Archive for January 2007

31 January

ひとり/孤独な軍師と華麗な族


 ここ数週間、日曜の夜だけは、丸2時間、TVばかり見ている。
 ドラマ2本、立て続けに見ている。
 近頃は、めっきりTVドラマを見なかった私なのだが、今年は見ている。
 もう、すでに、今日のタイトルで、何を私が見ているか、バレバレであろう。
 
 1本目は、大河ドラマ『風林火山』である。この大河も、『新撰組』以来ご無沙汰だったが、今年は見ることにした。戦国の世と幕末には興味があるとはいえ、昨年の大河は見向きもしなかった・・・何故かしら・・・山内一豊とその妻の物語が嫌いであるわけではないし、夫の立身出世のために妻が頑張るという美しき夫婦愛を嫌悪するほどヤクザ者でもないが、私にはこの美談がやや食傷気味・・・なのかもしれない・・・。

 さて今年の『風林火山』、主役は武田信玄ではなく、この戦国武将の軍師として名を馳せた(といわれる)山本勘助。私は山本勘助のことは全く知らなかったのだが、ドラマの第1話から、泣かされた。こういうのを、ハマる、というのだろう・・・。

 山本勘助は、15世紀終わり頃、三河の国(今の愛知県豊川市牛久保町)に生まれる。隻眼にして足も不自由だった勘助は次男であることもあり、出家するよう言われるが、山本家の知人の家に養子に入る。ところが、20代で養子先を飛び出し、武者修行に出る。戦国の世、諸国を放浪しながら戦に参加しながら軍学を躯で学び、やがて、駿河の今川義元に仕えようとするが、断られ、甲斐の武田信晴(後の信玄)の軍師となっていく。信玄には信頼され、上杉謙信との川中島の合戦で、信玄とともに果てる。
 
 ”ヤマカン”と言われる、”当てずっぽう”の意味の言葉の発祥は、この山本勘助からきていると言われているが・・・。

 その山本勘助は・・・少々謎な男・・・しかも、顔は醜く不具者・・・そんな男が主人公というところに、私は惹かれるのだろう。
 ドラマは井上靖の原作をモチーフにしているが、力強い。
 親兄弟から見放された独りの武士が、世の中に出て、躯ひとつで体当たりしている姿・・・しかも、恋した女はやがて家臣となる信玄の父親に殺されたという現実があるにもかかわらず、それを復讐だけにせず、バネにして生き抜こうとする。
 男が独りで仕事をする姿に打たれる・・・単純と言われようが、今はかまわない私である。彼の境遇は、必ずしも恵まれているとはいえず、だが、腕と心意気で時代を生きる。
 古風だが、信念というのは、素敵である。
 男らしいというのは、女には、どう逆立ちしたって真似のできないこと。
 しかも、男の勝負は、ストイックであって・・・ほしい・・・。
 これは、女の勝負とは、”しきたり”が異なるようであるが・・・。
 私は男の勝負、好きである・・・男に生まれていたら、私の人生、かなり違っていた・・・と、思いたいくらいに・・・。


