Archive for July 2008

31 July

警戒が厳重なので私を置いて逃げました



 元金庫破りの父親を持つ娘が、軟禁状態で人質にとられている。
 娘は何も知らない。父親が金庫破りだったことも、自分が今、人質となっていることも。
 表向きは牧場経営者の悪党は、彼女の父親と取り引きするために彼女を呼び寄せたのである。
 その娘の父親に娘を助け出してくれと依頼されたルパン三世は、颯爽と彼女を連れ出す。
 が、何も知らない彼女は自分が泥棒に誘拐されたと思い、彼から逃れようと必死になる・・・「ジャジャ馬娘を助け出せ!」、ルパン三世シリーズ第21話は、キュートなお話。
 ルパン三世は彼女に振り回されながらも、彼女に父親の秘密は漏らそうとしない。誘拐事件を知った銭形警部は二人を追う。・・・森の中、廃線になった線路を蒸気機関車に乗りながら逃亡するルパン三世とリエ。
 やがて、リエは気づき始める。・・・この男と自分の父親の関係、そして、男は確かに自分を救い出そうとしているのだと・・・。
 蒸気機関車だったものは、やがてトロッコになってしまうわ・・・身ぐるみ剥がされたような状態で、廃線をグングン進んでいたのに、いつしか、そこからも逸れてしまい、道無き道を猛スピードで走り抜ける二人・・・。
「どうだい、こんな旅は?」とルパン三世がリエに問えば、思いっきり楽しそうにしている彼女である。
 やがて、約束の地点・・・橋が目前に迫る。
 警察はそこで彼を捉えようと待ち構えている。
 彼は彼女に言う・・・「さあ、パパのところに、まっしぐらだ!」
 寂しそうな顔をする彼女である。
 ルパン三世は彼女に確認するように、訊くことを忘れない・・・
「銭形に訊かれたら、何て応えるのか、言ってごらん?」
 リエは無機質な声で教えられた言葉を声にする・・・
「・・・警戒が厳重なので、私を置いて、逃げました・・・」
 ・・・そうだ、いい娘だ、本当の事は言ってはいけないよ・・・あくまで俺が誘拐犯人だ・・・
 橋のたもとに歩いていけば、そこには、彼女の父親が待っていた。
「パパ!」と、叫んで走り出す彼女。

 昨日につづき、『ルパン三世』1stシリーズのお話をしているが、この21話は、もはや、最初の頃のハード・ボイルドに溢れる内容とは異なっている・・・ジブリのショート・ショートを観ているような感覚の物語となっているが、私はこの21話がとても好きである。
 何故って、こんなドキドキするような破天荒な冒険の旅をすることが出来たら、どんなにステキだろうと思うから。

「黄金の大勝負」、第23話、最終回。どこか、もの寂しい気配をさせるストーリーだが、後にこの最終回が、'65年のイタリア映画、マルコ・ヴィカリオ監督の『黄金の七人』にとても似ていることに気づいた私であった。・・・銀行の地下に穴を掘り、そこから金塊を盗むというお話の映画・・・。
 実際に、フランスで、これと同じようなことをした男が存在した事実があるようで、その男は、『ルパンと呼ばれた男』だったとも、聞いたことがある。そのまま英国に逃亡したとも言われている。
 話は『ルパン三世』に戻るが、アジト撲滅作戦を計画した警部に対して怪盗たちが最後の砦にしていた場所が”夢の島”・・・東京湾を埋め立て、そこに都会のゴミを集め保管する場所・・・。
 彼らのやったことは、このゴミに象徴されるがごとき、世間に潜む卑俗に対する清掃作業のごとく読めないでもない。
 が、掴まるならすっ飛んでしまえ・・・の発想とともに、海に投げ出されるルパン三世である。
 
 ・・・私の記憶に、間違いがあった昨晩であった・・・
 銭形警部・・・「おい、ルパン、そっちはアメリカだぞ」
 ルパン三世・・・「じゃあ、中国にでも行きますか?」
 ・・・だったわ・・・。

 ニクソンと毛沢東・・・

 そして、もう少しで始まる、2008年北京オリンピック・・・


 7月30日は、Kate Bushのお誕生日であったようである。
 彼女、今年、50歳。
 私がKate Bushのレコードを初めて買ったのは、高校1年。
「ジャジャ馬娘を救い出せ!」のリエは、もしかしたら、それくらいの年齢の娘だったのではないかしら・・・なんて、ふと、思う・・・。

