りかけた。そう、私の夫のこと、煙草の話・・・「先生の御主人も、煙草を吸う?僕のお父さんは、ラークっていう煙草を吸うの。先生の御主人は、何を吸うの?」「チェリー」「知らない」「ディヴィッドも大きくなったら煙草を吸う?」「ううん、僕は吸わない・・・」音楽会で、大太鼓を担当したディヴィッド。楽曲は『オブラディ・オブラダ』。私はひと学年分の子供達に、ビートルズのオリジナルをカセットに録音してあげた。緊張した顔の彼ら、本番のステージで大きく笑いかけた私。彼らの音楽が、私の棒と合体する。
 その日は、雨だった。「お砂糖を入れた暖かい紅茶を飲むと、いい声が出るのよ」と、暗示をかければ、全員がポットに紅茶を入れて会場に現われた。

 教えられたのは、彼らでは無く、私の方だった。
 それも、もうずっと前のこと。

 デイヴィッドは、薔薇色の頬の少年だった。ああ、そう、『フローラ逍遥』とあの5月の日記を題したのをたった今、思い出した!我が家の庭に、薔薇が咲き始めた頃・・・。
 そうして今、再び我が家の薔薇は、秋の花を咲かせている。5月の花より。ずっと小ぶりだが、小さな蕾をふくらませ、お日様が顔を出すのを見計らって、パッと開く。

 小さな恋人、ディヴイッド。どこか、スティーヴ・ウィンウッドに似ていた少年。

 あの、薔薇色の少年も、今は、立派な大人。彼はやはり、煙草など吸っていないのかしら?
 男の子みたいな女の子は、お別れの時、私にジルコニアの指輪をプレゼントしてくれた・・・ほとんどの女の子は、クッキーや手作りの小さな縫いぐるみなのに・・・。それからお蕎麦やの息子さんは、デザイナー・ブランドのハンカチーフだった。男子とは、野球を、女子とは放課後の音楽室で、内緒話・・・。

 今宵は霧が出ている。
 私の中の想い出も、霧に包まれたか?
 いや、あの彼らの歌声と、『オブラディ・オブラダ』は、ある少年の一言と共に、私の耳に残っている。
「先生、僕たちの事、忘れないでください・・・」

 しかし、彼らこそ、私の事を、もはや忘れてしまっているだろう。

 冷たい秋の雨の中、可愛い子供達と燃焼した音楽の記憶。

 再現されることは無い、或る音楽会の一日。

 明日は晴れるらしい。
 秋の薔薇は、小さな顔を輝かせることだろう。

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26 October

恵比寿にて。


 ハロウィーンを来週に迎える昨夜、四季おりおりの魔女たちが集まることに。
 酒場カドヤは、景気が良い。やはり恵比寿様の御加護があるのだろう。

 最初に現われたのは、『夏の魔女』と『秋の魔女』。
 『夏の魔女』は、おおらかな歌声で人々を楽しませていた。そんな大仕事をひとつ片付けて、旅の想い出やそこで見た刺激的な物語を語ってくれた。
 『秋の魔女』は、収穫した恵を嬉しそうに語るが、「でも、実のところ、近頃天候が悪くて仕事が思い通りに運ばない・・・」などと苦笑い。この魔女、どうやら季節の特徴も手伝って、ややメランコリーらしい。

 その間に、『冬の魔女』から風の便りが届く。

 やがて現われたのは、『春の魔女』。この魔女が一番歳若い。しかもこの魔女、バッカスの申し子である。来春に蒔くはずの種を集めて奔走していたのか、「近頃疲れているの」。しかしその割には元気である。

 再び、『冬の魔女』から、風の便り。

 この『冬の魔女』は、遠く英国あたりを彷徨っているのではないか?彼女の風の便りに乗って聴こえてくる声は、快活で早口だった。そう、そのまま風に乗って、はやく箒を飛ばしておいで!
 が、低気圧と高気圧に阻まれて、中々現れない。
 恐らく彼女、冬の準備に負われているのだろう。