 そして2本目、これは例の納豆問題で最も得をした・・・かもしれない・・・『華麗なる一族』。
 昭和40年代を背景に、ある銀行家一族の栄華と破滅の物語。原作は山崎豊子。
 財閥万俵家のドロドロした人間関係・・・家長である父親は銀行頭取、その長男は、財閥内の鉄鋼会社の専務、その父親と長男の葛藤を軸に、高度経済成長期から大阪万博までの時代の金融業界と日本の鉄鋼業界の熾烈な経済戦争を描いている。
 この時代、鉄鋼業は何といっても将来を予感させた・・・そう、私が小学生時代の社会科の授業を思い出すわ・・・しかも昭和42年といえば、万博ムードに日本中が湧いていた。東京オリンピック以前から、日本の重工業は目覚ましく発展し、新幹線、高速道路・・・そして、大阪万博・・・。私はまだ、ほんの子供だったが、あの時代の浮かれた雰囲気は、記憶にある。父や母がほんの十年前の話をしただけでも、随分古い時代の話だと・・・いいえ・・・遥か昔のことのように思えたものである・・・ほんの十年が・・・である。あらゆるものが、外国ナイズ(古めかしい言い方である)され、どこへ行っても、外国の空気が必ずある。言語も、少しずつ変化して・・・戦後の可笑しなチャンポン言葉から、少し現実的な外来語が日常的になり始めたり・・・。それらが万博で一気に開花したわ・・・。で、日本という国は、海外に門を開くための精一杯の努力と無理をしていた時代・・・。
 金融という世界は、いつの世も、生き物である。国家の風向きで左右され、例えば、この昭和40年代初頭にも、引き締めやら合併という難を押し付けられる。その後のオイルショック・・・。ドラマの一家も、これに翻弄されることに始まり、勝負をかける。父親は、銀行の生き残りをかけて、長男は、鉄鋼の未来をかけて・・・である。この父と息子が、どうも憎み合いながらも、それぞれを生きる姿が、この『華麗なる一族』の大筋なのだが・・・嫌らしいね・・・そこに登場する女たちとの絡みは・・・なんて感じながらも、見てしまう。・・・私、一族モノに、弱いからな・・・。
 第1話を見ながら、「どうしてこう・・・この一族はみんな美男美女ばかりじゃないといけなのかしらね? 独りくらい、醜男とか、いたっていいじゃない? そう思わない?」・・・なんてルパンに訊けば・・・「『華麗』な人間たちは、そうでなければいけないだろう・・・カレー・・・いや、加齢臭・・・だな・・・要するに、そんな匂いさえするくらい・・・にさ」。・・・あなたもオヤジ臭いこと言うわね・・・と思いながらも・・・そうよね、若い時から、こんなにしっかりスーツキメていたり、髪もしっかり整えていたら・・・将来は、汗が皆、躯の中に籠ってこびりついて・・・何か匂いそう・・・だわ・・・。
 が・・・このドラマ、私、見ていると、元気になるのね・・・あら、またもや単純・・・はい、どう言われてもいいわ、この際。
 今回は長男の鉄平が主人公として描かれているが、原作は銀行頭取の父親が主人公らしい('74年に映画化されたものは、佐分利信、月丘夢路、仲代達矢のキャスティング)。木村拓哉が鉄平役だが、この長男は一代で財閥を築いた祖父と妻の間の子供だと”確信”している父親の憎しみが、大きな悲劇をまねく。息子は何も知らないのだが、この血の悲劇というのは、どうも、人の心をそそるものらしい。・・・と、古風な私は思うわけで・・・これは、横溝正史とかにも言えたり・・・ね・・・。

 しかし、私が大学を卒業し、社会に出た頃は・・・この鉄鋼業界、かなり苦しいものだったことを覚えている。
 '80年代半ばを過ぎる頃・・・私は日比谷に働いていた。


 大河とか、血とか・・・それらを日本の外に見ようとおもうと、私などすぐに、シェイクスピア悲劇やラシーヌ、ギリシャ悲劇を思い浮かべる。
 日本の戦国の世、もしくは中世・・・と考えれば、シェイクスピアなど、同じような時代のドラマを作品にしている。
 または、デュマの『モンテクリスト伯』・・・この物語は子供の頃から大好きで、『巌窟王』と子供向けの物語では名付けられたが・・・ナポレオン時代、マルセイユの青年が政治犯の濡衣を被ったおかげで牢獄に囚われ、そこで15年間苦労した後、脱獄し、ある言い伝えのある島で見つけた財宝を得たことで爵位を買い、自分を陥れた人間たちに復讐を誓いながらも、忘れられない恋人と巡り会い・・・というロマンである。
 そして、一族の血と栄華・破滅・・・という感覚では、『ゴッドファーザー』など連想する。

 どれも、冒険、恋、陰謀、戦い、死・・・人生の総てが語られる。
 これらは、物語の総ての要素と言われているが、それらを(勿論見事に)表現すれば、おおかたの人が、興味を持つわけである。・・・ただ、これを(見事)表現するには、たくさんの資料も必要で、相当骨の折れる作業であるが。

 山本勘助の物語は、近松門左衛門の浄瑠璃でも名高かったといわれる。
 
 そして、『華麗なる一族』の原作者、山崎豊子氏は、若い頃毎日新聞の記者時代、記者訓練を『風林火山』の原作者、井上靖氏から受けたという。

 日曜の夜の2時間、師弟愛まで見せつけられているような気分にもなる・・・いや、師弟戦・・・か?