 
 


 Kateは歌いはじめるわ、こんな言葉で・・・

 ・・・私は私のブルーを見るために、時間を使うわ・・・
 ・・・私の部屋も気分もブルー・・・
 ・・・壁のブルー、口ずさむブルー・・・
 ・・・雲の間から差し込む太陽の光もブルー・・・
 ・・・私を見つめるあなたの目もブルー・・・



 私は幾つになっても、ジャジャ馬娘・・・






03:24:51 | mom | No comments | TrackBacks

30 July

'71/ルパン三世とその時代



 夕食後つい観てしまったBS2。'71年スタートの1stシリーズの『ルパン三世』。
 今宵のダイアリーは別のことを書こうかとも思っていたのだが、変更。『ルパン三世』について。

 もう何度かこの『ルパン三世』のことには触れてきたが、私にとって少女時代、何のTVアニメ(当時はアニメというより、お茶の間ではTVマンガと呼んでいただろう・・・)が好きだったか、と尋ねられて、真っ先に応えるのは、この『ルパン三世』である。リアルタイム、私は小学校3年生だった。日曜の午後7時半・・・それまではこの日のこの時刻はムーミンにはじまるフジTVのカルピス劇場を観る時間だったのだが、'71年の秋以降は日本TVに、「チャンネルは決まったぜ!」だったのである。クドいが、私はこの頃、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンを読んでいた頃でもあった。だから・・・
 ・・・20世紀のルパンがいて、彼が日本語を話し、様々な事件に出会うと、どうなるのかしら・・・それが楽しみだった。そして・・・
 ・・・私の中での19世紀から20世紀のフランスを舞台に、ユーモアと小粋とエレガント、そして、女を救う紳士としての怪盗ルパンと、この現代のルパンがどのように結びつけられるのかしら・・・そこに興味があった。

 私は幼い頃から世界の童話が好きだったが、実際にフランスという国について興味を持つ事になったのも、この小学生の私が体験した『ルパン』のおかげだったかもしれない。

 第一話は、「ルパンは燃えているか?」・・・これは謎の女として峰不二子も登場し、エロティックな箇所もあるが、レース・シーンがとても印象的だった。『マッハ・GO GO GO』などレーサー・マンガもあったが、『ルパン三世』の描き方は全く異なっていた。犯罪がらみのクールさ、そして、マシン(車)の描写・・・全てにおいて、子供が普通に着いて行けるような様子ではない。いや、当時の大人でさえ、よほどそういう世界に趣味でも無い限り、あの車、あの時計・・・といった小道具に敏感になることは難しかったはずである。
 話の場所(土地)は、どうも日本的とも思えないし、建物は完全に西洋風。・・・私は自分勝手に自分の知っている土地、そう、軽井沢など想像しながらTVに見入っていたのだが、そのような避暑地のイメージもうかがえるように出来ている。

 時代は'60年代の高度経済成長期を終え、大阪万博を終え、連合赤軍の時代を経る頃である。'71年というのは、絶頂と華やかを過去とし、どこか混沌とした時代の趣があった頃である。子供心に、何かひとつの境目のようなものを感じていた頃・・・そして、浅間山荘事件・・・。
 アンチであることが、良いのか悪いのか問いたくなるような時代だったのではないだろうか? やがて、オイル・ショックが来る。その期間、日本という国は、揺れた。そして運動を煽いだ若者の姿は静まり、髪を切る若い男性が増える・・・ベトナム戦争のことがニュースで聴こえ、それは、私の、私の記憶では、'60年代より、この'70年代初頭の方がこの日本では顕著に聴こえたような気がする。ニクソンと毛沢東・・・ウォーターゲート事件・・・そうよ・・・それから5.6年後に、私はジョン・レノンの『サムタイム・イン・NY・シティー』のレコードを買ったけれど、そういう時代だったのだと、ティーン・エイジの半ばに達する頃、色々なことを思いながらこのレコードを聴いた・・深夜にね。

 1st『ルパン三世』は、視聴率も悪かったのである。このことは当時から何となく感じていた。というのも、最初の数話は暗澹としたイメージがあり、とても大人の娯楽を意識しているからである。マンガ=アニメというのは子供のもので、大人が鑑賞するものではないという意識があったのだから仕方が無いが、私はそれでも、或る日曜日、若い女性が、「あ、ルパン三世、観ようかな」と、言ったことをよく憶えている。