 店のオーダーも最終になる頃、3人の魔女はそれぞれの棲み家に戻っていった。
 『夏の魔女』は地下鉄に乗り、『春』と『秋』はJRで。『春』と『秋』は駅のホームで抱き合った。『春』の電車が先に来た。手を大きく振る、『春』。『秋』は、その若い力にキス!『春の魔女』の香水の匂いが、『秋の魔女』の髪に絡み付いて離れない。

 さて、私こと『秋の魔女』は国分寺の駅からタクシーに乗る。月曜日、それほど待つこともなく、幸運だ。しかし、運転手さんにとってはあまり幸運では無い、月曜日の深夜。
 この運転手さんと、お話などしている『秋の魔女』。
「線路沿いの道でお願いします」と『秋』。
「はい、今日はこの先で大きな事故があったんですよ。トラックと乗用車がぶつかって、乗用車はトラックの上に乗り上げてしまって。ひどい事故でした」
「あら、このあたりは危険ですよね。自転車も人も多いし・・・(だけど、その事故は、私の悪ふざけではありませんよ、人間が浅はかだから、こういうことになるんだもん)」と『秋の魔女』。
 車は『秋』の棲み家に近くなる。
「この近くに○○という店がありませんでしたか?」と運転手さん。
「ああ、お寿司屋さんですね。とっても美味しいお寿司でした。でも、少し前に御主人が亡くなって、今は居酒屋さんになってます。奥さんと娘さんが最近やっているらしいですよ」と魔女。
「ああ、そうですか。大昔は寿司屋ではなく、割烹をやってたんです、あの店は。いい腕の主人でした。もう、25年前ですが、私もこの仕事をする前は、居酒屋をやっていたんです。それでそこの主人とは顔馴染みで、よくお互い行ったり来たりしていたもんです。もう、25年も昔のことです・・・」と、運転手さん。
「私はここに引っ越してきて、10年目なんです。その時、お祝で初めて出前を頼んだのが、そのお寿司屋さん。御主人が亡くなって、お店が変わって、近所の人も残念がっているようですよ。何しろ、美味しいお寿司でしたから。色々、移り変わって行くんですね・・・」と魔女。
「ええ、色々、変わっていきますね・・・」と、運転手さん。
「ここで結構です。領収書、いただけますか?」
 車を止めても、しばし話の続きをしていた運転手さんと魔女であった。
「どうか、お気をつけて!」と魔女。
「ありがとうございます。また、御縁があれば」と、運転手さん。

 色々あった人生の一幕を、見ず知らずの私に優しく語ってくれた運転手さん。
 私は遊んで帰ってきた。
 だけど、この運転手さんは、夜の闇にすーっと消え、これから朝まで仕事をするのだ。
 私の前から、見えなくなった、あの運転手さん。
 どうか、皆に優しい運転手さんでいらっしゃってください。
 そうして、決して、事故など起こさないでください・・・。

 私は昨晩、『秋の魔女』。
 だが、もしかしたら、家に戻る頃には、『秋の女神』になっていたかしら?

 しっかり食べて、しっかり呑んで、しっかり笑い、しっかり遊び。
 そうしたら、何だかまた、お腹が空いてしまった私。
 チャルメラ食べて、呑み直し。

 明日から再び関東はお天気が悪くなりそう。だから今日は居間のカーテンを洗濯。そして、キッチンの窓のカーテンも、赤いチェックの模様のものに変えてみる。オーディオ周りの埃もはらい、清潔な空気で夕べを過ごす。

 今頃、他の3人の魔女たちは、どうしているのだろう?

 私はメランコリー。
 でも、悲しい訳では無い。
 どちらかというと、メランコリーな気持ちになろうと、楽しんでいるようだ。

 ハロウィーンは間近、しかし恵比寿講は、もう少し先である今日この頃。

 不景気な世の中、それでも切磋琢磨して過ごす我等に、恵比寿様は微笑んでくれるのかしら?

 私の夢は、私に笑いかけてくれるのかしら?

