Archive for January 2008

30 January

HUMBLE PIE_HOPE_DANCING


  
 

 目隠しをした女は、弦が一本しか張られていない竪琴にしがみつき、地球の上に座っている・・・。


 絵は、"HUMBLE PIE"のアルバムの裏ジャケットでも有名だが、英国の画家G.F.WATTSの『希望』。

 このレコード、かなり久しぶりに聴くが、新鮮でもある。
 もしも私が'70年代のロンドンに暮らしていて、ボーイ・フレンドに連れていかれた穴蔵のようなライヴ・ハウスで、'I'M READY'あたり(マディー・ウォーターズの曲)を聴いてしまったら・・・なんて、想像する。

 因にこのアルバムの表は同じく英国の画家A.V.BEARDSLEYの『SALOME』からの挿絵、『ストマック・ダンス』。

 

 ヨカナーンの首を狙う少女サロメだが、彼女は彼を愛していた・・・謎めいた伝説・・・。

 
 前置きはここまで・・・
 本論、短く。 

 ・・・これだけの権利があったなら、どれだけの自由を作り出すことができるだろう?
 と、ふと、21世紀のこの国に、思う。

 そうよ、私は小さな民人ではあるが、祈りだけは欠かしたことはない。 


 私は今日、パイこそ食べなかったが、夕食後、珍しく甘いお菓子が欲しくなり、ひと欠片のマドレーヌを、口に入れる。

 そして、希み、踊り・・・

 
 神様が私を生かしてくれていることに感謝する。

 疑問こそ、あれ・・・。



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29 January

Sleeping Beauty


 


 薄い薄い藤色に優しい茶色のラインで薔薇の花を描いたカヴァーに包まって眠った昨晩。
 夢を見ていた私は、その物語の中で、悲しんだり、怖がったり・・・忙しいのだけれど、その夢と戯れたことが、決して悪い暗示ではないと、信じて起き上がる。


 「羽根枕の脇で香るのは、薔薇・・・」などと、昨日、ここのページに綴ったが、今朝、目を覚まし、庭を見て、びっくりした。

 私の小さな庭に、小さな薔薇が、咲いているのである。
 葉の陰に隠れるようにして・・・だけど、太陽の方を向いて・・・。
 
 ・・・今朝まで、あなたに気づかなかったわ・・・ごめんなさいね・・・。
 ・・・でも、どうして、知らせてくれないの・・・ここにいる・・・って。

 通常、5月の連休のシーズンと、秋になる頃に咲く、この薔薇の色は、サーモン・ピンク。
 ところが、今朝、開いた花の色は、クリーム色に近いピンク・・・こうして夜の写真としてしまうと、黄色がかって見える・・・ううん・・・私はこれを、"カスタードのような色"、と、今、言い切ってみましょうか・・・。


 


 ここ一週間はとても寒い日の連続で、数日前には、雪も降った。
 それなのに、その、寒い時に蕾を膨らませようと努力して、漸く、今日、ひっそり咲いたのよ・・・。
 

 実は、以前にも、寒い時期に一輪だけ、薔薇の花が咲き、その花は、春・・・3月まで枝から落ちようともせず、じっと冬を耐えたことがあった。
 それは、'05年の11月の終わりの頃で、私はその、ひとりぼっちの冬の薔薇に、毎日微笑みつづけた。
 彼女は凍ったように動かず、沈黙しているが、明らかに生きているの・・・もの言わぬ可憐な美しさ・・・眠っているようにも見えるし、首を傾げて考え事をしているようにも見えたわ・・・。

 おかしなもので、毎日その姿を見ていると、自分をその花に投影しているような気持ちになったりする。
 そして、こんな寒い季節に狂ったように咲いてしまった花が愛おしくて・・・その花は、何か私にとっての大切な存在が、薔薇となって此処に現れてくれてたように、思えてくるの。

 見つめることしか、花を想うことは、出来ない。
 しかし、見つめることは、心を通わせている証拠。

 ・・・あなたは私に何も打ち明けてくれないのね。
 ・・・それも、いいでしょう・・・だけど私は、あなたの寝息を聴いているわ。
 ・・・ええ、あなたの生を感じているわ。

