Archive for October 2008

31 October

10/26 大久保由希ちゃん&福岡史朗氏



 私は決して出不精ではないし、旅行などするとワクワクして色々と散策する性質だが、家に居ることが好きだった。小さい頃から、家に独り、ポツンと居ることに退屈したこともないし、丸一日誰とも話さなくても、いいえ、数日誰とも顔を合わせず、話さなくても気にならない。
 だが、人に会えば、それはそれはよく話すし、(一見、澄ましているように思われ、近寄りにくいと言われることもあったりするが)社交が苦手とはおよそ言えないとも、感じている。
 人間が、好きである。子供も好きである。動物も好きであり、お肉が好物でありながらもどこか植物的な私は、勿論、植物が好きである。もの言わぬ動物や植物に、よく話しかけていることさえある。
「今、何か話していたようだけれど、誰と話していたの?」・・・「てんとう虫」・・・なんていうことも珍しくはないし、散歩をしながら木に話しかけて抱きしめてみることすらある。
 だから、人間と向かい合った時は、思った事をポンポンと平気で言う。

 そのような私は、お誘いというものを受けると、何だかフワッと何処へでも出かけたくなるのである。


 10月26日、私は新宿に出かけた。ライヴを楽しむために。
 前日も下北沢に遊んだのであるが、私がライヴを二日続けて観に行くことなど、それほど多くはない。
 それでも、どうしても観に行きたかったのである・・・。

 ・・・「お父さんの転勤で、北海道に引っ越してしまう」・・・大久保由希のレコ発ライヴに。

 私が会場に到着したのは、19時を過ぎてしまっていた。
 扉を開けて視線の先に立っていたのは、福岡史朗氏であった。
 エレキを抱き、歌う彼の姿は以前に私が知る彼とは異なって見えた。正面を向き、それこそ、”スポットライト”をしっかり浴びながら演奏する福岡君に、私は驚きをさえ感じた。
 ・・・そうよ・・・これが、彼、福岡史朗の立ち姿なのだわ・・・。
 どうやら私は3曲目から聴かせていただいたようで、無念にも、『U LaLaLa』を聴きのがしたらしい・・・。
 何だろう、私は実に、彼に感動してしまったのだ。
 この晩の福岡君は、”日本一”だと感じた。実直で、クールで・・・あなたは、こんな小さな国だけに収まっている必要はないわ・・・と、強く感じた。
 ・・・子供たちに向かって、『待っている』とあなたが歌う『望み通りの空』・・・その『望み通りの空』は、あなたにも・・・『待っている』わ・・・今も、これからも・・・ずっと、ずっと・・・。
 彼のあの晩の演奏に、私はこれ以上のことを、言えない。
 ですから、このRisaのblogに目を通してくださっている方たち・・・携帯カメラからの撮影ですし、ちょっとブレていて見づらいかもしれませんが、この映像を、どうぞ・・・


 
        Shiro Fukuoka


 さて、その後はこの夜の主役、大久保由希&チーズ・ピンである。
 ・・・どうにもこうにも、チーズ・ピンというバンド名なのね・・・(笑)。
 黒い衣装に黒い髪、しかも、黒く光る真っすぐな長い髪の由希ちゃんは、少し痩せただろうか・・・だが、女が上がっているな、確実に。素敵だ。30歳を越えた女性というのは、その生き方がはっきりと外に見えてくるものだが、今の彼女は公私ともに充実しているように見える。痩せはしたが、それは、無駄な物が削げたと考えても惜しくはない。
 彼女のようにスラリと背があり、エピフォンのギターなど抱いても少しもそれが大きすぎるなどと感じさせない女性は、この日本には少ないかもしれない。
 何故か演奏が進行するとともに、泣けてきそうな私であった。
 彼女の新譜はとても良い。
 そして、私は、彼女を”dear sis”として、大好きである。
 とても美しい彼女の曲が歌われた時、「ああ、この曲を演奏する由希を撮ってあげたい・・・」と思ったのだが、それにも増して、私はその場で彼女のプレイを聴いていたかった。
 この夜の由希=ゆきぼー・・・を、忘れたくないような気がして・・・ね。
 しかし、アンコール曲だけは、撮影したわ・・・このステージを見る事ができなかったチェリーのためにも、撮影して帰りたかった。