 いずれにせよ、男が独り、世の中に打って出る姿・・・男の勝負に、毎週、勇気づけられている私である。

 私も女一匹、誰の助けも無用とばかり、独り勝負にでたいものである。

 仕事・・・とは、独りの力で耕す畑・・・。

 或は、私にとっては、庭・・・かもしれない。

 独りでやろう。

 問答無用。

 心配御無用。

 武士道とは、死ぬことなり・・・なんて時代錯誤も平気で言える、古風な私。

 チャンネルは、決まったわ。









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29 January

ひとり/或る女の肖像


 彼女は学内をいつもひとりで歩いていた。
 小脇に抱えているのは、楽譜と講義のためのテキスト・・・髪は長く、服装はその時々の流行に沿っているが、シックだった。安物を身につけてはいない。ほっそりした彼女の躯によく似合っていて、どこから見ても、非の打ち所がない。
 顔は美しく・・・それは作り物のような美しさで、マネキンのように、表情を作らない。・・・少なくとも、ひとりで歩いている時は・・・である。
 かといって、整形の美しさとは、勿論違う。
 私はこれほど美しい顔をした女に、遇ったことは無い。あの頃も、今も。
 ただ、美しいのだ。
 恐らく、彼女を見た時に感じるこの美しいという感覚は、男よりも、女が強烈に感じる美しさだろう。

 彼女は私の友人の友人で、偶然紹介されたことがきっかけで、何度か話をした。たいてい、学内をひとりで歩いている彼女を認めた私の友人が声をかけて、学食や庭でお茶を飲みながら・・・そのようなおつき合いである。

 ところで、彼女と話していると、ふっと会話が途切れてしまうのだ。これは、話が合わないという問題ではなく、彼女が何かを話しても、聴いているこちらが、その先に行けない雰囲気・・・とでも言おうか・・・つづかない・・・のだ。彼女は彼女の言いたいことを言う。が、こちらは、「ああ・・・」とうかがっただけで、何を返したらよいか、わからなくなる。

 それでも、美しいから、私は好意的に受けとめた。私の友人も、同じように受けとめていたのだろう。上品に煙草を吸いながら、気怠い趣で・・・でも、桃井かおりと思ってはいけない・・・もっと華奢な王女様である。
 
 彼女は私に初めて遇った時、私の顔を見て、おもむろにこう言った・・・「綺麗ね」。
 私はぞっとしたことをよく覚えている。言っておくが、レズビアンを感じたのでは無い。或る種の”見極め”・・・のような言葉を浴びせかけられたような気がしたのだ。数秒間、じっと私を正面から見据え、「綺麗ね」と不意に漏らした彼女の様子は、今も忘れられない。おかげで私はその時、私が身につけていたものさえ、しっかり記憶している・・・白い麻のパンツに薄いベージュ・ピンクのニットだった。この「綺麗ね」という言葉には、皮肉めいたものは無い・・・そして私は、彼女と自分を比べようとも、思わない・・・そんな気を起こさせないくらい、彼女は完璧な美人なのだから。

 彼女には、どうしよもない無機質さがあった。悪く言えば、白痴に近いような空虚さ・・・ぼんやりとした言葉使い・・・美しい顔からは想像できないような、幼い物言い・・・。

 しかし、彼女には、死ぬほど愛する男がいた。この男との恋は、決して幸せなものではなかった。が、彼女は彼のためだけに、生きていた。
 音楽を奏でる彼女は・・・あえて想像するなら、ラフマニノフあたりを演奏している姿が最も連想しやすいだろうか? 
 だが、彼女の情熱は、音楽ではなく、恋にあったようだ。
「彼のために、綺麗でいたいの」と、彼女は私に言った。女であれば、当然のことかもしれないが、この言葉を言う彼女の口調にだけは、どうも、強い意志がある。返す言葉も無いが、「なるほど」と、思う。おまけに、「勉強になります」と、感じ入った。

 そう・・・私は、彼女に出逢うまで、誰かのために綺麗でいたいと思ったことが無かったのだ。自分が気に入る角度での綺麗・・・なら、私だって女である・・・意識くらいはしたことがあった。が、恋人のために美しくあるという心がけは、それまであっただろうか? 先ほど、彼女のことを、白痴に近い空虚・・・とか、幼い物言い・・・などと書いたが、この「彼のために綺麗でいたいの」には、無敵な力が込められていた。・・・女という見識からすると、彼女、私などより、よほど成長している人だわ・・・恋が女を美しくするなどというレベルでは無い・・・だって、彼女、生まれつきの美貌・・・その美貌が意志を決意する綺麗・・・だわ・・・無敵艦隊・・・凄い情熱・・・。
 だからこそ、彼女はいつもひとりでいるのではないかしら?
 皆でいたら、彼女は、この孤独な美しさを損なうような気がしていたのではないかしら?
 ・・・女って、数人集まると、どうしても、慰め合ったりしてしまうわ・・・同じように・・・あろうと、懐を分かち合うようなこと、しなければならないような義務感とでもいうのかしら・・・自分を貫き通せないような・・・。

