Archive for September 2006

29 September

美味しい時間泥棒さん。


 夕食は、秋刀魚。・・・小津映画など観たくなるが、タイム。

 目が綺麗なだけではなく、口の先に黄色いものがある秋刀魚は、鮮度がいいのだと言われていて、今朝、買い物に行けば、そのような秋刀魚が氷の中に埋もれている。

 銀色のナイフのように尖った姿の秋刀魚。
 火を通せば、焼いた刀に成りかわる。
 箸を入れれば、ジュッと音をたて・・・開いて差し上げましょう、その躯・・・。
 あなたは随分、引き締まっているようで、そして小骨で私の口の中を時々、荒らそうとする。
 どんなに小さな骨だって、私は敏感に察するわ。
 だって、子供の頃、あなたではない別のお魚・・・それは鰊という名のお魚でしたけれど・・・の骨が喉に刺さって、一週間ほど痛い思いをしたのですから。
 よく噛むこと・・・それを教えてくれたのが、青魚。

 時間泥棒は、美味しい。

 そしてこんな時間泥棒が、もうひとり。

 ジョルジュ・バタイユ氏。

 『髪』と題した文章から、少々・・・


 ”・・・最も幸福なことは、突然、好運を信頼するようになることだろう。例えば、人間が世界を”認識”するために世界は存在しているのではなく、人間が世界に酩酊するために世界は存在していると信じるようになる、もしくは信じるふりをするようになるということだ・・・。”


 終りは、このような文章で締めくくられている・・・


 ”・・・すべてはゆっくり暮れていった。しかし、そうして訪れた暗闇と共犯者になった人の精神のなかでは、荒々しさはむきだしのまま存在しているのだ・・・。”


 これだけで、何時間、私は時間を盗まれたかしら・・・?

 しかし、盗まれるのも、時に、優れた感覚になるわ。

 
 深夜・・・ブルーズな夜となり・・・

 これを不意に提供してくださったのは、粋な江戸っ子・・・滑りの達人さん・・・。

 ありがとうございます。

 あなたも、時間泥棒さんなのですわね。
 そして、電話の向こうに聴こえる、明るい声・・・の、あなた・・・電車は何故か・・・すったもんだ・・・巻き込まれて、時間泥棒さんに、やられちゃったかしらん?

 秋の秋刀魚から、バタイユ氏、ブルーズそして、チキン・チキン♪


 時間を盗み取るのだけは、私の仕事ではないらしいわ。







02:29:24 | mom | 1 comment | TrackBacks

28 September

雨月物語・・・幽玄にして。


 ・・・miss you・・・

 この気持ちが、膨大な宇宙(コスモス)を創り、或る一点に集中した時に起こったひとつの現象が、この映画『雨月物語』の幽玄の世界である。
 上田秋成によって江戸時代に書かれた読本、『雨月物語』、18世紀の作品。芥川龍之介や三島由紀夫が愛した作品・・・と言えば、納得される方もいるだろう。

 さて映画『雨月物語』は、昭和28年の溝口健二監督・・・ベネチア映画祭で賞を獲得した作品である。見どころ・・・という意味で、メインのストーリーを紹介させていただくなら・・・