 ・・・或は、あなたは、あの時の薔薇なのでは、ないかしら?
 ・・・同じように、枝の先に咲いたあの薔薇と、同じ、あなた・・・。

 だったら・・・

 ・・・ねえ、春が、暖かな南風がこの庭で踊る春が来るまで、一緒にいましょう。
 ・・・一緒に、いて・・・。

 ・・・ねえ、その窓の向こうから、私に叫んでも、いいのよ・・・。
 ・・・『嵐が丘』のキャシーみたいに・・・

 「私よ、キャシーが此処に、いるのよ! 窓を開けて、私を入れて!」
 ・・・って、私を困らせたって、かまわない。

 ・・・あなたが、薔薇の花のような男だったとしても、かまわない。

 ・・・もしもあなたが男なら、私は棘を嫌うこともせず、あなたを抱く。


 そうして、時々、暖かな日だまりの中で、私と午睡をしてちょうだい。
 
 春が来るまで。

 目覚める時も、眠る時も、あなたを、想うわ。


 雪になるのかしら・・・これから・・・?

 寒くても、一緒よ。


 Sleeping Beauty・・・

 天井に、"YES"・・・




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28 January

オフィーリア、うららかに眠りて、篤姫、うららかに、生き

 
 


 日曜日、冷たい風ではあっても、それは爽やかで、どこにも、意地悪な顔をしないでベランダを通り過ぎていく。
 
 私はベッドのシーツを変える。
 速やかに掃除機をかけ、夕刻になるのを、待つ。
 夕刻を過ぎれば、その新しいシーツに包まって眠ることが、待ち遠しい。
 待ち遠しいけれど、早々と眠ろうとは、思わない。

 思わないけれど、それを想像すると、
 そこに行き着くまでの時間を、楽しみたくなる。

 オフィーリアは、川に浮かび、眠る。
 この絵画の姿が、私の日々の憧れなの・・・。
 『ハムレット』、第4幕7場・・・

 彼女を取り囲んでいる花々は、皆、彼女の姿を密かに象徴していて・・・。

 ケシの花は・・・死を。
 薔薇の花は・・・若々しさを。
 スミレ・・・信じることと、若くして死すこと。
 デイジーは・・・無邪気さを。
 パンジーは・・・虚しく悲しい愛。

 ・・・半開きのオフィーリアの口元は、何かをそっと吐き出した印。
 
 ・・・それは、愛を丸く白い形にした魂・・・

 ・・・繭のようであり、凍った白いキューヴのような、精神・・・。

 

 大河ドラマ『篤姫』、年明けから毎週、観ている。
 彼女の無垢と、お転婆ぶり、"知りたい"という好奇心に、私はとっても好感を持っているらしい。
 
 ・・・白状すると、少女の頃の自分に、よく似ているように思えるから・・・かしら?
 ・・・思慮する割には、案外、単純・・・感化されやすく・・・

 また、大人のお話に、こっそり耳を傾けては・・・

 つい、一言・・・漏らしてしまい・・・

 「子供が口を出すことではありません!」・・・と、お小言を言われたり・・・。

 歴史を感じさせてくれる本が好きで・・・どちらかというと、冒険物語が少女的な物語よりも身近だったりした・・・。
 星や月・・・神秘なことに憧れ、そうよ・・・亡霊とか悪魔とか・・・階段の隅に現れてくれないかしら・・・と、願ったり。
 または、大泥棒とか・・・そう、「3億円事件の犯人は、実は、私なの」・・・なんて、言ったりして・・・。

 篤姫・・・彼女の運命はぐるっとこれから変わる。

 何でも話せて頼りにしている大好きなボーイ・フレンドとも、会えなくなるかも・・・。

 そんな篤姫は、幕末の日本に浮かぶ花のように生きたのだろう。


 オフィーリアは、『ハムレット』の世界では、実は、脇役・・・謎を感じさせる少女ではあったが、彼、ハムレットの存在を引き立たせるだけで、登場の意味が終わるようにも考えられる・・・だからこそ、後に創作者が心の内で、彼女の面影を想像し、描きたくなるのだろう。