 ・・・ところが、ひとりでいると、話がかわってくるわ・・・。
 ・・・誰も寄せつけない強さ・・・。

 経済的に自立する必要の無かった彼女は、卒業後も、難なく好きに音楽を学びつづけようとしていた。が、この音楽で身をたてるということに、強かな理想があったわけでは無かった。恋こそ、あれば、良かった。世間はこういう女性のことを、単純にお嬢さんといって、蹴散らすかもしれない。が、私は、そんな冷たい視線を彼女に与えようとは思わなかった。

 好きな男のために、綺麗でいたいという強い願望に、何の文句があるだろう?
 彼女には、誉れある特技がある・・・男は彼女を好きだった・・・幸せな恋とは言いがたくても、男は時に、美しい彼女を隣に連れていることに、喜びがあったはずである。

 ・・・私が男だったら、彼女のような心の女を放っておけないだろう。

 彼女には、あまりにも、恋以外の欲というものが、無かったのだ。
 ひとりの男を愛すること以外の願望が、無かった。
 そんなに愛された男は、幸せでは無いだろうか?
 彼女、想像力はあまり無かったかもしれない。
 そして、仕事をするということで注目されたいという欲も無かった。
 美しいのに、ちやほやされたいと思っているわけでも無い。
 ただただ、恋する男のことを考えているのが最高の幸せなのだ。
 彼女、こんなことを言ってたわ・・・
「私、あの人のためなら、どんな犠牲だって平気なの。たとえ彼が私に何も与えてくれなくても、あの人がいるなら、生きていられるの」
 
 仕事のために男を利用したり頼る女は、有象無象・・・珍しくも無い。
 嫌われることが怖くて、男から離れられない女・・・これも、少なくはないだろう。
 または、孤独が辛くて、男を頼る女・・・。

 だけど、私が好きなのは、誰かのために、綺麗でいたいと素直に発言できる女・・・かもしれないわ・・・。

 これは、理想である。 
 が、野心ではない。
 何故って、メリットは、自分と男との間にしか、発生しないことよ。
 この気持ちは、まがい物では無い、慈しみ。
 そして、心底、敬意があるわ・・・その、男という存在に対して・・・その、人という存在に対して・・・。

 美しくあること・・・綺麗であること・・・

 これが素敵な理由は・・・

 このことは、決して、決して、仕事ではないから・・・なのよ。

 ひとり・・・その人が、ひとり、存在している価値が、美しい・・・。

 
 たまたま、久しぶりにひとりになった今日・・・だから、こんなこと、思ったのかしら?

 今日は誰とも会わず、誰とも口をきかない日・・・にしようと思ってみる・・・。
 ところが、こういう日に限って、電話がひっきりなしに鳴っていたり。

 
 ひとり・・・大切なひとりになることは、最高の贅沢なのかもしれない。









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28 January

無邪気な女心・・・幾つになっても・・・


 1月26日、朝、関西方面にツアーに出かけるルパンを駅まで送る。
 彼がギターを車に積み込んだので、私が玄関の鍵を閉めようとしていたら・・・
「あっ、俺、上着持つの、忘れた!」とルパン氏・・・「あら、ほんと、嫌だわ」・・・と苦笑する私。
 ガレージの空気は冷たく、車に乗り、エンジンをかける私の手も、冷たい。・・・冬、もう、飽きちゃったわ・・・。

 それでも、日差しは春めいていて、庭の薔薇にも、赤い小さな芽が出始める。
 私は毎年この時期に姿を現す薔薇の赤い新芽のことを、”赤ちゃん”と心の中で呼んでいる。
 たくさんの”赤ちゃん”が顔を出すわ・・・彼らは皆、可愛らしく笑っていて、ミルクもおしめも入らないけれど、太陽の光に呼びかけようと必死よ・・・それは、声なき声よ・・・でも、息を弾ませているんだわ。

 夕刻、私を訪れてくれる人がある。
 その人とは、もう長いおつき合い、ルパンのお仕事仲間でもある。
 Pianoman・・・。
 私は彼のために、16時過ぎからキッチンに立って、簡単な手料理を準備する。
 やがて携帯が鳴り、彼が駅に到着したと知らせがある。
 イグニッションを回し、少しだけ薄暗くなった道を駅に向けて走る。
 朝、同じ道を通った時にやっていた工事は、すでに終わっている。
 お酒を買って我が家に。
 早速、ビールを開けるPianoman氏・・・「とりあえず、乾杯しようよ」。開けたのは、キリン琥珀。
「ルパンは今日、何時に出かけたの?」
「10時前、よろしくって、言ってたわ」
「誰と一緒?」
「S本さんとか・・・Sさんのツアーなの」
「この間は、S音ちゃんの録音で一緒だったけど、彼のバンジョー大活躍だったよ」
「そうみたいね・・・3月は、ツアーもあるみたいね」