 
        Yuki Okubo


 終演後、福岡君と色々話した。由希ちゃんとも。彼女とは、夏頃から一緒に呑もうと計画しながらも、それが果たせなかったのだが、「お父さんの転勤で」引っ越してしまったとしても、今後、機会はあるだろう。
 由希ちゃん、チェリーが北海道に出張に行く時は、会ってね! 都合よく上手くブッキングできそうだったら、北の街のお店で、一緒に演奏してね!


 帰宅して、私はチェリーに早速、言った。

「観に行って良かった!」
「それは、良かった!」と、チェリー。

 私は微笑みながら、彼、チェリーに上の映像を見せた。

 福岡君の”サン・タイガー”に、チェリーの目が潤んだ。

「あなた、感動しているでしょ?」
「ああ・・・素晴らしい・・・本当に、素晴らしい!」
「携帯カメラのこんなに揺れた映像でも、感じる?」
「伝わるさ、十分伝わるよ、この魅力は」
「良かった・・・」

 それからこの晩の主役、大久保由希ちゃんの映像も。

「いいじゃないか!」
「由希ちゃん、痩せたでしょ? でも、いい女になったと思わない?」
「うん、しかし、綺麗な黒髪だね。まるでCMに出てきそうだな」・・・と言いながら、ニッコリしているチェリー・ルパンである。


 ゆきぼーの魅力を背後から見届けるようにしていた福岡君のTシャツ姿が印象的だった。細身の福岡君であるが、懐は、ふくよかだ、私は彼のそのような一面を知っているつもりである。
 彼は一部でこそ、ご自身のリアルなステージを披露されたが、その後の大久保由希&チーズ・ピンのステージには、いっさい参加せず、暖かく見守った。
 彼はこの夜、何か大きな物を懐に隠しているようにさえ見えた私である。魅力的な男である。
 出過ぎたことをせず、しかし、頑固に自分を通し、それでいて熱心で、とても人の心を大切にする人である。自分の心も、人の心も、彼には同じように、大事なものなのだろう・・・だからして・・・あのように、チェリーを泣かせる程の曲を作り、演奏することができる人なのだろう。
 坂本竜馬を、私は兼ねてから、福岡君に視ていた。


 日曜日、彼らの素晴らしい演奏に、さしてお酒も呑まなかったのに、ほろ酔いの私であった。


 i thank for your music......my "sis" Yuki and Shiro x



 ..* Risa *¨





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30 October

場所



 ここに書こうとすると脱字の多くなってしまう昨今。
 昨日は短い睡眠時間だったので、今宵も誤字や脱字があるかもしれない・・・そう思うと、楽しみにさえなる。


 さて、記しておきたいことは他にあるのですが、今夜はとりあえず、昨晩のことを。


Photobucket


 10月28日、夜、mixも仕上がったお芝居の音楽のディスクをお届けするために、井の頭公園へ。
 音源をお渡ししながら、公演のための準備をされている役者さんたちやスタッフにご挨拶する。
 皆さん、公演前のこの時期は何かと大変な時であろうが、彼らの表情を拝見すると、こちらも力をいただいた気持ちになる。非常に楽しみである。

