Archive for May 2008

31 May

suddenly i open a window...




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suddenly i open a window, and feel the cubes......there are many kind of stars.
then, wind like a hair of the venus is passing through.



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these are parts of the books about John of the English version which i bought in the days of the teens Tokyo.
oh......it is already old days : )
but i remember these days now...it's like a silver screen...


Risa x






14:38:59 | mom | No comments | TrackBacks

30 May

Mr. Nishiwaki & Mr. Sakurai & Jane M...



  
 
 
 また、雨。
 どうも今年の5月は不安定。こんな調子だと、今年は冷夏なのではないかと思ってしまう。
 ここ数日は晴れ間がつづき、梅雨までの麗らかな時期を自由に・・・なんて思っていたのに・・・お空には敵わない、素直に従いましょう。

 いいえ、違うわ・・・ほんの数日前、強い女についてのお話を女友達をしていたばかりよ。女神信仰するなら、空模様などに振り回されていては、いけない。

 ところで、昨晩は”さかな”の西脇氏が我が家を訪れてくださった。
 6/9、下北沢leteにて、西脇さんとチェリーのライヴがあるのだが、そのリハーサル。
 階上からは、リハというより、シンプルな打ち合わせでもしているような雰囲気が伝わってくる。そして、あっという間に終了してしまったみたいな気さえする。
 しばし居間にてお話をしていたのだが、西脇さんの静かな物腰と、少し開いている窓から吹く風の心地が何ともよい。

 本番が楽しみである。


 


 西脇さんが帰宅してからの深夜、私は何となく最近、気休めにMySpaceのplayerに幾つもの曲をアップして時々遊んだりしていたのだが、それを聴いていたチェリーにおもむろに言われる・・・。

 「あなたってさ、静かな曲、入れないの?」

 「入れてるけど・・・これとか・・・」と、ヴェルヴェット・アンダーグランドの”Sunday morning”。

 「ドラム、入ってない曲とか、ないの?」
 「ない」
 「ここで聴いているとさ(床に寝そべっている彼である)、チキチキチキチキしているんだよね(笑)」
 「今はね、元気にしてくれる曲が必要なの」
 「そうですか」
 

 明日も冴えないお天気らしい。
 が、女神崇拝者たる者、庭に繁るローズマリーの葉を輪にして、頭に翳しながら、ちょっと欲張りになるのである。



 pic1: 煙草を吸うMr. Nishiwaki & Cherry
 pic2: Mr. Nishiwaki & Me


 天井には、"YES"・・・







01:40:03 | mom | No comments | TrackBacks

28 May

sympathy for the Venus...



 
                 Marianne Faithful / song for Nico


 夕方、ふいにひとりで車を走らせたくなった。
 ほんの少し、出かけてみれば気がすむのである。
 昼下がりなら、歩いて出かけただろう。
 が、今日は色々やっているうちに時計を見れば17時をまわっていた。
 何だろう・・・初夏のような気候の、夕暮れの街というのをひとりでドライヴしたくなったらしい・・・。
 相変わらず、馬鹿である。

 そうすると目にとまるのは、昼間は閉め切られ、ひっそりしている夜の店の入り口などである。閉まった状態だと非常に虚しく佇んでいるように見える店舗が、夕刻になると人肌を待つような色のある清潔な暖簾を翻す・・・今日の夕方の風は穏やかであり、商売の顔を紫色で表現するその居酒屋の暖簾の色が、日の長くなった5月末の青い時刻と重なり合う。

 勿論、店舗の前をあっという間に通り過ぎてしまう車である。
 ハンドルを握る私の手は軽く、そして、胃袋の軽くなった頃である。

 蕎麦屋に入る。
 客はまだ誰もいない。
 私は「こんにちは」とご挨拶し、テレビの近くに席をとった。
 手にしているのは一冊の文庫本・・・あまりに美しい文章なので、勿体なくて勿体ぶって読み続けている。フランス・・・のことが書かれているのだが、作者が若い頃(恐らく'60年代だろう)、パリに無理矢理留学した頃の経験と、或るフランスの女性作家に対する想いを交差させながら綴られた作品である。
 私には、作者の気持ちとそのフランスの女性作家(私の敬愛する作家である)が微分積分しているように感じられてくる。・・・微分積分と書いたが、ここでその数学についての突っ込みは、止めてほしい・・・文章の遊びが台無しになるから・・・我が儘で失礼、しかし、これは、私のpageなのだから、自由と権利は私にある・・・sorry・・・。