 時は戦国時代、琵琶湖界隈は北近江に暮らす或る家族、彼らは慎ましく生活していた。夫(森雅之)と妻(田中絹代)と子供ひとり。男は陶器を作っている。或る日、男は琵琶湖の向こう側の街に自分の作った焼き物を売りに出かける。戦国時代である、いつ何時、野党に襲われるとも限らない。なので、妻子を残し、商売に出る。が、だからといって、妻子のいる場所でさえ、必ずしも安全とはいえないのだが・・・。
 街に着いた男は道ばたで商売を始める。陶器は売れいきがいい。機嫌の良くなってきた男は、綺麗な着物などが並んでいると、自分を待っている妻に買ってやりたいと望んだりする。・・・すると、年老いた侍女を連れたひとりの女(京マチ子)が彼の前に現われる。・・・女は依被き(きぬかずき)を纏っている。・・・何処ぞの身分ある女に違い無い・・・男は考える。そんな男に、女は幾つかの器を求める。そして、・・・の邸に後で持ってくるように言う。夕刻、商売道具を片付けた男はその・・・邸に向かおうとすると、あなや・・・例の女と侍女が立っているではないか・・・「あなたを御案内しようと思って・・・」と、親切に迎えられ、男は、ノコノコと着いていく。道はだんだんと寂しくなっていく・・・と、そんな場所に枯れた門構の邸が現われる。入り口は荒れていて、しかし、男は不審に思いながらも中へ通されていく。ここで待つようにと言われ、じっとしていると、いつの間にかその邸には灯が点され・・・やがてあの女がやってくる。女は男の作った陶器に早速御馳走や酒を入れ、男を持て成す。・・・男は感激していた・・・自分の作品が、このように身分があり気品ある女に認められたことを。実際、この邸のこの部屋で見る自分の作品は、別物に見えるではないか! 女も、美しい・・・舞を舞い、歌い・・・。・・・男はいつしか、女の虜になっていた。夢のような世界が、男の前に立ちはだかっている。男はすっかり溺れ、国に残した妻子の事を忘れていた。
 ・・・一体、何日が過ぎたのだろう? 或る日、街を歩いている男にひとりの老僧が近寄ってくる。「・・・もし、あなた、あなたのお顔には、死相があります・・・何か、良からぬ物に心を奪われているのでは?」男はぎょっとする「まさか!」。それでも、この老僧の言葉が気になった男は、有難い言葉を身体に書いてもらい、女の邸に戻る。
 戻った男を迎えた女は、男の変化に気づく。
 ・・・さあ、ここからが恐ろしい・・・本性が現われる・・・女は、そして勿論侍女も・・・”あやかし”であったのだ。男は、この世の物では無いものと愛を交わし、契約しようとしていた・・・男が我にかえった時、そこにあるのは、ただの荒れ地だけだった・・・。
 では、この男の妻子はこの間どうしていたかといえば・・・それは・・・・・・・・・。
 魔性の女・・・いや、亡霊から命からがら逃れて故郷に戻った男を待っていたのは、以前と変わらぬ妻の姿だった。眠っている子供を起こすこともなく、ふたりはその夜を静かに過ごす。男は後悔し、妻の存在を改めて実感する。
 が・・・翌朝、目覚めた男は、そこに妻の姿を見ることは出来ない・・・妻は、亡き者となっていた・・・野党に殺されて・・・必死に我が子だけは守りたいと念じながら・・・男の不在を嘆きながら・・・。

 この男は、生涯に二度、女の亡霊をみることとなった。
 結果・・・妻から与えられることが無かった自分の作品への賞賛と夢をひとりの女から与えられ、妻からでしか与えられない幸福も実感する。

 ・・・miss you・・・

 という膨大な情念に、二度、襲われるわけである。
 だが、この物語を、単なる、”愛欲の世界”と呼んでしまうには、危険がある。
 また、”教訓”に仕立て上げてしまったら、それは野暮である。

 では、何か・・・?

 ここに描かれた世界は、一種の”鬼の世界”なのである。
 
 戦国の世、若くして恋さえ知ることも無く、この世を去った女の悲哀・・・これが、悲しい女の魂を鬼にして、現世を彷徨っている。
 戦国の世、夫を待ちながらも、命がけで子供を救おうとした女の母性・・・これが無念な女の魂を鬼にして、更に現世を生きなければならない男の肩にのしかかっていく。

 ・・・miss you・・・

 男があまりにも、”命からがら”・・・で描かれているので、見えづらいことかも知れない。

 妖艶と聖母の間を彷徨っている男の姿・・・は、確かに印象的である。
 が、雅びやかな魔性の女と、実直で地味な女・・・このどちらも、正面きって、戦ってなど、いない。
 このふたりの女・・・どちらも、迷ってなど、いない。
 この女たち、それぞれがやりたいことをしているだけに、過ぎない。
 それは・・・