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24 October

フレンチ・コネクション。


 米国人は、米国が好きだ。
 私は、'60年代から'70年代の米国映画は、案外好きだ。

 私が洋画に興味を持ち始めたのは、12歳の頃。母が洋画を観る事を私にすすめたのがきっかけ。映画館に足を運ぶというより、TVで放送する名画というものたち。もともと幼い頃から海外ドラマを観る癖がついていた。
 そして母が中学生になった私にアピールした最初の映画は、『風と共に去りぬ』だった。これは、「水曜洋画劇場」で。ふき替えだからわかりやすく、何しろヴィヴィアン・リーに憧れてしまった。前半後半で、2週に渡って放送したが、私はこの1週間を待つのがどれほど長く感じられたことか。すると、もう、映画を観ないわけにはいかなくなる。『風と共に・・・』の次に放送されたのは、『わらの犬』だった。ダスティン・ホフマン演じるストイックな数学者の夫とスーザン・ジョージ演じる妻。最後はバイオレンスで不毛な結末を残す。何しろ、サム・ペキンパー監督なのだから仕方が無い。とはいっても、中学1年の私がこサム・ペキンパーをよく知っているはずはないのであって。しかしながら、『風と共に・・・』の後で知った洋画の魅力が、サム・ペキンパーというのも、今思うと、何とも自分らしくて可笑しい。
 ニュー・シネマと俗に呼ばれるアメリカの不毛な時代の映画は、当時('75年)物凄く埃っぽいイメージがあった。『真夜中のカウボーイ』なども、当時深夜に民放が放送していて、私はわざわざ夜更かしして観ていた記憶がある。
 米国がベトナムで負け、強いアメリカというものに不安と疑惑を感じていた時代。それまでは、栄華と自由、スノビズムも粋に、しかも超豪華で幸せな結末・・・などが売りだった米国のシーンが変化していく。かつての美男美女、英雄崇拝が影を潜める。そして、心を打つのは、アウトローの悲哀である。米国が、ずっとずっとひた隠しにしてきたことを遂に堂々と露呈する時がやってきた。
 田舎者の米国人。結局、西洋の歴史に楯突いてみても、空虚な巨大な国。西洋の古さを嘲笑い、栄光を掴んだが、しがない妬み心に過ぎなかったのか?この国に来れば、何でも手に入ると信じた華僑、マイノリティーの誇りに疲れた西洋人の歴史・・・彼らはあのベトナムに何を感じ、どう努めたのだろう?

 さて、やっと映画『フレンチ・コネクション』。ジ−ン・ハックマン演じる『ポパイ』はN.Yの麻薬課の荒っぽい刑事。そして相棒は、ロイ.シャイダー。フランスの麻薬取り引きの組織と対決するのだが、フランス側の似非紳士を演じるのは、フェルナンド・レイ(この俳優は、カトリーヌ・ドヌーヴヒロインの『赤いブーツの女』などでも不吉な紳士を好演している)。薄気味悪い紳士を得意とする仏俳優である。結局、麻薬の売買こそ取り締まるが、ハックマンはレイを取り逃がしてしまう。そこで続く、『フレンチ・コネクション2』'75年の作品だ。舞台はマルセイユに移る。ハックマンはマルセイユ警察のおとりとして派遣される。が彼はそんなことは知らない。言葉も通じず、捜査にもあまり参加させてもらえない彼は単独であの紳士(フェルナンド・レイ)を捜す。が、捕らえられ、薬浸りにされてしまう。危うく死ぬところだが、一命を取りかえす。
 そう、そのシーンがこの2作目のいい部分だ。マルセイユの刑事が、ポパイを必死で生きさせようとする。ポパイは獄中に監禁され、禁断症状の苦しみを味わう。このことは極秘にされているのだ。報告書には書かれない。ポパイは言う「アメリカのチョコレートをくれないか? アメリカのハンバーガーでなければ・・・。ヤンキーズを知っているか?」。ポパイは仏刑事に語り続ける。フランス人の刑事は、野球を知らない。アメリカのものなど、ここフランスではさして愛されない。しかし、この刑事は真摯にポパイの言葉を聴き、応えようとする。ポパイは、ホームシックだ。そして、強い自分の限界に嘆く。が、ポパイは、自力で立ち向かう決心をする。仏刑事も、ポパイの意見に耳を傾ける。やがて、執念のポパイは、似非紳士を遂にしとめる。
 この頃のジーン・ハックマンの演技は、『ポセイドン・アドベンチャー』の牧師役なども魅力だが、『スケアクロウ』あたりは本当に泣かされた。アル・パチーノとの悲しいコンビが印象的だった。