 と、無駄なことを言ったが、ただ、昨日から無性にお蕎麦が食べたかっただけなのである。
 車で出かけたので、ビールも無し、ふらっと出かけたので、煙草も持たない。店の中には、私ひとり。ただただ、NHKの夕方の放送が流れているだけなのである。それを聞くわけでもなく、見るわけでもなく、注文した天ぷら蕎麦が私の目の前にくることを、本を読みながら待っている。胡麻油の香りが漂い始め、天ぷらが揚げられるジュワッという音が鳴る。蕎麦茶を口にすれば、自分が日本人でよかったなどと、ホッとする。

 しかし、目に入ってくる文章はパリの光景なのである。
 ・・・彼女は第三世界の留学生と寮で暮らす。彼女は中年の寮長のことを愛すべき女性として見なしている。彼女は気の強いフランス女性を目の当たりにして彼女と自分の価値観の異なりや文化の違いを思い知る。思い知るが、恨めしくなど微塵も思っていない日本人の彼女である。船でフランスに渡った彼女だった・・・その時代、飛行機で渡欧するより船を手段にする日本人は多かったという。小沢征爾氏も、船で渡った・・・氏は、港までバイクで乗り込み、船に乗った。飛行機が一般的になるのは、'70年代になる頃だったかもしれない。実際、私の叔母がロンドンに渡ったのは大阪万博の一年後あたりだったと思うが、その時代でさえ、随分なお金が必要だった。叔母は非常に頑固者なので、祖母の反対を押し切ってロンドンに留学した。ただひとり、叔母の願いに賛成したのは、一番上の兄である私の父だけだった。

 天ぷら蕎麦が運ばれるまで私が読んでいた本の作者も、反対を押し切ってパリに渡った人である。経済的には恵まれていた女性であろうが、現在と比べたらどれほどの覚悟があったか知れない。そういう孤独や、初めて見る西洋の建築や文化、思想、或は思考に、今から40年の昔にただひとりで体当たりし、磨かれていく日本人女性の憧憬と進歩的な視点に目を潤ませたくなる私であった。

 目が潤みそうになる頃、天ぷら蕎麦が置かれる。
 いい具合に、目頭を熱くするより先に、口の中が熱々の天ぷらで熱くなる。
 よいタイミングである。
 今宵、お肉ではなく、海老を栄養源として取り入れるなら、少々の油が必要だったようである。 
 私は標準的カロリーを欠くと、躯も頭も機能停止してしまうようにできているらしい。・・・いや・・・強制終了させないためにも、必要なエネルギーがある、誰にでも。 


 今宵のシステム終了まで、あと、わずか。


 Marianneの歌とともに想い出されるNikoの面影である。
 共に'60年代を生きた美しい女性。
 ひとりは生き残り、ひとりは亡くなった。
 彼女達は当時、闘っているなどという意識はまるで無かったかもしれないが、精神の、または、心の裡のどこかの箇所では、目に見えない何者かと、闘っていたかもしれないわ・・・。

 それこそ、人間の心の中に潜む、亡霊・・・Devil・・・・・・・かしら?

 そう、女が闘う相手は、男でも女でもない。


 ...melancholy features are true beauty...ever and forever.


 good night






04:23:57 | mom | No comments | TrackBacks

26 May

山羊の頭のスープならぬチキンのスープ



 

 
 「今日は何にしましょう?」と聞かれたので、
 「今夜はロール・キャベツにしようと思って」と、私はご贔屓にさせていただいているお肉屋さんの若旦那に言った。
 「じゃあ、これ、つかいますか?」と、若旦那。
 それは鶏のガラである。丸ごと、頭までしっかり貌通りのガラである。
 今朝まで生きていた、鶏である。
 うわっ!
 と、一瞬、たじろぎたくなるような姿を見せられて、思案する。

 若旦那はその全貌を当然のように掴んで私に見せてくれる。
 頭の部分・・・殊に、目元と鶏冠の部分が艶かしい。
 しかし、美しい貌のまま、削ぐ事のできる部分を見事に差し出した姿となって、5月24日の午後3時少し前、私の目の前に在る。
 