 そんな話をしながら、彼は私に昨年の彼のお仕事のCDを幾つか聴かせてくださる。プロデュースはSS氏。ある作品では、ロンサムのペダルスティール奏者田村玄一さんのプレイも聴ける。
 音楽を聴きながら、私たちはとりとめなく話はじめた。ふたりとも、ピアノに触れている時間の長い者同士、必ず楽器の話になる。そして、曲をつくる作業の話とか・・・最初のヴィジョンがコードだった場合・・・とか、逆に旋律だった場合・・・とか・・・とりとめがない。・・・青二才みたいなこと、会話しているわ・・・。青二才・・・いつまでだって、いいじゃない・・・。

 こんなお話をしているうちに、どんどん空になっていくビール。彼は赤ワインを呑み始め、私もおつき合いする。
「ねえ、2階でピアノ弾いて・・・私、歌いたい・・・」
「呑んだら、弾けない」
「嘘!」
「本当だよ、呑んだら弾かない」
「・・・そうなの?」
 ・・・これ、本当なのかもしれない・・・彼、とってもお酒が強いけれど、楽器を弾く時、呑んでいなかったかも・・・ただ、ライヴや録音が終わった後は、しっかり呑むけれど・・・。
「ねえ、この辺でまた、ビール、開けない?」
「はいはい」
 彼がこう言い始めたら、まだ序の口ということなのは、よくわかっている私である。そして、「でね・・・」とか言いながら、彼は私のグラスにビールを注いでくれるのだけれど・・・生憎、ここには、まだ、ワインが入っているというわけ。
「混ぜちゃった!」
「あ、ご免!」と言って、私のグラスと自分のグラスをすり替える。

 さてさて・・・そんなことをしていたら、突然、果ててしまった私。
 時刻は、0時半を過ぎた頃。・・・こんな時間に果てる私ではないはずなのだけれど・・・普段なら・・・。
 私、床の上に仰向けになって、漂流状態・・・。

 やがて、目覚めてみると、Pianoman氏は、オットマンに脚を投げ出して本を読んでいる。手にしているのは、内田百鬼園である。
 時刻は朝の6時頃。

「リサは、今日は、潰れちゃったね」と、彼。
「私、いびきなんか、かいてなかった?」
「ないよ」・・・本当??? ・・・嘘じゃないわね・・・ああ・・・嘘ではありませんように・・・。

「さあ! じゃあ、ちゃんと、寝ようか」と、彼。
「うん」
 私は彼にお布団の用意をしてさしあげる。
 でも、朝だ・・・。

 27日、私は午前10時に目が覚めた。・・・もう少し、横になっていようか・・・それとも、コーヒーを入れようか・・・それにしても、今朝は、暖かい朝みたい・・・。お昼まで、いいわよね・・・。別室のPinoman氏、よく眠れたかしら?
 するとお昼頃、物音がする。
 階下に下りていけば、Pianoman氏はもう、着替えていたわ。
 
 コーヒーを飲んで、下北沢でお仕事のある彼を駅まで送るわ。
 その途中、お蕎麦屋さんに入って、食事。
 私は天丼をごちそうしていただく。
 彼は、鴨せいろ・・・そして、ビール。

 家に戻った私は家中の窓を開け、すっきりとお掃除をした後、ほんの少しの時間、ピアノに向かう。

 とりとめのない旋律を弾いていたのだけれど・・・最後に行き着いたのは、"TOMORROW"の頭の部分・・・P・マッカートニーの'71年の『Wild Life』の中の曲。
 ・・・ああ、そうだった・・・Pianoman氏も私も昔からこのアルバムが何故かとってもお気に入りで・・・昨晩もこのお話していて・・・この曲を彼に弾いてもらって、私、歌いたかったんだわ・・・。マッカートニー好きの彼・・・ベースを弾いても、ポールみたいに演奏されるわ。

 Oh baby don't you let me down tomorrow
 Holding hands we both abandon sorrow
 Oh good chance to get away tomorrow

 で・・・
 この曲の最後にややスローになりながら引っ張って引っ張って繰り返すポールの歌・・・ポールならではの、シーン・・・。

 Baby don't let me down tomorrow・・・baby don't let ・・・me down・・・tomorrow・・・・baby don't let ・・・me・・・down・・・tomorrow・・・

 ”Wild Life”・・・私のことね。

 無邪気だったな・・・しかし・・・。

 そうだわ、明日は、ためしに、断食なんて、してみようかしら?

