Archive for November 2008

30 November

旅をしている人のために



 HOPE 


 旅をしている人のために・・・とは言っても、居のある場所から移動してどこかにいる人のことばかりではない。
 精神の旅をしている人のことをも含めて・・・。

 静かな土曜日の朝、ベランダに出て洗濯物を干していれば、「ポン! ポン!」という音がくり返し響いている。
 見れば、向こうの通りで独り、テニス・ラケットで素振り練習をしている少女がいる。
 ラケットから伸びたロープ(?)の先にあるボールは弧を描いて飛んで行くが、そのロープの長さ以上の距離に行くことはできない。
 彼女は無心であり、清らかであり、楽しそう。
 ボールを打つ音は近隣の集合住宅の鉄筋コンクリートに共鳴し、空に響く。
 
 ・・・そういう休日の朝もあったことなど、思い出す。
 私の場合は、テニス・ラケット相手ではなく、ピアノであったが。

 ・・・でもね、両親がテニスをやっていたので、私も時々ふたりに連れられて休暇のテニス・コートで遊んだこともあった・・・そう、中学に入学した時、私はクラブ活動をテニス部にしようかと最初は思った。が、父が反対した。それは、私の通う中学は軟式テニスで、父はどうせテニスをするなら硬式テニスをしなさい、などと屁理屈を言い、私を妙に納得させ、テニス部入部を断念させたのだった。私は結果、ブラスバンド部に入ったのだが、父はそれもあまり良しとも感じてはいないような顔をした。「運動部の応援で、大変だろう」・・・などと、また、詰まらないことを言うのである。が、某かのクラブ活動くらいはする必要があり、ブラスバンドなら音楽、ということで、そういうことになった。
 私の父という人は、私を甘やかしたが、すこぶる皮肉を言うこともある人で、そもそも、習い事や塾通いが多いことを好まなかった。反対に母は私が遣りたいことを何でもさせたい人である。恐らく、父が進んで私が遣りたいと言ったことを喜んだのは、ピアノのレッスンだけだろう。「幾つも習い事なんか遣ったところで、どれも身に付かないで終わることが関の山さ。それより、しぼりなさい」これが父の考え方、しかし母は、「何でも取り組んでみなさい」だった。
 ピアノに始まり、バレエ、絵画教室、英語の塾・・・そんなところが、私の小学生時代の言わば、習い事、である。誰にも強要されるわけではなく、私が全て遣りたいと感じ、始めたことだった。バレエの時は、父はあえてすぐに「うん」と言わなかった。母は遣らせたかったようである、私にバレエを。で、習うのだが、自画自賛するなら、私の踊りは非常に先生から買われ、「中学に入る頃になったら、私の元を離れ、もっと将来を考えられるバレエ団に入団させてあげてはいかがでしょうか?」と、母は私の通う教室のバレエの先生に告げられたという。青春時代、体操選手で国体まで行った父は、そこで、すこし気を良くしたようである。また、周囲の人たちも、私がそんな父の血を受け継いでいる、などと漏らしていたものだから、尚更だったらしい。
 絵画教室は父に縁のあった女性がアトリエで教室を開いたことがあって、上手い具合で通うことになった。実は私、ポスター展で金賞をいただいたりしたが、その絵画教室は小学校高学年で終わる。
 英語の塾は確か小学校6年の頃、半年ばかり余所に通った。その後、中学、高校時代は、私の叔母が英国から帰国したのを期に、彼女と無駄話をしながら愉しく学んだ。叔母と勉強していることといえば、まず、学校の教科書は先に先に進んでしまうので、学校の授業など必要なくなってしまう。なので、後は、彼女が「訳してごらん」と広げるものを遣る。時々、私が自分で購入した洋雑誌(洋楽雑誌である、たいてい)などを提案して、訳してみる。解釈に困ることなどを彼女に示唆してもらう。と、まあ、勉強と言っても、遊んでいるような気持ちであった。