 「丸ごと、くださるのですか?」
 何を言うか、李早・・・これは売り物なのかもしれないでは、ないか・・・。が、しかし、もう、遅い。私は只でいただけるような受け答えをしてしまった・・・何と言う、図々しさ・・・しかし、只でいただけるなら、只でいただきたい・・・それが、女盗賊の心意気というもの・・・。

 確かに、このお肉屋さんの鶏肉は美味しいのである。大手のスーパーでさえ、もう買いたくなくなるほど、新鮮な味。
 だが、その日に鶏ガラをそのまま家に持ち帰りスープにしようとは全く考えていなかった。ロール・キャベツを煮込むとしても、市販のコンソメを利用して作ればそれでよかった。
 が、結局私はその鶏ガラをいただいてきたのである。

 「所々に包丁を入れておいてください」と、若旦那にお願いした。そして、「頭の部分・・・どうしよう・・・」とブツブツ言っていたら、若旦那曰く、
 「ここに旨味があるんですよ。特に、鶏冠なんか」
 「そうですよね・・・ええ・・・そうですよね」と、私。
 「水のうちから煮込んでください。ウチのは新鮮なので、二度茹でしなくてもいいですよ。よく一度沸騰してからお湯をすてて、鶏を洗ったりしますが、そうすると本当に透明なスープになりますね。でも、洗わずにスープにしてもコクがありますよ。明日になれば、ラーメン屋さんにまわしてしまうんです」
 もう、グロテスクな姿を恐れているつもりはなくなった。
 そうよ、料理が好きなら、何でもしなくては・・・あの・・・蒼い目・・・どこも見ていないけれど、蒼く透き通った鳥の目を見て・・・もう、元・鳥なのよ・・・肉を見ているのもガラを見ているのも同じだと思いなさい・・・。
 私は情けないことに、そんなことを自分に言い聞かせながら目の前で包丁を数カ所入れられている亡骸を見ていた。

 お肉屋さんを後にしながら、その鳥の亡骸の重さを噛みしめて家に戻った私である。
 さあ、これからこの鶏ガラを煮込むのである。
 階上からは、チェリー・ルパンのギターの音が聞こえる。ちょっと・・・ちょっとでいいから、キッチンに顔を出してはくれないかしら・・・そのようなことが頭を横切るが、さっさと鶏を取り出し、お鍋の用意をする。
 ああ・・・この頭・・・この、目・・・私は合掌した。あまりにリアルなその姿に触れることに、震えそうだった・・・新鮮なのよ、新鮮・・・考えてみて・・・これが一日経ち、二日経ったものだったら、もっと・・・そう・・・もっと・・・醜いかもしれないじゃない・・・綺麗よ・・・あなたの亡骸は、綺麗なのよ・・・。

 検死官になったと思えばいい。これは、遺体であり、私はこれを観察する。
 観察というのは、何事においても大事なのである。
 しかも、一度やってみれば、後はもう、慣れるだろう・・・私のように、単純なものは、なおさらである。
 しかし、何がといって、この体温も無い冷たさ・・・そして、皮・・・これは、小さな頭を覆っているのである。
 ・・・目を、できるだけ、見るなよ!
 気の毒になるから。

 私はその鳥をお鍋に入れた。
 折り曲げて、入れた。
 水の中に、供養するような気持ちで、入れた。
 後はグラグラと煮立つのを待つのである。
 石川五右衛門のような鳥である。
 
 やがて、沸騰した。 
 どうしようかと迷いながらも、私はお湯を一度流し、鶏を洗うことにした。
 その方が透明なスープになるから・・・ロール・キャベツからも出汁が出る・・・今日はスッキリいただきたい。そして、もしもスープが残れば、それをまた別に利用したい・・・お雑炊にするとか・・・冷凍キューブにして保存したり・・・。

 綺麗に洗い流しながら、鶏の頭をそっと見れば、買ってきた時には開いていた目が、閉じられている。

 その時、私は涙が出そうになった。
 
 ありがとう・・・あなたの躯を提供してくれて・・・だからきっと、美味しいお料理にするわ。

 再びお鍋に戻し、改めて煮込む。
 灰汁など、ほとんど出ない。 
 香りが漂って来る。
 やがて、ロール・キャベツを入れる。
 新たに、よい香りが漂う台所である。
 
 仕上げは塩と胡椒のみ。
 白ワインを入れるとか、ブーケガルニを入れるとか、そのような策もなにも考えず、出来上がったロール・キャベツとそのスープの味は、何とも優しく、品がよく、シンプルなお味なのである。