 ・・・miss you・・・

 そして、男だって・・・

 ・・・miss you・・・

 自らの欲した道を歩くために、鬼に成った女がふたり。
 その、ふたりの女を失った時に、仕事に専念し、鬼に”成ろう”とする男がひとり。

 そういう物語なのである。

 そう考えると、ここに描かれたこの男は、かなり、哀しい。
 では、何故、そのように、男を哀しい目にあわせなければならないかといえば、それは、作者の意図である。
 女が惨めで、男が快楽に成功したら、これは、幽玄にはならないのだ。
 その理由・・・それは、この幽玄という言葉にある・・・奥深く、微妙、情緒に富み、上品で優しい・・・これらが、男性に欠落しているとは、私は決して考えてはいない。
 しかし、夢想するのが、実は男で、考え続ける(無駄と言われる程)のが、女だとしたら・・・その情の深さを比べることがナンセンス・・・と、言われようが、”雅”は、光源氏になれる程の自負のある男性でも無い限り、女の情に軍配かも知れない。
 こうして、女は、男を押し倒す・・・嫌な生き物なのかも知れない。
 さしあたり、私には子供がいないので、今現在、母性の鬼になることは出来そうにないが・・・それでも、命がけで何かを守る・・・もしくは、命がけで貫きたい・・・と、描いた宇宙(コスモス)を胸に抱くことくらいは、時にある。

 この『雨月物語』・・・とは、必ずしも合致するとは言い切れないが、これに似た海外の物語あたりを想像するなら、それは、エドガー・アラン・ポーの作品『リジーア』や、ホーソーンの『ラパチーニの娘』などか・・・。
 前者は、女神のような美しい妻に先立たれた男が、その亡霊に悉く悩まされ、再婚しても、かつての妻の霊が新妻に襲いかかり、男はふたりの女を失うというゴシックな物語り。
 後者は、或る若い男が、毒草に身を預けた妖艶な美女に恋をしたおかげで、自らもその毒に身体を蝕まれることになる、という幻想的な物語。

 そうして、この『雨月物語』も、『リジーア』も『ラパチーニの娘』も、廃虚の美学である。

 幽玄と廃虚は、切り離せないドラマを知らしめる。
 暗黒とは、違う。
 そこには、人が手を伸ばし、届くことが出来そうで、出来ない、夢の世界がある。
 
 ファンタジー・・・などという言葉もあるが・・・

 どうしてどうして、ここ日本には、素晴らしい言葉があるではないか・・・

 幽玄・・・

 日本人の美に対する心に、恐らく、西洋の人たちは深い謎を感じ、その研ぎすまされた芸術性に感銘してくれたのだろう。

 この『雨月物語』、能の表現が多分に表現されているが、タイトルの”作詞”のところに、吉井勇の名がある。

 先月、京都祇園にて、この吉井勇の碑の前で、パッパに写真を撮ってもらったっけ・・・はい、チーズ?!

 苦悩も争いも栄華も、今、生きていればこそ。

 そう思えば、人間、自分の及ぶもの、欲するものに正直になって生きていることこそ、宝かも知れない。

 宝・・・

 それは、捨ててはならないな。

 宝・・・

 それは、私が見極めるものだわ。

 宝・・・

 それは、それこそ・・・

 ・・・miss you・・・な、心・・・。

 ・・・ミック・ジャガーも歌っていたわ!




 

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26 September

秋の日、耳と目が知ったこと。


 隣家のご主人と道ばたで音楽談。・・・時々、こんなことになるのだが、このご主人、昔は音響のお仕事をなさっていた方。歳の頃は、私よりは一回りは上だろう。そして、相当高価なオーディオセットを所有されていて、年に数回、ガンガンにジャズを鳴らす。・・・奥様の隙を見計らって・・・などと苦笑しながらおっしゃるが、どうしてどうして、この奥様、とっても美人な方なのね。娘さんたちも、当然、美女・・・エレキ・ギター背負って自転車に乗って出かける姿など、可愛いかったな。
 で、このご主人と、ロンサムのお話などしていた。ご近所の方たちには、我が家の職業を知っていてくださるご家庭があって、この隣家などは、そういう意味では常々ご理解くださり感謝・・・なの。
「ロンサム、楽しみですね」
「新譜、やっと来月に発売なんです」
「自宅をルパンスタジオ・・・にしているの?」
「そういうわけではありませんが・・・ただ、多少の機材と録音できる状態にはなっていますが」
「ほら、いつだったか、A・アイラーのフレーズを彼が弾いていたでしょう?あれには感激したな」
「今度、観にいらしてくださいね」
「ああ、そうだ、メールアドレス、お知らせしましょうか。隣同士でメールというのも、おかしな話だけれどね・・・」
「どういたしまして」

 昼下がり、田村玄一さんが我が家を訪れてくださる。
 今月末の恵比寿での、玄一さんとルパンのデュオのライヴのための軽いリハーサル。
 2階まで楽器を上げるのも大変なので、居間で音出し。
 私はお散歩しながらお買い物。
 その後、iBook持って私は階上にて過ごす。
 夕刻・・・お夕食の支度をするために再び階下に降りて来たのだが・・・。

 ここからが、何とも、贅沢な時間なのね!

