Archive for September 2008
30 September
harmony & harvest
雨天、そして微熱。
梨、葡萄、栗・・・それらの季節がゆっくり過ぎていく。
灰色の外の光景に似合うように、視覚も聴覚も、柔らかく放置してみようかと、ふっと蝋燭の灯に息をかけるように、ほったらかす。
安楽椅子の中に埋もれさせよう、些細な混沌なんか。
こんな日には、カミュなど思うはずなのだが、それも、しない。
果樹園のある丘陵を想像するの。
そこは、少し煙っていて、明日の空模様さえ予告できないような靄の立ちこめる薄緑。
にわかに色、変わる、葉だけが、アクセントを添えていて・・・それは、彩りなどという強烈な変化ではない、まだ。
私の裡にただ揺れているのは、三連符。
例えば、強引だが、音楽の底にあるのは三連・・・などと、自分の慣れ親しんだ感覚と握手。
三連符の川を行きながら、古城を眺めているような・・・そんな夕刻。
ミモザ・サラダ
秋の鮭
茄子のお味噌汁
白いご飯・・・
欲ではなく、色でいただく食卓。
シンプルな夕餉。
八分目・・・いいえ、それ以下かしら・・・?
が、丁度よい。
そして、以前出会った、白いワインが育つ場所のことだけは、懐かしんだ。
ドイツの丘。
8月の末のことだったが、そこはまるで、日本の9月末のような気候で、今日のような雨模様ではなかったが、小雨に濡れていたら、まさに今日のような空気なのだろうと感じるわ。
ハイデルベルグ大学の中の一郭には、『学生牢』と称される個室があった。
そこの壁には、過去の学生達の描いた様々な落書きがあって・・・暗くジメジメした部屋の壁に、乱暴でイノセントで青臭い色を添えていた。
泣いたり、叫んだり、放置したり。
それでも、必ず、与えられる。
何故なら、人は、素直に生きれば、無意識にも、何か、何処か、誰かに、与えていることも、時には、あるかもしれない。
百を、与えれば、せめて、一、くらい、与えられるだろう。
ミモザのサラダは、久しぶり。
私が学生の頃、よく作っていたサラダ。
harmony & harvest
just i live now.
for all joy and peace.
..* Risa *¨
03:54:34 |
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27 September
泣いた!
今日は・・・
嬉しくて、有り難くて、感謝したくて、ボロボロ涙が溢れた。
私の目よ、やっと少し、水分を与えてもらえたね。
私の瞳よ、これで少し、よく見えるようになるかな。
視力が急激に低下してさえいたこの数ヶ月・・・夜の運転が怖いほど・・・真昼にもかかわらず信号機の下の標識の文字が間近にならないと読めないくらい・・・免許更新の時も危うかったくらい・・・。
いや、そんなことが言いたいのでは、ない、今日は。
悲しくて私は泣いたのではない。
喜びに泣いたのである。
あまりにも、嬉しかった・・・。
これをこそ、感動、と、呼ぶのだろうな。
thanks that feel in a freezing sanctuary......
your gentleness dissolves the cold wall, and i am not numb.
even if i dissolve into tears......
19:07:11 |
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私を泣かせてください / Lascia ch'io pianga
朝、寝室の窓を開けると、ひんやりとした西風が、あたかも空腹であるかのように、待ちわびていたように、部屋の中に流れ込んできた。
おはよう、秋風。
匂いをかいだり、味覚、手に触れるもの・・・それら全てが、とても愛おしく感じられるこの秋が、私はここ数年、好きである。
曇り空の今日。
午後、或る通りを歩きながら、ふと空を見上げると、その空の広さにうわっとむせたような気持ちになる。
そこを歩く時は、いつも、空が広がって見えるのであるが、その薄曇りの空の柔らかな色と姿は、今日の私を懐かしさで覆おうとしていた。
ここのところ、ひどいドライアイ、そして、昨晩はほとんど眠っていない私の目は、何か、水を含みたがっていたのかもしれない。
その懐かしさとは、少女の頃の夕刻の秋の空であり、バレエのレッスンから帰宅する時の匂いであり、お友達と「バイバイ」と言って別れる時の感覚であり、家の玄関の前に立った時の緩やかな疲労・・・。
夕食後、窓を開けて私事/作業をしていた。
外に人の声はしないわ。
ただ、荒々しくなりはじめた秋の風だけが、木々を揺るがせながら通り過ぎていく。
朝の西風は、昼の間は大人しかったが、暗くなったとたん、その表情を変えたわ。
今日で、本当に、空気が入れ替わるのね。
この秋風は、知らせなの。
明日からは、本当の秋の顔なのね。
私の目は、やがてPCに向かうことに疲れはじめる。
ドライアイの李早は、暖かいタオルと冷たいタオルを交互に目の上に当てる。
それから、お茶をいただきながら、久しぶりに茶香炉に灯を入れた。
香炉から漂ってくるお茶の葉の香ばしい香り・・・
香炉の模様の間から、ゆらゆらと揺れる蝋燭の明りを眺めていると、瞳も、うっとりとしてくる。
・・・うっとりとしてくるが・・・
潤みはしないのだわ・・・。
ああ、私の目は、今、潤いが欲しいのに・・・
誰か、私を泣かせてください。
・・・”Lascia ch'io pianga”・・・”私を泣かせてください”・・・