 私は(私たちは)もう、長くこの『野戦の月』に関わらせていただいてきた。そのきっかけは長くなるので今、ここに綴りはしないが、必ず、毎年、心打たれるのである。
 しかも、彼らは、変化しつづけている・・・遠く遡れば、彼らのルーツはおよそ30年程前にさえ及ぶだろう・・・一人の頭を主体とし、俳優さんたちも入れ替わったり、勿論ずっと共に活動されている方もあり、様々なのだが、例えば'70年代の複雑な時代を切り抜け、今日に至る道のりは、変化しながらも一本の筋が通され、公か否かのギリギリの線を辿りながらの、一心の価値あるメッセージを押し通している。・・・地下であり、しかし、地上(field)に根付き、風を吹かせ、海に遊ぶ。役者さんたちの年齢は様々である。今年は、若い女優さんたちもおられるらしい。世代を越えて生きつづけるアメーバのごとく、この劇団はしぶとく、かつ、時代に直面しながら活動している・・・しつづける。
 そうして、彼らは常に、自分たちの公演のための”場所”を作りながら動く。興行をする者たちであるならば当然のことと見なされるであろうが、それを思案し、”場所”のための交渉をし、決定に導くということは、地味なエネルギーを使わなければならないお膳立てのひとつである。段取りをすることとは言うまでもなく、実行の過程であるが、それは表現とは異なる別次元の問題で、それを取り仕切るのは、億劫なことである(と、私は思う)。それら色々な表現以外の雑務を仕切りながらも、何にせよ”斬りかかる”公演なのである・・大団円、或は、大弾幕を実行するには、陰の努力と責任感が物を言うということを忘れるわけにはいかないわ・・・表現するだけなら、どれだけ、愉しいだろう・・・しかし、それを成功させるための幾つかのステップが成立していないことには、観客は勿論、俳優やスタッフの大事な時間を損じることにもなりかねない・・・そういう責任を背負いながらのお芝居であり、表現なのである。

 
 ご挨拶を終え、うきうきしながら、井の頭を後にした。

 その後、地元のお店にて、ブラッと呑む。此処は、時々ライヴや展示会も行うお店である。23時を過ぎた時刻か。

 お店のオーナーは、元、某出版社で活躍された人、因にこの方は、高田渡氏の書籍を出版するために厚き仕事をされた方である(還暦男)。
 この晩、お店に居合わせた客たちは皆、40代であった。デザイナー(40代男)、写真家(40代女)、ギタリスト(40代男)・・・それから私である。

 店主を囲みながら、40代が何かと活発に呑み、語る。クールな表情なのは、ギタリスト(40代男)と写真家(40代女)。熱っぽいのは、デザイナー(40代男)とあたくしである。デザイナーは、必ず「20秒で話します!」と言いながら話題を提供してくださるniceな方なのである、が、彼の話はそれだけの時間では到底収まらない。

 話題はスルスルと入れ替わりながら進む。ビール、ワインと進む。'50年代こそ生きていない40代組であるが、皆、'60年代初頭生まれのおかげで、ぼんやり高度経済成長以前の光景の余波を感じながら、我らが時代、'60年代から'70年代の印象を吐く。大阪万博より前に生まれ、バブル期に向かう頃大学を卒業し、”ポスト・モダーン”がヒラヒラと舞う'80年代、上には団塊が存在し、はて、我ら、何を信ずるか・・・何も信じるな?・・・(と、誰が言ったわけでもないのかもしれないが)そのようなシラケ気分を片方の肩に背負わされたような気分で、未来を想像した。生きるための手段は、幾らでも在るらしい、が、それは、虚構ではないのだろうか・・・??・・・そのような半信半疑を胸に、青春をおくった・・・それでいながらも、もう少し上の世代に否応も無く引っ張られる・・・我が身・・・そんな20代であったなどと、おのおの苦笑しながらも、hey life is beautiful・・・と、願ったのよ、我らでさえ・・・。