 ”アフリカン・マーケット・プレイス”をふたりでシンプルに演奏する音を聴きながら、キッチンで玉葱のみじん切り・・・”トン・トン・・・”と小気味良く包丁を持つ手もリズミカル!
 お次はサラダの準備。今宵のサラダはほうれん草とベビー・リーフ、紫玉葱のスライスと、牛肉のタタキ・・・タタキを一切れ玄一さんのお口に「あ〜ん」・・・浮き浮きしている私・・・相変わらず、お馬鹿さんなのね。
 メインはハンバーグ・・・マッシュルームのクリームソースで仕上げるつもり。

 仕込みが終れば、もう、私はビア・マグ片手に、このふたりのミュージシャンの音にニコニコしながら床に胡座姿。・・・まあ、なんて贅沢な!・・・小ぶりなアンプに囲まれて、玄一さんのペダル・スティールとの距離は、1メートルと離れていないわ・・・指先の微妙な動き、しっかり拝見。・・・アクションの熱い玄一さんの手さばき・・・と、いつもライヴで感じていた私だったのだけれど・・・微妙に指が移動していく様子と、そこから発せられる音の見事に感激・・・。とても勉強させていただいた気分になって、しかも、心を揺さぶられてしまって・・・何だか、これから、酔ってしまいそう・・・な、乙女心・・・。

 リハが終って、ご歓談。
 玄一さんとは、よくお顔を合わせる割には、ゆっくりお話することは、たまにしか無い。
 今宵は、様々な現場をくぐり抜けていらっしゃった素敵なミュージシャンのお話を拝聴し、ビール、進んでしまうわ・・・(困笑)。
 弦楽器を奏でる人のお話を聴くのが、何でこんなに楽しいのかしら、私は・・・?
 音楽に対する感覚が、目覚ましく広がる感じがしてしまうのね、どうやら・・・。
 玄一さんの音楽に対する耳は素晴らしく敏感で、その感性が音で伝わってくるのは言うまでも無いことなのだけれど、こうしてテーブルを囲みながら会話しながら氏が言葉にしてくださる表現が・・・それは、ちょっとした言葉の端々なのだけれど・・・好きだ。
 イカシてるわ!・・・玄さん!

 というわけで、夜更けに近くなる頃まで、愉快に楽しく、秋の夜。

 お風呂あがりに、呑み直し・・・。

 ・・・深夜、再び、ポワ〜ン・・・

 ・・・夢に溶ける気持ちになって・・・

 ・・・そう、秋の日は、長く・・・


 ・・・お休みなさい・・・



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25 September

出家とマドンナ。


 昨晩、眠りにつく前、右耳でずっとずっと鳴り続けている音・・・それは水金窟の水のような音で・・・私はその音を、「ひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・」と数えながら眠りについた。・・・この様子だと、寝坊しそう・・・でも、いいわ・・・日曜だもの・・・。

 そして今日、秋の日曜日の晴れが爽やか。午後、車を走らせ買い物へ、窓をいっぱいに開けて、秋風を感じるの。お買い物を済ませた帰り道、まっすぐ家に戻るのが勿体無いような気分になるわ・・・このまま、何処かへ行ってみようか・・・夕暮れまで・・・。しかし、断念してちょっとだけ遠回りして帰る。

 さっと簡単なパスタ料理を独り食べながら、『男はつらいよ、口笛を吹く寅次郎』を観る。・・・正直、フォークを持つ手が止まり、子供の頃のように食事が進まなくなる私。・・・笑いあり(きっと窓を開けていたからご近所に聴こえていただろうな・・・私の大笑いが)、涙あり(これは、慎ましく)・・・。