 篤姫は、徳川から明治に移り変わる時代を旅するように生きる。
 彼女はたくさんの人のことを想い、心を傾け、信頼され、生き延びる。


 両者とも、自分のことを思いこそしながらも、他者や国、時代のことを想いながら暮らしたのかもしれないわ・・・奉仕の心・・・聖女のような寛さ・・・。


 オフィーリアは水に浮かび、篤姫の枕は、面積の狭い高くて堅い枕。
 私の枕は、フワフワした羽根枕。

 
 眠れぬ夜を愉しむなら、ミレイ・・・。


 このような愉しみを、私は、どれだけ繰り返しているのだろう?

 
 しかし、数年前出版された或る英国の作家の『オフィーリア』・・・このフィクションでは、彼女、別の顔を見せているのよ。


 勿論、羽根枕の脇で香るのは、薔薇と、言いたい私である。


 ・・・3億円を強奪したかもしれない遥か昔・・・不老不死のごとく、生きつづける、修行中の魔女のごとく。



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25 January

感覚と視覚・・・花嫁のように


  


 豊かに波を打つ髪を広げた彼女は、'60年代から'70年代のヒッピー娘を連想させるかもしれない。
 表情は露だし、声なき言葉を胸の底で呪文のように唱えているよう・・・。
 彼女の指先は繊細に描かれているが、彼女の精神は、燃えているわ・・・。
 どこに向けて、その精神を羽ばたかせようとしているのか、それは、彼女しか、知らない。
 憧れと秘密を持つ女の本心は、その衣装と同じように、流れる髪に隠され、象徴だけが、中心に抱かれる格好で強調される・・・。
 

 ここ数日、感覚的にあり、それが、とても心地よく私を支えてくれる。
 とはいえ、これまで、ほぼ感覚で生きてきたような私なのだから、特に、珍しいことでもない。
 
 ・・・手探りをするように生きる。
 ・・・聴こえてきたものに、敏捷に近づく。
 ・・・恐怖について、臆病になりきらない。
 ・・・怪奇とばったり出会ったとしたら、後ずさりせずご挨拶するように心掛ける。
 ・・・思いつきを、愚かとは絶対に思わない。
 ・・・好きであることを、恥じない。
 ・・・精神の作用に忠実であること。

 そして、視覚的であること。

 自分が居る場所において、眼の中に映ることを見ようとするだけではなく、自分が居ることのできないような場所に存在しているような視野を、感じたい。
 
 視覚というものは、逃げ場さえ失わせるようなズバリとした値を私たちに与えるが、それを遥か越えたような幻視を見ることを求めたいの。

 例えばこんな科白を思えば、解りがはやいかもしれない・・・「そこに、あなたが居なくても、あなたが視える」。
 かなり陳腐で常套的な言葉だが、所詮、そういうものへの憧れが、人の心を広げるはず。
 
 で、その広がる心というものは、「小さな日常を大切にしながら・・・ています」・・・というようなサイズでは、足りないもので、それ・・・即ち、広がる心というものを漏らした時、それを人が、「理想でしょう」と、笑ったとしても、低く穏やかに微笑み返し、「それも、いいでしょう」と、あっさり頷くくらいの確信たっぷりの感覚が必要なのではないかしら?

 視覚、飲み込まれるほど大きくとも、怯えず。

 感覚、好きな色を惜しまず与えるように、大胆に。

 この、全身で正体を現している女の、夢見がちな表情に、共鳴するわ。

 ・・・彼女は、『花嫁』を、夢想しているの・・・。

 素敵でしょ?

 

 
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24 January

雪と緑と橙と

 
 



 絵の中の女のように・・・在る。

 予報よりも遅れたが、雪が降った23日。
 
 夜、温まろうと、小さな橙色のお鍋をいただく。
 

 ほっ・・・。




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