 出来るかな・・・こんな無邪気な私に?

 明日はがっかりしませんように。

 いいえ、明日も、がっかりしませんように。








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26 January

卵のように軽やかに


 あー、もー、嫌よ!・・・って、遂に、顔を覆ってしまった今日。

 冷たいの、躯の芯がとっても冷たくて、眠れない。ゾクゾクして・・・これ、風邪のゾクゾクとは違う。今年は暖冬だって言われているのに、何てことかしら? ・・・お友達に、低体温症ではないの?・・・と言われて・・・私、冷え性でないとは言わないけれど・・・代謝が悪い方でもない・・・だって、太らないのですもの・・・ああ、痩せたからかしら・・・この冷えきっている原因は? 
 
 今日の私は、クラッシュした卵。クシャっとつぶれた卵・・・だわ。

 お昼、オーブンを使っていたら、ブレーカーがあがってしまう。我が家は3LDKの小振りな青い家、暮らしている人間はふたり&猫一匹。40Aで十分なのに、しょっちゅうブレーカーがあがる。ところで、全部あがってしまうわけではない。8つある小さなレバーのうちの一つがあがることがしばしば。それは1階のキッチンとTV、オーディオ界隈と、2階の暖房器具の電気回り。
 オーブンは余熱の段階でとても電力を使う。私は2階でルパンが暖房を入れて作業をしていたことをすっかり忘れていた。階下の居間にも暖房が。おかげで、パンクしたというわけ。
 ところが、このレバーが少し麻痺しているのか、何度戻そうとしても、戻ってくれない・・・カチッと音がして、下りてしまう。
 オーブンの中のものは、冷えたまま、ずっとずっと”おあずけ”・・・昼下がりまで。

 そのまま、雪崩のごとく”グレて”しまう私・・・どうしようもなく・・・。

 午後も何をやってもはかどらない。・・・頭が悪いんだわ、躯は冷たいし、心だって、冷たいかも知れない。コーヒーも少しも暖めてくれない。こうなったら、お酒か・・・と思うけれど、”それをやっちゃぁおしまいよ!”・・・きっと、もっと、”グレる”・・・かも。

 何もかも、放擲して、乱読してみる。・・・手当たり次第、目に入った本を読んでは投げ、読み散らかして・・・身が入らなくて、顔を覆って・・・その繰り返し。
 
 夜になって、一冊の本を手にする。
 『卵のように軽やかに』(筑摩書房)著者はエリック・サティ。・・・あの、人を癒すようなシンプルな曲で有名な、サティである。・・・が、これを読めば、あのサティがどれだけ人間的だったか・・・が、わかる。
 おそらく、サティを聴いたことがあまりない方でも、親近感を持つこと、請け合いである。・・・音楽的なお話よりも、彼が日常に感じていた記録を読めば、ヒューマン・サティを感じることができる。・・・ジョン・レノンの『絵本レノン・センス』を連想したくなるわ!・・・ついでに、このサティという音楽家が、どれだけひがみっぽく、皮肉な男だったかってことも。
 そのサティの記録文の中のものを幾つかご紹介したい・・・

 <誰もが自分の意見を言っているから、私もひとつ言わせてもらおう。・・・もうちょっと”豚肉屋”のことを話したらどうだろう?・・・>

 <私が木の脚を持つためにつくられているのと同じように、人間は夢を見るためにつくられている。>

 <海は水で満杯だ。だから、わけがわからない。>

 <生き埋めにされたがっている芸術家が何人かいる。>

 <墓の中にいる時間はたっぷりある。>

 <私の夢・・・あらゆるところで演奏されること、でも、オペラ座はおことわり。>

 <ジャズは我々にその苦しみを語りかけてくれる・・・でも、「知ったことか」・・・。だからこそ、ジャズは美しく、現実的なのだ。>(・・・これ、この頃はまだロックがなかったからね・・・ロックがあったら、サティは、ジャズをロックに置き換えてくれたかしらね?・・・私なら、彼の”ジャズ”を”ロック”に感じる・・・ジャズも勿論聴くけれど)

 そしてこのような美しい詩も、書いているサティ。


     ”大きな階段のマーチ”

    とっても とっても大きな階段  
    千段よりも もっとある
    象牙で全部できている階段
    とっても 美しい階段
    だから 誰も登らない
    汚すことが怖くって
    王様でさえ
    一度だって 使ったことのない階段
    部屋から出る時は
    王様は 窓から外へ飛び降りる
    よく王様は こう言います
    「この階段、とっても気に入った。
     だから、剥製にしてしまおうと 思うんじゃ・・・」
    王様の言うことは
    とっても 正しいことでしょう?