 備中は高梁・・・風の向くままこの地を訪れた寅さん。・・・そういえば・・・と思い、妹さくらの夫、博の父親の墓参りを・・・と気をきかせ、小高い丘の上のお寺に向かう。その帰り道、寅さんが長い石段を下りながら出逢うこの寺の住職とその娘。住職は酔っていて、娘は父親を気づかいながら石段を上ってくる。酔っぱらった住職は寅さんを誘い、結局寅さんはこの父娘の家に泊まることになるのだが・・・。さて翌朝、法事があるにもかかわらず、二日酔いで仕事が出来ない住職。ここで寅さんは、住職のかわりに法事に・・・いやはや、渡世人がお坊さまに・・・いくら”トラ”とはいえ、ふざけた話。しかし寅さん、持ち前の口上でしっかりその場を切り抜ける。むしろ気に入られてお寺に戻ってくる始末。そして案の定、寅さんはこの家にしばらく滞在することになる・・・「キリが無い」と自ら言いながらも・・・で、やっぱり惚れてしまうのね、この住職の娘=マドンナ(竹下景子)に。しばらくすると、博とさくらはこの備中のお寺に亡き博の父親の三回忌に訪れる。そこで二人が見たのは、住職の脇で袈裟を纏っている寅次郎・・・二人、びっくり。蒼くなりながらも、兄を置いて柴又に帰るが、一抹の不安が・・・そう、勿論寅さんとマドンナとのことである。マドンナには弟(中井貴一)がいるが、写真家希望の彼は父親と衝突して家を飛び出し上京てしまう。彼の恋人(杉田かおる)は酒屋で働いているが、突然の恋人の家出に戸惑う。・・・このシーンの杉田かおるの演技には、泣けるのね・・・チーボー、やっぱり上手いな・・・「行かないで!」と叫び、「行ったらいけん!」と恋人との別れを嘆く演技や寅さんに相談する姿は子役時代からの根性を見るような(石立ドラマ、かなり好きだったのね、私)。ここで寅さんは彼女に男心を語って聞かせる・・・確かに素敵な相談役なのだが、オチは「彼はきっと立派な写真家になってお前を迎えに来る・・・だからそれまでお前は、一生懸命ビールを配達して、待ってろ」・・・ビールは配達するより、飲みたくなるのだけれど・・・チーボー、子供扱いなのね。
 さて、お話は寅さんとマドンナに・・・ふたりはこの街で噂になっている。実は、マドンナは出戻り娘。父親はそろそろ再婚しろなどと言う・・・マドンナは、果たして寅さんに惚れているのだろうか・・・?・・・ちょっと気まずい事態になった寅さんは、このお寺から脱出してしまう・・・柴又に帰ってしまう。・・・失意のマドンナは父親にプイプイしている・・・。柴又に帰った寅さんは、いつもと表情が違う。とらやの皆は、また失恋したと思い込んでいるが、どっこい、寅さんは、自信満々。それでもって、何とお坊さんになろうと言い出す・・・しかも、実に手っ取り早く・・・という条件は無いかと調子のいい事を言う。「バッカだな〜」と思っていた皆も、おやっ?・・・寅さん、遂に、出家???・・・まさか・・・恋する寅次郎、いつもと違う・・・「俺は出家する身だからね」である。「そうか・・・まだフラれてなかったのか・・・」と、心配するとらやの面々。
 このあたりから、恋の嵐状態になる今シリーズ。チーボーは貴一を追って上京。とらやで再会。若者の恋が、淡く描かれる。
 そして、当然のごとく、寅さんに逢うために柴又を訪れるマドンナ・・・ラスト30分のクライマックスが始まるわ・・・探偵映画だったら、名探偵によって事件のトリックが証される瞬間のようなシーン!・・・とらやの座敷で賑々しく会話する人たちではあるが、今回のその場面は、それほどじっくりと時間があるわけでは無い。訪れたマドンナは、夕方の新幹線で備中に帰らなければならない。そっとそっと、皆、寅さんとマドンナをふたりだけにするために、席を外す。
 柴又の駅のホームで寅さんとマドンナはしどろもどろで言葉を交わすわ・・・
「ねえ、寅さん、あの日、お父さんが言った言葉が寅さんの負担になって、それで寅さんがいなくなってしまったんじゃないかって・・・・・・・」
「俺がそんなこと、本気にするわけないじゃないか・・・」と苦笑いの寅次郎。
「なら・・・私の錯角・・・?」
「安心したろ?」
 ここで、微妙に首を振る、マドンナ・・・。