 今、想い振り返れば、あっけらかんと語り合える・・・気持ち悪く、頷き合いながらね。
 そういうのが、昭和30年代生まれかもしれないし、よくよく考えれば、意外と”美味しい”世代でもある・・・つまり、古き日本も朧げに知りながら、21世紀に突入したおかげで、100歳の人ならばともかく、様々な20世紀を確認できる世代・・・と・・・して・・・。
 今宵もまた太宰の言葉を借りれば、「青春は人生の花だというが、また一面、焦燥、孤独の地獄である・・・・・・・」
 どうしていいかわからないにもかかわらず、「どうにか、成る」と思い続けて生きてきた。たまたま昨晩、居合わせた人々が、それぞれ皆、同様の肖像を心の片隅に置きながら物事を話した。それぞれ、20代から30代にかけて、当たり前のように、胸に一物を抱え込み、今に至るらしい。

 ごっそりと豪快に夜が更けてゆき、気がつけば、午前2時を過ぎていた。
 漸く、帰宅する40代たちであった。
 
 来年に向けての私自身の、私事、にも、希望が持てる空気に包まれながら玄関のドアを開ける。

 斎戒沐浴し、再び、居間で呑み直す。
 悉く、夜にはお酒を求めるようである。
 呑み直しとなると、おいそれとは眠れない。
 困った事情である。
 
 午前5時過ぎ、何とか、眠る。

 午前7時、起床。

 脱字は、あるか?

 まあ、いい。


 
 picは夜の井の頭、『ジブリ美術館』前。
 昼間は親子連れも多く、和やかなお伽の国の風情も、こうして夜の閉館時の佇まいに見る光景は、少しだけ、不気味にさえ思える。

 それも、このシーズン・・・ハロウィーンのおかげかしらん?



 **追伸**
 お芝居の公演では、私の歌(録音物です)も、聴くことができるかもしれません・・・ちょっと、自分でも感激している歌声です・・・あしからず・・・。
 公演のお知らせは、日を改めてアップするかと思いますが、11月の井の頭に足をお運びになられては、いかがでしょうか?




 it is me/Risa from like as "Banshee" whom appear in the Celtic legend......






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28 October

a hard day's night/*青山陽一氏*



 10月25日、朝からじっとしている暇もなく過ごす。
 
 午後は、はやいうちから買い物に出かけ、カレーを作る。終日、お芝居の音楽の作業をするチェリーのためのお夕食の準備である。

 料理が終われば、そのお芝居の音楽に、オルガンをダビングする。
 コードとオブリを弾く。その時、私の心の中で鳴っていたのは、Beirutの”Elephant Gun”の最後の部分に聴くことができるひとつの旋律だった・・・この”Elephant Gun”のことは、以前も書いたことがあったと思うが、大変好きな曲である。それをイメージしながら、コーダに音を重ねる。

 さて、急いでカレーを少しいただき、私は下北沢へ向かう。

 青山陽一氏のライヴである。この秋、独り行脚なさっていらした一連のツアーの楽日である。
 駆けつけはしたが、生憎、一部には間に合わなかった。しかし、会場は満席のお客さん。温かいムードである。
 二部の演奏を拝聴させていただきながら、私はかれこれ20年近く前になるだろうか、青山君がクラブ・クアトロで独り、歌われた時のことをふと思い出した。それは、あるイベントでのことで、私がこのように覚えているからには、チェリーもこのイベントに出演していたのだろう・・・青山君とT.T氏との歌合戦のようなコーナーでのことだったと記憶しているが、ご自身のバンドで歌う青山君は勿論みずみずしかったが、その一対一の歌合戦の青山君は、とてもステキだった。
 そんなことを考えながら、こうして、この日、ステージで歌う彼の姿に、微笑みたくなった。
 ・・・あの頃は若かった、でも、ここでそんな過去を振り返りながらも、今日でも、あなたの歌を聴かせていただいている私は、しあわせだな・・・
 ループ・マシンを利用されてご自身のコーラスを巧みに響かせる青山君であった。そのコーラスは美しく、個人的にリオン・ラッセルの”Bluebird”のコーラスに感じるようなフワッとしながらもシャープな印象を持ったりした私である。
 独りでご自身の場所を作るということは、大変なことだろう。が、青山君の媚びない姿勢には、長年の経験からもたらされた余裕を感じる。だから、お客さんたちは、彼を愛するのよ・・・彼の魅力は何か・・・?・・・それは、音楽を遣る、ということに対して、いつも、本当にピュアな感覚で道を歩いていらっしゃることではないかしら?
 お独りでのツアー、お疲れさまでした。恐らく、よい手応えをお感じになりながら、東京での一夜をむかえられたことと思います。歌いつづけてください、弾きつづけてください。
 そして、お誘いくださり、本当に、ありがとうございました! また、遊びに行かせてくださいね!