 ・・・それは'72年のお正月のことで、私は親族のいる会社の女子社員と日曜の夜を共にしていた時のことだった。・・・それはスキー場の夜であり、私の家族は別の所で何やら飲んだりしていたらしいのだが、その女性社員は私と一緒にいてくれて、少女の私は、もの静かにしていたのだが、午後7時半になった時、彼女がその部屋でTVのチャンネルをひねったのである。それは、「七番目の橋が落ちるとき」とタイトルされた内容で、私は、その時、「ああ、大人の女の人も、ルパンを観るのね・・・」と、嬉しかった。彼女と私は初対面だったが、同じ部屋でふたり、その「七番目の橋が落ちるとき」を一緒に観た事は、忘れられない・・・彼女の顔を忘れても、それを若い成人した女性と観たことは、忘れられないのである。
 そこで私は、ああ、これはやっぱり大人のマンガなのだな、と感じつつ、自分がその大人の女と、この『ルパン三世』を共に観ていることに何か感動した・・・ただの馬鹿である・・・が。

 さて、この『ルパン三世』の演出を担当した人に、『ムーミン』や、映画の『アタックNO.1』、『オバQ』・・・等に関わられた、おおすみ正秋氏がいらっしゃるのだが、今宵のBSの番組でおおすみ氏がお話しされた当時の『ルパン三世』シリーズの逸話に感動してしまった。
 『ルパン三世』は、そもそも、『ルパンと呼ばれた男』(・・・だったと思うのだが・・・)と題されて、'60年代後半から週間アクションに掲載されていたのだが、これをTVアニメ化するにあたっての意気込みと熱意に驚かされた。
 アニメ番組を制作するにあたって、その企画ともいえる資料を各TV局に持ち込むわけだが、その”パイロット・フィルム”として作られた15分のアニメーション技術が、何と素敵なことか!!
 それを容認して企画成立となった『ルパン三世』だったはずなのだが、視聴率の低さに徹底的に打ちのめされた当時だったわけである。スタッフの嘆きをおおいに感じた・・・私が愛したその前半の数話など、最も視聴率が悪かった時期のことだったのは確かである。
 そして、おおすみ正秋氏は、「子供向けに番組を変えないか?」という局側の意見に同意することが出来ず、番組制作から降りたのだという・・・。

 男は、曲げられないものがある。曲げられない時期がある。譲れない気持ち(ハート)がある。・・・男と、ここで言う私であるが、この'70年代初頭など、まだまだ女の出る幕など少ない事情があるので、あえて、言うだけである・・・。
 皮肉を言うなら、男社会が支えていた時代、主婦の声にビビっていたTV業界ということにも、なる。ウーマン・リヴは'60年代(私がイメージしていたのは小野洋子さんやデヴィ夫人であったが・・・)市井にいては・・・「ざーます」と言い、セルの黒縁眼鏡をかけ、髪をアップにしたやや肥えた主婦がこの国ではイメージされるかもしれない・・・ドリフは駄目、巨人の星なら、まあ、いいでしょう・・・子供を家で守るのが主婦の仕事で、男=夫は会社人間。家計簿を管理し、PTAの役員になるのは母親の誉れ・・・しかし、この仕事は、ある程度社交的であり、夫の社会的地位や稼ぎがないと成れない役割・・・男は男の世界で闘い、女は女の世界で甲乙を思い知らされる・・・。不平等ではある。が、誤摩化すような平等意識が無かっただけに、原始的ではある。が、私は好きではなかった、私の家族も、私の父も母も、そのような・・・そう・・・生活レベル的な問題からは、かけ離れた所にありたかったようである。

 そういう意味で、私はやや特殊な環境にいたかもしれない。学校レベルや社会レベルからかけ離れたところにいつもいる家族という実感を要された。実に、私の両親の職業は、私のようなスレカラシを産む様に出来てはいない、どちらかというと、堅い職業に位置するのであるが、家族の誰も、「ルパン三世を観るな」とも、「ドリフを観るな」とも・・・何とも言わなかった。