 食事をしながら、あまりに満足ではあったが、あの、鶏の頭に触れた感触と、あの目・・・閉じてしまった目も含めて、何度も、何度も私の頭に浮かび上がった。
 
 糧というものに、こうして感謝するものなのだ。
 切り身とは全く異なる感覚で、今日は、肉というもの、骨というものに触れた気がした。
 

 思うに、料理好きの人というのは、きっと、優しい人間に違いない。


 作るという作業には、二種類あって、材料が形としてあるものを変化させる作業と、形の無いところから形を産む作業がある。
 料理とは、素材が必要なものなのだから・・・つまり、私たちは空気のようなものを口に入れるわけではないので、そもそも形在るものを変化させるわけである。
 だから、その素材に敬意を持つ事も、料理の醍醐味なのである。

 それとは逆に、音楽や文章を作る作業は、形の無いものに、存在を与えることにある。
 とはいえ、音楽は空気の中に漂うものであり、文章は食べられず、紙や液晶などの上に浮かび上がるだけである。
 口に入れたり、手で感触を確かめたり、香るものではないが、それだけに、どのようにでも味わうことができるわけで、これは、非常に、都合のよいもの・・・作品で、ある。
 誰も、何も、傷つけず、殺さない・・・という意味においては、如何にも、平和的でもあるが。
 しかし、恐ろしいのは、その手に触れる事ができないだけに、心に触れるものであるということである。


 昔、母がこのようなことを私に言ったことがある。

 お菓子を作る人に、悪い人はいない・・・と。

 母は栄養と料理の専門家であるが、それでも、お菓子を作る人と限定して言ったのが何故なのか、未だにわからない。
 おそらく、何となく声にしたのだろうが、私の母としては、よいことを言うと実感させられた。



 上にアップした画像は、あまりに悲しい画像であるが、空気を作ろうとしている姿のひとつの例・・・か・・・。
 同じ頃のビートルズよりもミゼレーレである。ブライアン、楽器さえもうマトモに弾けなくなろうとしている頃・・・足、引っ張ってます・・・。
 が、私は彼が好き。
 どんなに駄目でも、好きだと思うと、それでいい。
 
 プールに落とされ、気づく間もなく死んでしまうまで、どれくらい?・・・な、時期・・・華々しくバンドを引っ張っていた'60年代半ばまでの彼の姿はここには無い。
 新鮮を失った彼の姿・・・stonedな姿・・・悲哀・・・バンドから去ってくれと言われても仕方ないが、ブヨブヨとして更に鮮度を欠いて消えるなら・・・・・・・・・・・
 ああ、もう、このへんで・・・。
 late greatと思っているだけで、いいわ、私。