 終電に乗る。混んでいる。深夜に独りで電車に乗って帰宅するのは、久しぶりである。
 もよりの駅まであと少し、という辺りで腰を降ろす。
 間違って寝過ごしたりしないように、バッグから本を取り出す。『源氏物語』。どこを読んでもよいのだが、「夕顔」の部分を。

 駅からは歩くことにする。
 途中、コンビニに寄り、麦焼酎を一本購入する。家には泡盛があるが、それはチェリーが好んで呑むだろう、私は麦焼酎で十分である。お風呂上がりには、まずはビールをいただきますがね。
 それにしても、こうして焼酎の瓶など手にしていれば、家までの道のり、仮に暴漢に襲われたとしても、この瓶が武器になるわね・・・などと、酒瓶に接吻したくなる。
 玄関のドアを開ければ、階上から流れてくる音楽・・・チェリーのことだから、相変わらず重箱の隅をつつくように作業しているのだろう。
 聴こえる自分の歌声を耳にしながら鼻歌まじりに、「ただいま」。

 a hard day's night...
 慌ただしくもあったが、和やかで暖かい晩だった。


 thank you Yoichi x



 ..* Risa *¨





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25 October

"NO DIRECTION HOME"



 

 再度観ている、”NO DIRECTION HOME"。
 今宵は居間での解説も付く。

 私は今日、バサバサと生きた。
 それは甘さか辛さかのどちらかのようなサバけた気持ちで。
 この調子でいることも、時にはいいかもしれない。
 丁寧であり乱暴であり。
 両極端とは、人を面白く動かす。

 私はシンデレラとなろう。
 彼が歌うように、虚構の街を掃除することはできないかもしれないが、そこを歩くことなら、できるだろう。

 人は生まれた場所こそ知ることはできても、そこに戻ることはできないわ。
 これは悲しいことではない・・・つまり、動物ならば、そのように・・・”離れて”生きる運命を兼ね備えているのですもの。
 場所とは探すものではなく、つくるもの。
 私は小さい時からそのように感じていた。
 だから・・・今の私のようなモノになってしまったのかもしれないが。
 屋根の在る所を家と思う。
 しかし、その屋根は、風で飛ぶこともあるかもしれない。
 道を歩く、掃除人。
 行動は金ではない。錬金術のように時間もかかるかもしれない。
 それでも、心の裡に、鐘が鳴ることも、あるかもしれない。
 奉仕である、太宰の言ったように、想像とは(ここであえて芸術とは、という氏の言葉は使わない)、社会にたいする奉仕の精神と思おう。
 Dが奉仕などと思うはずはなかっただろうが、彼は自身をバサバサと清掃しながら、直感で人と付き合い、生きたわ。
 男って、小さな泉に甘えていては、詰まらない。
 大きな湖にわざわざ身を投じて、ムキになり、疲労し、しかし、飛躍することを望むでしょう。
 女は、大きな湖を夢見て辛くなる、辛い涙を溜める。
 小さな泉の甘い水を胸に、その辛い涙は、真珠のように煌めく理想を抱く。


 bless you





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24 October

x Dylan&一π九話差Le多実他意墮輪



 自分で言うのもナンだけど、今日は日が暮れるまで、なかなか想像力もあり、よい日だと思い、ホクホクしていた。
 お夕食はひとりなので、気侭に、軽くビールでも呑みながら、ご機嫌よろしゅう過ごしましょう・・・と。
 というのも、昨晩は夜中に焼き肉など食べに出かけたおかげで、今日は少し胸焼け状態。質素にいただくサンドウィッチとビール、胃の具合がスッキリしたら、きっと何か食べたくなるでしょう、しかも、私は野菜とハムのサンドウィッチ&ビールという組み合わせ、好きなのだもの。