             (『絵に描いた子供らしさ』第3曲)

 ・・・この階段は言うまでもなく、ピアノ・・・だわ・・・。


 そして、このような詩も・・・


      ”田園相聞歌”

    何が見える?
    小川はひどく湿っぽいのに 林は 丸太棒のように 燃えやすく乾いている
    だけど 私の心は とっても小さい
    木々は出来損ないの大きな櫛みたい 
    そして太陽 それは蜜蜂の巣 美しい黄金の光を放つ
    だけど 私の心は 背中で凍っている
    月は隣人たちと いざこざを起こしている
    小川は ずぶ濡れだ
    骨までも

               (『最後から二番目の思想』1)

 ・・・この詩は、まさに、今日の私のための、詩・・・だわ!


 明日のことは、わからない・・・。
 それでも、こんな時間になって、少しは遊び心が出て来たのかな・・・? 
 
 ビートルズの『アンソロジー』なんて、聴いているからかしら?

 「みんな歌っちゃうんだもの」と、ルパンに笑われて。

 仕方ないじゃない・・・

 昔むかし、『抱きしめたい』に針が落ちた瞬間のあの感覚。
 12歳の少女が『All My Loving』のポールの歌声を聴いて、顔を覆いたくなったあの瞬間。

 20代後半、ポール・マッカートニーの来日コンサートで聴いた『Can't Buy Me Love』で、思わず隣にいる川口君に抱きついてしまった私。


 エリック・サティは、”ヒップ”な男だったみたい。
 丸い眼鏡をかけて、髭面で、頭には帽子・・・。
 映画『HELP』の中の誰かさんみたいだわ・・・ラビの真似をした・・・。

 ならば私、『グレープフルーツ』・・・ならぬ『パッションフルーツ』・・・なんていう本でも、出版しましょうかしら?
 髪は長く、白い服・・・時には黒っぽく・・・頭には帽子・・・。
 煙草を吸って・・・

 でも・・・心は・・・
 
 
 卵のように軽やかに・・・。







 
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24 January

夜とピアノ


 目覚めてからずっと躯が冷たくて困ってしまう・・・おかげで動きたくても動けない。
 午後、ルパンは2階の部屋で録音している。ある音源に、ダビングをしているらしい。
 だから私は居間で静かにしていたわ。・・・聴こえてくるのは小気味よい音。それでも、寒くて仕方がない。

 午後4時半過ぎ、彼は新宿へ。今日もライヴである。
 私は、日が落ちる前に、家中に掃除機をかける。・・・動いたからかしら? ・・・少し躯も元気になり、お腹もやっと、空いてくれたわ・・・夕方になってお掃除なんて、嫌・・・だけれど、仕方がないわね。

 ゆっくり独りでお夕食をしたけれど、まだ冷たい。
 午後8時、床に仰向けになって、オフィーリアのように両手を投げ出した格好になってみる・・・そうして、天井に”YES”の文字を思い浮かべてみるわ・・・ねえ、この冷たさ、きっと、水の中に落ちてしまったオフィーリアも感じたことでしょうね・・・彼女は、もっと、冷たかったでしょうね・・・。
 私は寒さに倦怠しているだけよ・・・怠惰になろうとしているだけよ・・・このまま目を閉じて、ほんのひと時、微睡んでしまうこともできるけれど・・・だけど・・・。

 ああ、せっかくの独りの夜。
 
 私は階段を駆け上がってピアノの前に腰を下ろす。

 弾いたのは、『戦場のメリークリスマス』のあの曲・・・”メリークリスマス Mr.ローレンス”。
 ここ数日、耳から離れなかった曲。とはいっても、我が家にこのサントラがあるわけではないし、この映画がヒットした頃、映画館に足を運んだわけでもない。デヴィッド・ボウイが大好きな私であっても・・・そして、'83年当時、音楽大学の学生だった私だが、この曲を弾いたことはなかった。その後も弾いたことなど、ない。
 ただ、数日前、耳にして・・・耳から離れないでいた。
 この曲をいい曲だと改めて感じたのも、ここ数年のことよ・・・確かに、いい曲。
 数日前に聴いたYouTubeを思い出して、鍵盤に両手を乗せる。