 人間の最期というのは大切だと父に教えられた私である。
 ・・・如何に死ぬかだぜ・・・と、パッパは言ったことがある。


 それを思うと、昨日の鳥は、素晴らしい。


 鶏ガラスープ、ラーメンのお汁としても最高だろう。
 癖になりそう・・・

 もう、あの蒼い目に怯えることも、なくなるだろう。


 しかし、今、私は疲れているらしい。
 ふと、今日は、そのような事、感じた。


 明日は、取り戻さなければ。






04:10:27 | mom | No comments | TrackBacks

25 May

昼寝と酒場



 
                 Rolling Stones / Down Home Girl

 さっき昼寝をしながら夢を見た。 
 12時頃のはなしだから、本当に、昼寝である。

 夢の中で私は酒場に行く。ぶらぶら歩いていたら、小さな児童公園の前でウッド・ベースを持った博史さんに会う。偶然なのか、それとも待ち合わせなのか定かではないが、「嬉しいなぁ、京都行きたいなぁ」などとおしゃべりしながらしばらく一緒に歩く。飲み屋に入るためにしばらく歩くことは、決して怠ってはいけない。つまり、すぐに此処にしよう、などとキメルことはヤボなのである。例え落ちつく場所を知っていても、しばし、歩かなければいけない。これが、飲ん兵衛の掟であろう。
 やがて我らは一軒の酒場の暖簾をくぐる。複数で集合して座敷を占拠している初老の男女がいて、彼らは一斉にこちらを見る。見るのであるが、そこには知った顔もある・・・私の実家の隣のおじさんやら何者やらが揃ってこっちを見るのだが、私は相手を思い出しても、相手は私がわからない。
 さて、博史さんと共に店に入った私に、店員が言う。
 「何名さまですか?」
 見ればわかるだろうと思いながらも「2名」という。すると、
 「ああ、2名さま・・・ただ今席がいっぱいです・・・」と答えられる。
 ところが向こうを見ればカウンターが開いている、2名ゆっくり座れるのである。だからそのことを言うと、「ちょっと待ってください、今、店長に聞いてきます」と言って消えた。
 店内は賑やかである。私と博史さんはぼんやり待っていたが、博史さんはベースを抱いて微笑んでいるだけで何も言わない。
 店内には大きな水槽があり、この中で泳いでいる魚をさばくのだろうな、と普通なら感じるとおりにガラスの向こうを覗けば、そこには金魚ばかりいる。何だ、と興醒めし、今度は反対側の壁のあたりをふと見ると、パン屋のごとく陳列されているパンどもがいる。私はパンでも齧って席に連れてイカレるのを待っていようと棚を眺める。何故か、甘いパンしかない。サンドイッチが目に入ったと思えば、それは苺と生クリームを挟んでいる、ハム・サンドにさえクリームが挟んである。駄目だな、と諦めようとしたら、胡瓜のサンドイッチを発見、これにだけはクリーム無しである。よし、これをいただこうと、脇にあるトレイを手にしようとすれば、老婆が何枚も何枚もトレイを掴み、私に渡さない。腹が立ったが相手が老人なので、喧嘩はやめることにした。すると、漆塗りのお盆が一枚あり、私はそれに胡瓜のサンドイッチをのせ、レジに向かう。レジは入り口にある。
 入り口に差しかかろうとすると、そこで小競り合いをしている若い男達に遭遇する。物騒な事に、ひとりが刃物を持っている、小さな包丁である。もうひとりは丸腰のまま、向けられた刃から身を引こうとしているのだが、思わず私はその包丁の先を手で掴んでいた。包丁男はラリっているに違いないと相手の目をじっと見つめてみた。どんよりしている。これでは力も出ないだろうと、私はその包丁をそのまま引ったくり、「酒と薬を一緒にヤルと、あの大きな水槽の中に落ちて死んじゃうよ」と言った。男は私に掴み掛かろうとしたので、私は包丁を向けてやった。有り難い事に、男はそれ以上絡むことはなく、私と博史さんはレジに向かう。せっかく楽しく呑みたいのにうんざりしてしまいながらも、このままレジでサンドイッチを買って、もう、こんな店にはオサラバさ、と思い、レジの人に「この包丁、ひとりで歩いてました」とお返しし、博史さんの方を向いて言う。
 「どうしよう? こうなったら私の家で呑もうか? で、今夜は泊まっていったら?」何だか誘う女のような科白だが、そこは良き友情、通奏低音、即ち音楽家という間柄と思っていただきたい。
 ところで私の後ろに立ってる博史さんを見れば、彼は手に中ジョッキを持っている。やはり微笑んでいる。
 「どうしたの、そのビール?」と尋ねれば、
 「そこにいる人がくれた」と言う博史さん。
 「そこにいる人?」と訝しく思いながらも博史さんが指差した方を見ると、そこには、また知った顔の人を発見する。
 何で彼がここにいるのだろう? そうして彼はこちらを向いて手招きしてくださっている。では、合流か、と思いきや、その人は私たちに言う。
 「ここは混んでいるから、別の店に行こう」
 その人について、私たちは外に出た。漸く辺りが暗くなりかけてきた時刻なのである。まだ明るいうちからあんなに騒いでいた先程の酒場に集う私の実家のご近所さんたち、あれは一体、なんだったのだろうと思いながら、私は手にしていた胡瓜サンドをひとつ博史さんに差し上げた。
 次に向かった酒場は坂道を登った処にあった。こんな処に建てられるなんて、さぞや商売気の無い店だろうと期待することをやめようと考えたが、中に入れば悪くはない。
 ところで、ここにももはや集って酌み交わしている組がいるのである。私たちを誘ってくれたその人は彼らと顔見知りらしく、相席することになる。いつの間にか、博史さんは皆と意気投合していてあの独特の柔らかい口調で何やら音楽のことなど話している。
 私の隣に座っている男性は、皆からIと呼ばれていた。I・・・どこかで聞いたことのある名前と顔なのである。色白で華奢な体格の人である。相手も私とはじめて顔を合わせるわけではないような物言いである。I・・・I・・・I君・・・とずっと思い出していて、やっとわかったI氏であった。
 「あなたは、もしや、昔、大学時代、私の友人のY君と親しかったI君ではないかしら?」私は彼に訊ねる。
 「そう、Yと友達だった」
 「○○○○っていうバンドでギターを弾いていたI君ね? 四谷フォーバレーに私を誘ってくれたことがあったわね」
 「そう、やっと思い出したね」
 「私、あの晩、車で出かけたな・・・帰りに原宿のカフェロペでお茶を飲んで帰った。夏だった」
 「ボブ・マーリーの話をしたよね」
 「ああ、そうだった! 一度、Y君と遊びに来てくれた時ね、私はその頃、ボブ・マーリーを毎日聴いていたのね、そんな時だった、夏はレゲエ、とかなんとか言いながら」
 「あの後、バンドは解散してね、就職した」
 「ふぅ〜ん・・・」
 糸井重里氏にちょっと似ていたI君である。今もその面影はある。その夏とは、私がチェリーとつき合いはじめるほん少し前のことだった。大学は別だったが、Y君というのはトランペットを吹くライダーだった。彼はバイク事故で歯を折ってしまい音楽大学に進むことをやめた人だった。もう、20数年前のことである。
 さて、この二軒目では、酒場らしい肴もいただけた。金目の塩焼きなど突つきながら呑んでいるのだが、私はだんだん家に戻りたくなってきた。で、博史さんに、どうする?とうかがってみれば、博史さんも腰をあげた。
 私たちは人々に挨拶をして外に出たのだが、とっぷり日が暮れていてもいい時刻なのに、つまり、それくらいの時間の経過があったはずなのに、外は相変わらず夕方の色なのである。
 ここまで連れてきてもらった私は、帰り道、普段なら迷ってしまうところである。
 ・・・ところで・・・であるはずなのだが・・・私はあたかもよく知った場所を歩くがごとく、一々通りの名前を口にだしたり、佇む商店の説明をしたりと、あたかもガイドのように博史さんに話しながら帰宅した。
 帰宅した瞬間、辺りはすっぽりと闇に包まれていた。
 門を開ける。不思議な気持ちで、門を開けたのである。
 何故なら、その門は、今の私の家の門ではなく、実家の門なのである。
 家の中は暗く、そこに私の両親はいない。留守なのか何なのか、私には皆目見当がつかないが、廊下を進み、台所に入った私は博史さんに声をかける。
 「何、食べる?」