 そして、私の両親がどういう者だったか・・・と、言えば・・・

 例えば私が10歳前後の頃、新しい”枕”を必要としたとする・・・デパートの寝具売り場をウロウロしていて、「これがいい」と私が指差したものが、子供的な可愛らしい絵柄の枕カヴァーで覆われたものだったとしよう(当時は今と異なり、枕でさえ、商品が丸ごとセットで売られていたこともあるのである)・・・すると、パッパは言う・・・
「そんな柄は、すぐに飽きるよ、こっちにしなさい」
 そう言いながら父が指差す絵柄は、その時の私の年齢にはやや大人びたものだったりするのである。
 母についても同様のことが言えた・・・つまり、10歳前後の頃、私のために服を買おうとしていると、彼女が選ぶのはたいてい、周りの少女よりも少しマセたデザインのものなのである・・・。
 また、年の若い叔母などが、所謂”お古”を与えてくれるために、私は大人びた”お下がり”を着ていたものである。
 少女が成長する過程というのは、案外、その後の人生に大きく影響するのかもしれない・・・これは、私に限ったことかもしれないが。

 そのような理由で、私は1stシリーズの『ルパン三世』には、たくさんの思い出があるのである。

 そこには、大人の世界、と、子供の世界 の、違いがある。
 違いはあるが、両者は同じ世界の人間同士なのである。
 子供を、それでは一体、何歳までを、子供と呼ぶのか?
 私ははっきり言うが、それには、個人差がある。環境がある。
 ・・・あなたは子供です・・・と言われれば、人はいつまでも子供であると思うだろう。 
 そして、
 ・・・あなたはもう、子供ではありません・・・と言われれば、ああ、そうか、と思うかもしれない。
 が、その線引きは、個人の問題であり、意識するいかんで、どうとでも、なる。
 私はよほどのことが無い限り、「子供は黙っていなさい」と言われた記憶がないのだが、そのことは、両親にちょっと感謝したい。
 子供として扱われる時代はおおいに子供であったが、その・・・幾つになった頃かさだかではないのだが・・・いつしか、大人と同様に扱われるよう、私の周りの大人たちが私という少女を招いてくれたことは、有り難い。


 ・・・べき・・・という言葉があまり好きではないのである。
 子供はこうある・・・『べき』・・・大人はこうある・・・『べき』。

 何故なら、それは、単に人生を過ごした時間の長さが異なるだけであって、同じ、人間ではないか。


 そして、大人に解る事が子供に解らない”筈”・・・は、ない・・・と、私は自分の子供時代を振り返りながら、言えるわ。


 言葉にできるかどうか・・・それが、子供だから言葉にできないかもしれない・・・人間としての経験が少ないから。

 しかし、大人になられた人たちが、今、よく、周囲を眺めればご理解いただけるだろう。


 大人になっても、自らの心をいみじくも言いえた言葉にすることが出来ないものが、どれほどいることか。


 仕事とは、難しいもので、我が家のチェリーなども、降ります、と言ったことがある。
 私はそのような行動に出た彼を気遣ったことも何度か、ある。
 が、これは俺が信じる・・・これは私が信じる・・・と思ったWORKは、曲げないに限るだろう。

 それを、後になって、どのように印象づけるかは、未来しか、知らない。



 明日もこの『ルパン三世』、引き続きBS2で放送されるようだが、この番組の最終回は非常に非常に、印象的である・・・。
 東京の、”夢の島”が登場する・・・都会のゴミが溢れ、そこに、アジトの最期を飾るルパン一行である・・・彼らが潜んだドラム缶は海に投げ出され、警部銭形は、泳いで彼らを追う・・・「おい、ルパン、お前は何処へ行くんだよ」・・・と銭形が言うわ・・・するとルパンは、「ほんじゃ、ま、アメリカさんあたりにでも行きましょうかね」・・・と、応えるのよ・・・そうよ、そんなこと、言うのよ・・・。

 ユーモアと受けとめればそれまでだけど、とっても皮肉な科白だわ・・・



 語り足りないが・・・


 大人と子供、そして、創造することが好きな、全ての人たちに・・・


 
 PEACE & LOVE





04:39:59 | mom | No comments | TrackBacks

29 July

少し変わろうと思って

 
 ・・・やっていた一日。

 で、

 ・・・悪くないな・・・まるで、美しい屍となった女のようなものに見えてきた、私の今の、WORK・・・。

 何がそうさせたのか・・・
 これからも、何がそうさせるのか・・・


 今日はこのへんまで。

 
 よい、夏の気配である。


 棄てられない・・・な。



 Ch ch ch ch changes


 疲れたので、夢に溶けるために、しばし呑んで寝る。





01:30:41 | mom | No comments | TrackBacks

27 July

from me/sweet Jane...