 ここからは、私がマドンナになって、口をきかせていただきます。
 ・・・というか、私は今回のシリーズ、完全に”マドンナ”になった気分で観てしまったのですもの・・・竹下景子、うっちゃって、はい、この私が、マドンナ・・・。

 『男はつらいよ・・・』を観れば、誰だって、寅さんが失恋していると思うでしょ?・・・だけど、そうとは限らないのよ。
 恋に惑わされているのは、一見、寅さんだけれど、実はマドンナの方だったりすることも少なくは無くてよ。・・・考えてみて・・・あんな男性がいたら、意気投合したくなるわ・・・何処の誰かもわからないのに、その人の懐に、ふっと、入ってみたくなるような、妙な魅力があるわ・・・。マドンナとしては、ただただ、一緒にいたいのよ。そうして、寅さんのお話を聴いて、ふふっ・・・って笑っていたいのよ。時には、神妙なお話もあるわ、でも、こっちが何も問わなくても、お話を不意にしてくれるのね・・・困った時には慰めてくれて、「キリが無い」と言いながらも、留まっていてくれるような人・・・俺はここにいるよ・・・と、言ってくれる人。・・・だからマドンナは寅さんに必ず会いに行くわ・・・。
 それを、男性の魅力と考えれば、成り立つでしょう。・・・しかし・・・ね、猾い!・・・猾いわ、寅さん・・・あんなに女心を揺さぶっておきながら、引き際を気取るなんて、本当は猾いわ!
 シリーズ最初の頃のような、はっきりした寅次郎さんの失恋話はともかく、この頃の寅さんは、大人になり過ぎよ! いくら失恋31回のベテランとはとはいえ、男前も大抵にしてくださいね! 32回目くらい、気楽にやってよ!・・・とはいえ、これがまた、魅力です、はい。
 ねえ、寅さん・・・どうして、さくらさんが言ってくれたように、私を東京駅まで送ってくださらなかったの?
 雪駄に半纏羽織った姿のあなたと、私、もっと一緒に歩きたかったわ・・・佃煮なんて、いらない・・・そんな時間があったら、どうしてもっと私と一緒にいてくださらなかったのよ?・・・もう、時間が無いって、言ったわよね、私・・・私が話したかったこと、たくさんあったはず・・・それなのに、寅さん、何処かへ一瞬、逃げたわ・・・「あなたがいないと、生きていけない」って、言いたかった、「あなたがいてくれれば、生きていける」って、言いたかったわ。それなのに、寅さんってば、そんな私の口を封じ込めるようなやり方をするのね。・・・東京駅なんて、大嫌いよ! 無くなってしまえばいいのに・・・とすら思ったわ。故郷さえ、憎たらしいわ・・・柴又・・・この地を消したいわ・・・。

 ああ、恐ろしき、山田洋子の毒舌・・・かな・・・

 しかし・・・山田洋次にも、脱帽せざるをえない、最後の寅さんとさくらの会話・・・

「お兄ちゃん、あの人との間に何があったのかおしえて・・・」と言うさくらに対して、寅次郎は・・・

「そんなこと、お前におしえられるかい・・・それは、大人の男と女の秘密ですよ」・・・だって。

 腕組しながら、ひとりごちている寅さんに、寂しさは無く・・・

 ・・・だからね、彼がいつも失恋しているなんて、思っては駄目なの。

 この映画の最後には、博とさくらの家にパソコンが登場する(タコ社長からのプレゼント)。
 そして、瀬戸内海に橋が出来る。
 '83年・・・私は花の女子大生・・・

 『男はつらいよ・・・』

 時代を象徴している様々な部分が適格に盛り込まれていて・・・私など、自分の幼少期からの歴史と交差すること多々あり。

 32作、全て観ているが、少し前の”かがり”さん=いしだあゆみがマドンナを演じた『あじさいの恋』と並び、感銘した本作品。・・・”かがり”・・・いい名前だな・・・この『あじさい・・・』は、2度、観ている私。