 そんな日暮れ時、ご機嫌に寄り添いながら、普段なら開けたりしないような処を開けてしまったおかげで、「あ〜あ・・・」と、ご機嫌の眉間に皺が寄ってしまった・・・。
 ・・・私はピュアな人が好きだ。だからして、ピュアを装うのは閉口するのであり・・・やはり、そういうことだったのね・・・私としたことが・・・しかし、もういいわ。
 ちっちゃなことである。
 今は太平を構え、ザクッと在るべき。


 そして、今、ディランの映画を観ている。
 気持ちの切り替えが、待っていてくれたというわけである・・・oh God!
 彼にだって、色々あったのよね。


 Bob Dylan #

 
「ギャンブラーに必要なのは・・・・・・・」

 何でしょう?

 そして、

「この神の国で何でもする、もし、僕を連れていってくれるなら・・・」


 もう少し、この世に、はやく生まれたかった、と、子供の頃から思い続けていた。
 が、それは、神様と両親がキメることであり、私は何をも憂う必要は、ないのだろう。

 ギンズバーグはその昔、インドに行った。
 バロウズはその昔、モロッコに行った。
 ボブ・ディランという人が現れた時代というのは、世界にとって大変興味深い時期なのである。
 例えば、'50年代の米国は、差別、そして第二次大戦の影の部分を引きずっている時代でもあり、文学の分野で言えば、アメリカン・ドリームorロマンスの終焉を表現する作家も多かった・・・解りやすく言えば、ビート作家たちは当然ながら、サリンジャー、メイラー・・・etc。
 その'50年代を過ぎれば、ベトナム戦争の時代に突入する米国である。
 そのような時代に思春期から青年期を過ごしたディランは、その才を発揮するための条件の整った時代を謳歌したとも言える。彼は時代の風に乗った。時代は変わると歌いながら、今に生きている。

 詩人の感受性というものは、幼子のように純粋であり、それが広大な想像力の結果として筆にされる。
 時にそれらは、かなり大袈裟な感動であり、見方によっては、被害妄想と受け入れたくなるような微妙な言葉でさえある。
 それをまやかしと見破られるような馬鹿なことは、しないがよろしい。
 それは、人間が遣ることなので、どこかに不純物が混ざり合うこともある。
 ディランその人でさえ、プロテストのレッテルを押された後、”ミスター・タンブリン・マン”を歌うようになると批判をあびる。また、彼のジョン・レノンは、ディランがバンドで活動し始めた時、悪口を言ったわ・・・しかし、そのジョンの非難にはディランに対する嫉妬が含まれていることは確かであると私は感じているが(苦笑)。
 だが、それは、彼の人生である、好きなように遣る必要がある。不純物がどこかに潜んでいたとしても、私は彼を信じる事ができれば、好きになれる。私にとってのジョン・レノンも同様である。が、信じる事ができないような真似が見えたら、”それを知ったら、がっかり”、しただろう。
 が、その不純物とは、人間が神たらん証の誉れである程度がよいのだと思う。
 ヒトは神ではない、だから、安心して一生を生きることもできるのよ。


 ほらね、もう、すっかり、忘れてる。


 ディランの青春時代、20世紀の華々しい時代を今宵、鑑賞したら・・・



 明日は、もう一つの華麗なる時代、ベル エポック”良き時代”に想いを馳せようか?


 Divan Japonais_Lautrc


 ここで、今年も、私の秋のディランだったか x


 年齢を重ねて、過去の”色”に対して素直な気持ちをこの映画で言葉にしているディランにも、紳士的な表情を感じる今宵の私である。



 いや、待てよ、明日も、ディランとなるか?





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