 強いアメリカが疑惑にまみれ、弱き者の魂が変形し、単に差別と偏見だけではない、アメリカの悲劇が映されたこの時代。
 本当のことを言えば、アメリカはこの弱さをずっと心に秘めていた国なのだろう。しかし、輸出好きな彼らの旺盛な精神は、ただれた部分をも優雅に演出する術を心得ていた。が、この'70年代に入って、崩壊がスタートしたのだ。政治的な摩擦や危機を乗り越えた、'60年代の米国だったが、その国に暮す人々の心に、メスが入った時代。このベトナムを経て、人種問題が温和になっていくが、根深い問題が山程あり、その『闇』と『病み』は、『止む』ことがこの先も無いのだろうか?

 12歳、『風と共に・・・』を観て、即、原作を読み、南北戦争を考え、そして『ク・クラックス・クラン団』なる結社がこの米国に存在することを知った。物語の中、ヒロインのスカーレットの(一時期の)夫などは、この集団にあった。私は愛すべきスカーレットの魅力に毎夜とり憑かれながら、この差別の恐ろしさに興味を持った。南北があまりに異なる文化や思想を持っていた大きなアメリカという国に、不思議な世界を観た。
 これを13歳で読書感想文に仕立て上げようとした、無謀な私の努力は、あまり誉められたものではなかったが、悩める米国の歴史をかい間観る先がけとしては、十分であったか。

 『フレンチ・コネクション』や、『ダーティー・ハリー』をおざなりに観てはいけない。昨今の歴史ロマンを描くハリウッドの魅力とは、かけ離れた、'70年代のアメリカの悲痛な叫びが、今に聴こえて来る。

 イランとイラクの最大の違いを、この米国人は知っているのだろうか?
 東洋の神秘と言えば、シンプルだが、日本と中国の差異をどれほど米国民が認識してくれているのだろうか?

 私は別に米国人を非難しているわけではない。彼らからいただいた素敵な文化は、キラキラ輝いていた。それは、思春期の私に欠かせないものたちだった。
 が、何か、このごろ、空しい。

 世界が繋がって、私たちが広大なタペストリーを織り込みながら生きていると仮定したなら、出来不出来こそあっても、私たちが小さな職人の集団だとしたら、私はささやかながら協力したいと考えてみる。

 無謀な一角獣が、淑やかな貴婦人の傍らで、頭を垂れるように、穏やかな世界がやってくるのかしら?
 そこには季節の植物が敷きつめられ、青葉を繁らせる樹木が立並び、果実が熟れている。

 そんな平和を、夢にみる、今日この頃。

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22 October

秋の足跡。


 10月に入ってから日照不足が続いていた。しかも、ほとんど、雨。今年の秋は、気難しい顔ばかり。
 そしてやっと昨日から太陽と青空。しかしやや弱々しい秋空である。
 ここのところ、外出は車ばかり。だから今日はゆっくり散歩でも。