 坂本龍一氏が映像で弾いている音を受けとめれば、この曲、キーはC♯。イントロから、何故か自然に音を探ることもなく、指が動く。・・・テーマのコード進行も、すっと入ってくる。
 ガムランの音の並びを感じる旋律、東洋的な時間の流れを意識したスローなテンポ、西洋的なエッセンスという意味では、ラヴェルやドビュッシーのそれの影響がうかがえるわ・・・しかも、この曲のキーが、C♯(D♭でもいいけれど、私としてはC♯のイメージ・・・♯表記か♭表記かの違いだけで音階を弾けば同じ並びだけれど、ニュアンスはC♯だな・・・実際の譜面を確かめてはいないけれど)ということが、この楽曲の世界を反映している。
 C♯は、言うまでもなく、調号として♯が7つの表記である。ピアノだと、ほとんど黒鍵ということになる。が、そのキーであることが、魅力なのね。

 そうよ、作曲する者は、実はこのキーを決めることにも、想像力を生かしているの。何でもいいわけではないの。弾きやすいとか、そういう理由でキーを選ぶわけではないのよ。
 ・・・人の耳に、心に、如何に伝わるか・・・ということと、自分でイメージした音色世界が、このキーを決定する。

 ピアノは平均率だが、そこに微妙な色を与えるためには、このキー、大切なことなのだ。
 私は黙って、弾き続けた。終わることが出来なくなるくらい、弾いていて・・・それで、やっと、久しぶりにラヴェルを弾きたくなる。
 しばらくラヴェルと仲良しになっていたけれど、再び”Mr.ローレンス”に会いにいく。
 そんなことをしていて、うっかり時間が過ぎていくのを忘れていたら、もう、23時になろうとしていた。

 夜に、独りでピアノを弾くこと・・・これは、特別な時間である。
 大昔、まだティーンだった頃を思い出す。

 気がつけば、私の躯は、少しだけ温まっているみたい・・・。
 ”ありがとう Mr.ローレンス”である。

 居間に戻った私は、ネットでちょっと検索。
 すると、出て来たのは、この”Mr.ローレンス”の譜面たち・・・
 ・・・あららん? ・・・キーがCになっていたり(笑)。
 微笑ましいけれど、少し、眉をひそめたくなる。
 だって、キーがCでは、台無しなのですもの。
 あの心地よさは、C調では、伝わらないのよ・・・残念なことに・・・ね。
 黒鍵が多くて、すぐに弾きたいっていう方には、厄介かもしれないけれど・・・。
 本当にこの曲の心地よさを味わいたいなら、オリジナル・キーでお試しあれ・・・。
 もしもよ・・・もしも、誰かがCでこの曲を弾いている隣で、私がオリジナル・キーで弾いたら、それは、たった半音の差でしかないのだけれど、全く違って聴こえるはずよ。

 キーというものは、それほど、敏感で、かけがえのないものなのよね。

 ドレミファ・・・は、色々な表情を持っていて・・・それぞれ皆、違う顔しているの。

 例えば、Amは暗鬱で、Emはメランコリー、Gmは耽美だったり・・・これは私が何となく感じる印象だったりするけれど・・・そうね・・・人はどんな印象を持っているかしら・・・?
 でも、そんなこと、感じながら、音楽と触れ合うのは、素敵なこと。
 私にとっては、素敵なこと。

 嫌だな・・・こんな時刻に、理屈っぽい私って・・・。


 だけど、夜とピアノ。

 たった独りでも、温かくなれる。

 ・・・あら? ・・・戦メリ、弾いてるわ・・・珍しい・・・

 なんておっしゃるご近所さんもいたかしら?

 ・・・それとも・・・

 ・・・いい加減に、終わりにしないかしら・・・夜も遅くなってきているのに・・・

 ・・・とか・・・

 あの家、一日中、楽器の音がする日があるのね・・・

 ・・・なんて・・・

 でも、”メリークリスマスMr.ローレンス”が聴こえるなら、悪くない・・・なんて思ってくださる人も、何処かにいらっしゃるかも知れない・・・わ・・・。


 そう、信じることにして、そろそろ、夢に溶けましょう。

 天井に”YES”の文字を描きながら・・・。








 
04:00:22 | mom | No comments | TrackBacks