 ちょっと楽しみなのは、大原麗子が再びマドンナを演じる作品である・・・失踪した夫を待つマドンナと寅次郎の親密な関係である。

 そういえば、20代半ば、私が日本語教師をしていた時、授業で2.3度日本映画を鑑賞しながら講議をしたことがあったけれど、今、思えば、この『男はつらいよ』シリーズで授業をしたら、面白かっただろうな・・・日本人の、しかも、東京の下町の心を綴った物語・・・江戸っ子(寅さんはこの柴又を田舎者と呼ぶところがまた特徴・・・そうね、古く考えれば、ここは江戸の田舎町だったのですもの・・・そういうはにかんだ物言いも、寅次郎の特徴だわ・・・)の心意気と日本人の人情・・・をテーマにしたら、きっと、外国の人たちと素敵な交流の時間を過ごせたかも知れないわ・・・私、漱石の『それから』の映画なんて鑑賞しながら明治の日本の黎明を語っていたっけ・・・。

 「・・・という、お粗末さ・・・さて、商売の世界に戻るか・・・」

 と、寅さんは自分に言い聞かせて、また、柴又を去るわ・・・。

 逃げても、逃げても、帰ってくる場所はひとつなのに・・・ね。

 そして、お正月には、お手紙が届く・・・元気によろしくやっている寅さんの、「おめでとう」と言いながら皆を祝福し、内省する自分を噛み締める文面が・・・。

 男もつらいけれど、女もつらいのよ。

 ああ、だけど、今夜はこれほど寅さんに恋い焦がれてしまって・・・

 ・・・私の夢に、現われるかもしれないわ・・・今宵・・・寅さん・・・。

 今夜も水金窟を数えるのかしら・・・

 寅さん・・・ちょっと悩ましいわ・・・ね。
 
 やっぱり、大好きだわ。

 マドンナ・・・煩悩娘の私には、遠い微笑を投げかけるわ。

 そして・・・

「キリが無い」・・・これ、いい科白ね!



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22 September

24時間で20時間。


 昨晩は、バイロン卿が我が家にいらっしゃる。
 バイロン卿と私はここ最近のお仕事のご褒美として打ち上がることに。
 私は食事の準備をしながら夕方6時頃から軽く一杯。
 午後8時過ぎからルパンと3人でテーブルを囲みながら呑み始める・・・が、気がつけば翌朝の6時。数種類のお酒を呑んだけれど、悪い酔い方をしない私。ただ、明け方になって、ポワ〜ンといい気持ちになっただけ・・・あら?・・・私って、こんなにお酒、呑めたッけ?

 そしてそれから4時間後、今朝午前10時、起床。
 ルパンは午前11時に所用で出かける。
 お昼近くにバイロン卿を起こし、この界隈の名物・・・”武蔵野うどん”を食べに行く。
 お天気も良く、バイロン卿はご機嫌である。
 うどんを食べた後、蕎麦屋へ行こうと誘われる。・・・彼は蕎麦屋で一杯やりたいのだとか・・・。・・・はいはい、おつき合いいたします。
 蕎麦屋では里芋の煮物と枝豆、最初はビール・・・で、次に焼酎の蕎麦湯割り(美味)。午後3時過ぎまで、ここにお邪魔させていただいた。
 その後、再びお酒を買って、バイロン卿は、今宵も我が家でお夕食を。シャワーを浴びたバイロン卿は、大相撲を見ながら、ビール。私もご一緒する。
 鮭のホイル焼き、コーンスープ、お豆腐・・・もう、冷蔵庫のあり合わせ料理だけれど、帰宅したルパンと3人でこの日も呑みながらテーブルを囲む。
 午後9時過ぎ、ルパンがバイロン卿を駅までお連れしながら、駅前の飲屋さんMARUへ行こうと言い出す。
 私はさすがにやや疲労ぎみ、「男同士で、どうぞ〜」

 24時間で20時間・・・呑んでいた私・・・。
 ほぼ、丸二日間・・・3人暮らし・・・。
 
 バイロン卿、あのお仕事、少し気合い入れましたね!
 
 お疲れさまでした!

 力になってくださって、本当にありがとうございます。

 ところで、彼は今宵、無事帰宅したのかしら?

 放浪するのが好きな氏である・・・また、何処かで道草していないかしら?






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