 コーデュロイのパンツにチェックのネルシャツ、黒の帽子は秋冬のもの。もう、すっかり季節が変わっている。私は足取りもゆるく、出来るだけ車や人通りの少ない道を選んで歩いた。
 そう、私はそういう場所を選んで散策する癖がある。
 例えば、以前、遠方から来客を軽井沢にお連れした時のこと。客人の案内は、父がすることになっていたのだが、生憎父の痛風がひどく、運転出来ないので私がかり出されたことがある。その時も、めったに軽井沢を訪れないそのお客様を車に乗せながら、私は観光客の多いスポットを悉くはずして案内した。そう、西武系列のショップとか、いかにも其所に入るふりをしながら、「ああ、駐車場待ちね、諦めましょう」などと言って、回避してしまう。旧軽銀座を歩いていても、さっさと通り過ぎてしまう。そんな私を、母は横で苦笑しながら見ていた。が、軽井沢は大好きな場所である。慣れ親しんだ場所でもある。なので、いくらでも静かな場所を知ってはいる。今の季節なら、誰も踏み入れない、落葉だけが敷きつめられた場所など・・・。
 ああ、脱線。ここは私の暮す場所。
 車1台がやっと通れるような道を歩けば、軒には鮮やかな紅色の『箒草』。知らないうちに新築された大きな家。用水路沿いを何となく歩き、その近くにあるお肉屋さん(懇意にしているお肉屋ではない)で、揚げたてのコロッケを買う。近頃調子の悪い2階のマックと悪戦苦闘しているルパンにおやつのプレゼント、である。
 このコロッケを買ったおかげで、帰り道はやや足早。『せせらぎの道』を歩けば、ススキが風にそよいでいる。
 初夏の頃、ここを歩いたある日のことをふと想った。カバの木科の『アカシデ』という樹が生えているのだが、私はある日、この樹に腕を回し、抱きしめたことがあった。樹木の幹は、すべすべしている。そのひんやりとした木肌に触れた時、とても愛おしく感じたのだ。「樹が好きなの!」と、声を出してしまいたくなった。
 そして再び脱線。
 小さい頃から、人の少ない樹の多い場所が好きだった私。体育の日の運動会も終った小学校6年の今頃、週末の下校時、友人のユウにこんなことを尋かれた。
「milindaって、日曜日、何をしているの?」と。私はユウに応えた。
「明日は、神社にお弁当を持って出かけるの」と。
「誰と?」と、ユウ。
「ひとりで」
「じゃあ、私も行く」と、ユウ。
「いいよ」
 鬱蒼とした神社である。はずれの方に池があって、この池の底には、ガラスの箱に納められた女の人が沈んでいる、というような、とんでもない迷信の噂すらあった。
 日曜日、約束の時間にユウはニコニコしながら自転車で現われた。彼女は明るく活発なのだが、どうもやることが裏目に出るタイプ。率直に言えば、優しさが目に見えて人に伝わらない女の子なのだ。自分の寂しさや我が儘が目立ってしまう。だから、中々皆に信頼されない。が、悪い娘ではなかった。そして私は何故か彼女に好かれていた。
 ふたりでバッグから早速お弁当を取り出した。広げてみれば、あら不思議。ふたりとも同じものを用意している。ハム・サンドと、真っ赤なリンゴだ。私たちはお互い笑いながら、それぞれのサンドウィッチを交換した。同じハム・サンドでも、何か違う。それを平らげると、リンゴを齧った。何をした訳でも無い。お腹を満たせば、神社の向こうの堀沿いの道を走り回る。樹木から開放されて、明け透けな気分になる。ユウが大きな声で言う。
「また、来週も、来ようね!」
「うん!」
「ハム・サンドと、リンゴだよ!」
「うん!」と、私は大きく頷いた。
 ユウが楽しいのなら、ひとりでなくても、いいわ・・・。私はこんなことを感じていた。
 この会合は、何度か続いた。月曜日に学校で顔を合わせれば、ユウは、秘密めいた顔で、「リンゴね!」と私に声をかける。

 暖かい秋の日射しが、ふと呼び寄せた、ユウと私の出来事。

 今日、『アカシデ』の樹に触れていた私を見て、そこを通り過ぎようとしていたお婆さんが囁いた。
「綺麗な幹ですね」と。
「ええ」と、私も応えた。

 コロッケを持った私の足はそそくさと玄関を通り抜け、「揚げたてコロッケ、食べよう!」と、2階のルパンに叫んでいた。
 衣もパリッと歯ごたえよく、おやつの一時。
 愛猫ロンドンは、「僕のは無いの〜?」と言わんばかりに甘えて鳴く。

 はやいな、もう、そこまで冬が来ているのね。
 ハロウィーンが来る頃には、夜がぐっと暗くなる。
 キャンドルの炎が、美しく感じられる時期。

 シックな秋。

 春は幼児、夏は子供、秋は大人と移り変わる私の心。あまり、大人でも、飽きてきた。ここらでちょっと、後戻りしようか。
 だって、冬は老人と、うつろいゆく、私の心。

 今年はそんな流れを止めてみよう。

 神様、私をもう少し、子供でいさせてください。

 いつか、いい大人になりますから・・・。
 

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