 




...it is one symbol of the love to get sentimental for myself.

now the midsummer, but i feel slightly cool wind here...


PEACE & LOVE


Risa / "YES"





03:29:21 | mom | 1 comment | TrackBacks

26 July

私という駄目なもの



 O Wilde


 青みがかった昔懐かしいトマトを買った。
 機嫌良く切り分け、皿に乗せていたまではいいのだが、
 誤って、つい、塩をかけ過ぎてしまう。
「これじゃあ、台無しじゃないか、俺はもう、いらない」と、言われる。

 せっかくのトマトの味を、駄目にしたらしい。

 
 そのトマトは責任を持って自分で全て食べる。
 が、昨晩女が和えたサラダを味が薄いと言って、
 更にドレッシングをかけていた男である。
 そのことを指摘すると、
「それとこれとは、話が違う」と、応対される。

 話の意味を混ぜこぜにするような、駄目らしい。


 すると男は、スナックなど口に入れ始める。
 それを見ながら、一言、
「それも、塩分過多でしょう?」と、声をかける。
「でも、これは少なくとも、ショッパイとは感じない」と、言いかえされる。

 夕餉のハートを、駄目にしたらしい。


「では、たまには、あなたが調理してみたら? もう準備はしてあるし、炒めるだけだから」と、言ってみる。
 男は飲みかけのビールも残し、台所に立つ。
 そっと覗けば、塩を数回に分けて入れている。
 調理には時間がかかったが、ご飯と味噌汁は速攻で食卓に運ばれる。
 ・・・まるで、学食のごとく・・・
 
 女は自分のささやかな喜びを、駄目にしたらしい。

 
 夕餉の時間がさっさと通り過ぎる。
「胡椒が足りなかったな」と、男が言う。
「美味しい、だけど、野菜が柔らかくなり過ぎたかしら・・・?」と、言葉をかけてみる。
 すると、
「俺は柔らかい方が好きだけど」

 何を言っても、駄目らしい。


 外に男と酒を呑みに行く。
 つい口を滑らせた言葉に、男の表情が渋くなる。
 どうやら、男の酒を不味くしたようだ。

 道化てみても、まるで駄目らしい。


 歯科医に行く。
 上と下の噛み合わせを調節してもらうのは、いつも左側。
 女の前に会計を済ませた老婆は、160円。
 そして女は、1200円。

 歯をくいしばって生活してみようとしても、駄目らしい。



 塩というもの、”かけすぎ”たり、”入れすぎ”たりしたら、もう、後はどうすることもできない。
 が、薄味であれば、どうにか、なる。
 そして、料理とは、時間とのつき合い方が肝腎でもある。
 一日の中の様々なことを誰もが行いながらも、上手く時間を使ってする作業・・・食という大切な時間のための、作業。
 が、これも、炒め物ではないが、時間を”かけすぎ”ても、上手く仕上がらない。


 ところで、その男は女のことを、時々、”カッコイイ”と漏らすこともある。
「それは、成ろうと思って成れることでは、ないんだよ。もともと、持っている質なんだから」
 ・・・と、褒めることもあるという。
 女は、男が自分の何についてそのように評価するのか、追跡しないが・・・
「だから、好きになったんだろう、きっと」と、男は苦笑する。

 それでいて、男は女にこのようなことを、おもむろに言う。

「・・・馬鹿」。


 風呂の中にて、思い描いたドラマである。


 ならば・・・


 一番似合う服を着て、最も賢そうな顔をして、最高に美しい姿勢にて描かれる肖像画のごとく、明日からは暮らしてやろうか・・・などと、痩せ我慢をほざきたくなる。


 痩せ我慢とは、馬鹿がすることでもあるが、駄目よりは、マシだろう。


 私という駄目なものが描くことのできる世界とは、あいもかわらず、歪である。


 が、その歪、涙の形をした真珠に成ろうと、ひとり旅を目指すこともある。


 今宵のフルハウス、スリーカードのクィーンとワン・ペアのジャックと、願いたい。


 天上に"YES"。






02:33:41 | mom | No comments | TrackBacks