 そこで私は目が覚めた。
 口の中には、昼寝をすることになるとは思わず、さっき飲んだミルクの味が充満している。
 ・・・ああ、あのサンドイッチに生クリームが挟んであった理由は、このミルクのせいだな・・・。
 ・・・しかし、どうして博史さんだったのだろう? ・・・この場面、この夢、登場するに相応しい人と言ったら・・・チェリーでないなら、勿論あの人・・・MachiTo(ドイツ語まじりで綴らせていただきます)さんだろう・・・どうしているかな、MachiToさん・・・。

 などと、ムニャムニャしながら天井を眺めていたら、本当にお酒が呑みたくなってきた。
 ・・・たまにはいいかな・・・今朝は早起き、昨夜眠りについたのは午前4時過ぎ、そして午前7時過ぎにはベッドから出たのである・・・午前中のうちにさっさと家事も済ませてしまったし、お夕飯はロール・キャベツがひとつ残っているし、お野菜もあるし・・・

 このロール・キャベツは昨夜料理したのだが、絶品なのである。

 このロール・キャベツのお話は、また深夜にでも・・・綴れたら。
 

 酒場と昼寝、というより、昼寝の酒場だな、これでは。
 こんな夢を見るということは、今日はかなり頭が緩んでいるとみえる。 
 相変わらず、馬鹿だな。

 さあ、いっぱいヤリながら、作業をしようか・・・吉田健一ではないが、”酒に呑まれた頭”で作業するのも日曜の夕刻ならよいかもしれない。

 ”酒に呑まれた頭”・・・近頃、書棚に見当たらないが、さては、チェリーの鞄の中だな。





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