これは、ヘンデルのオペラ、『Rinaldo』からのアリア。
・・・10代の頃、音大を受験するための数曲の中の一曲として私が選んだ曲・・・この曲を歌いながら、本気で泣いてみたいと思いつづけていたが、未だに泣きながら歌うことはない。
何故なら、そうよ、その頃、声楽のレッスンを受けている私に、「表現というものは、あくまで冷静である必要がある」と、教えてくれたひとりの先生の言葉が忘れられない私なのである。
だから、この曲を歌う私は、未だに、泣くことができない。
同じように、今、私がつづけている私事についても、それを表現として仕上げようと思うと、私は、泣くことができないのである。
涙が恋しい、今宵。
..* Risa *¨
02:39:23 |
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25 September
オープンリール・・・ & ・・・微熱
あまり頓着しないから、わからない。
わからないが、確実に「有る」と感じることは、ある。
revolve・・・それとも・・・rotate・・・
オープンリールが回転しているような日々。
気づくのは、スローモーな私に、回転の方がが痺れをきらせ、表情をパッと・・・パッと、見せつける時なのである。
可笑しなことに、我れ知らぬところでそれが回転し、動くの・・・ううん・・・蠢いているような不可思議な魅力かしら。
私は、流れるように、浮かぶように、ほとんど気侭と言えるくらい、漂うだけであるのに、その感覚は知らないうちに、私に寄り添っている。
無意識であることの美徳かもしれない。
粧うこともなく、ただ天然でいるだけなのに、私の裡にサインしてくれる幾つかの気配・・・サイン・・・緩やかな文字で、尻込みせず、正々堂々と現れるサイン。
『明け透け』が眩しい、この、今日の陽射しのような、爽やかで風通しよく、清潔な、眩しさ。
私はそのようなサインこそ、愛する。
オープンリールが回転しているような私の昨今。
revolve・・・rotate・・・・・・possibly・・・revolution?
昨日から、微熱があるらしい。
これも、このごろのような、秋、ならではの、私の・・・・・・revulsion・・・かしら?
今はきっと、『道行き』、が、いい、私なのだろう。
そういえば、今日、昼下がりの我が家の庭で、「コンコンコン・・・」という音がしていた。
何だろう? キツツキかしら・・・と思い、そっと覗いてみたら、何と、橙と黒の美しいヤマガラが、自由に伸びた我が家のオリーヴの枝に、嘴ノックをしている。
その小さな動作のあまりに可愛らしい様子に、しばし、見とれた。
彼/彼女は、窓を開けたほんの少しの音に敏感に反応し、枝から枝へと移り、仕舞いには、「タタタッ・・・」という音をさせて飛び立った。
しかし、私は知っているのである・・・このヤマガラが、ここ数日、何度も何度も、私の家の小さな庭を訪れては、ちょっと遊んでいくことを。
オープンリール・・・
その流れの中に記録されることは、『道行き』であり、素敵な『明け透け』。
そして、『夜明け』。
04:11:53 |
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22 September
海の向こうからの素敵な知らせ!
素敵な知らせというのは、昨日私に届けられたひとつのメール。
海の向こうからのメッセージ。
それは米国の女性ジャーナリストからのもので、彼女は私の文章(このpageにも時々綴らせていただいている私の英文の散文や詩は別pageにもアップしていたりするの)を気に入ってくれているらしい。
彼女は私が発表する予定の本についてメッセージを送ってくれた。
「あなたの本がリリースされたらどうか知らせてほしい。私はあなたの本をプロモートしたい。どの程度できるかわからないが、力になりたい・・・・・・・あなたは、美しい」
と、そのような内容だった。
このような提案が来るとは思いもしなかったが、これを本気で考えることになると、また忙しくもなる。それは条件にもよる事だが、真面目に考えてみようか。
仕上がりが予定よりも遅れたことも、待てば海路の日和あり、ということかしら。
私の本が、海を渡るのも、悪くないわ。
「・・・いつも海を想え・・・海がなかったら、そのウィスキーだって届かねんだってことだよ」
これはこの日曜日、『篤姫』の中で勝海舟が坂本竜馬に言った科白・・・。
先日アップした私の英詩は、何か暗示的だったみたい・・・。
海の向こうのことを考えるのは子供の頃から好きだった・・・好きだったし、何度か出かけてもいる。
例えば、「・・・ヴェネチアに向かうなら、空からではなく、海からがよい・・・」ということをおっしゃっていらしたのは、塩野七生さんであるが、私は船で異国に入ったことは、まだ、ない。が、いつか経験したい・・・。
それでも北海道は小樽に向けて、フェリーで旅立ったこともあった私である。
・・・そう、船の旅というのは陸路とも空路とも、時間の流れが違うのである。
・・・ゆったりとした時の流れであるにもかかわらず、船の最後部に立ち、過ぎて行く光景を見ると、その速度に驚くのである。
・・・これほど高速で移動しているのに、何故、船内にいると時がゆっくり進んでいるように思えるのだろう・・・と。
"La route de l'exces mene au palais de la sagesse"
~William Blake~
02:39:47 |
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