 思えば、どれも、遊び、である。
 バレエなど、狂ったように踊っていた時期があった・・・毎夜、毎夜、ベッドに入る前に「トー・シューズを履くことを先生から許されますように・・・」と、祈りながら眠った、9歳の頃・・・そして、その夏、私はピンク色に輝くトー・シューズを戴いた。硬い皮で仕上げられた靴を程よく曲げて、慣らしてくれたのは、父だった。もう、嬉しくて嬉しくて、私はその靴を毎晩枕元に飾って眠った。そうして、暇があれば、家の中でも履き、踊っていた。その靴は、おかげでどんどんクタビレて行く・・・でも、その翌年の5月の公演の時、私はそのクタビレた靴で本番を踊った。公演に備えて新しい靴を買う人もいるが、私はその靴で踊りたかった。流石に翌年は(成長期でもあるので)新しいトーを買うことにしたが、公演前一ヶ月までは確か、その古い靴を履いていた記憶がある・・・そしてね、可愛いのは、そういう新しい靴の外部を痛めないようにと、少女たちは古びた靴下を靴の上に履いて稽古したりするのよ・・・毛糸の靴下なんかね・・・。

 ・・・結局、私は十代半ばまでで習得したことの中で最も厄介なものを選択したかもしれない。
 ピアノである。
 音楽、と言いたいが、違う、ピアノ、なのである。
 このピアノに辛い目にあわされて何十年にもなる。
 が、正確に言えば、私の専門は、歌、である。
 私の人生が、私をピアノ科ということに向かわせることを、悉く避けているらしい・・・とさえ、感じた15歳。
 私は声を褒められ、声楽科へ進むこととなる。
 この歌のレッスンも、声楽的な発声に最初こそ悩んだこともあったが、遊ぶように運んだ。

 人って、遊ぶように学んだことには、快適な記憶が残るものなのであろう。

 そして、打ちのめされながら学ぶ、そう、私にとってのピアノのようなものからは、離れられない宿命のようなものを実感し、やまない・・・のかもしれない。


 旅をしている人のために・・・


 私が今日、午後からずっと流していたのは、聴いていたのは、Bach『The Goldberg Varistions』/ Glenn Gould。
 そして、同じくBach『Six Suites For Unaccompaind Cello, BWV 1007-1012』(『無伴奏チェロ組曲』)。

 そういえば、ここ数ヶ月、家の中で、自分で自分の好きなように音楽を流していられることが少なかったかもしれない。


 髪をかきあげながら、自由に溢れた一日だった。
 時々、目を気にしながら。
 お夕食後、読んでいたのは、漱石『三四郎』。
 物語が始まるところ・・・九州から東京へ向かう列車の中の三四郎の心模様の描写に微笑する。
 向かい合わせに座る男に関して、三四郎が最初に印象づけする部分に、このようなことが書かれている・・・

「・・・大きな未来を控えている自分から見ると、何だか下らなく感ぜられる。男はもう四十だろう。これより先もう発展しそうにない」

 しかし、三四郎、この四十男とその後話しながら、彼をあなどれないように感じるのである。名古屋で途中下車した三四郎が、不思議な女と一夜を過ごす事になり、そこで全く精彩を欠くような態度をとり、少しめげて、クヨクヨしながら背伸びをしてF・ベーコンなど読もうとしていた矢先のことである。


 私はかなり、我が儘に生意気に、自由になっている。
 しかし、いいでしょう?
 女=Risaは、四十を越している。子供こそ持たないが、結婚していて、人に教える立場など些か経験し、少しは創作した経験もあり、かつて持ち家というものを背負う決断をしたおかげで、かれこれ十二年、何とかチェリーと住宅ローンを払いつづけていて、来年あたりはこの住宅街の班長さんとか、遣らなくてはならないハメになるのである。
 ややこしいことは、本来、苦手なのであるが、どうも、私の運命は、私に某かの役割を背負わせるとみえる。
 生意気な女、と、思われるかもしれないが、この程度には在る、四十過ぎの女なのである。
 もはや、生意気と言われるべき年齢では、ないだろう・・・。


 だからこその、自由。
 だからこその、人生・・・La Vie!・・・Ma Vie!


 ちょっと意気込んじゃって、ちょっと、それが愉しくて。

 それも、あの、今朝観た、テニス少女のおかげだろうか?

 

 闇い夜に・・・



 LOVE & LIGHT






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28 November

福岡史朗氏 & 西村哲也氏



 11月23日、勤労感謝の日。

 この週、2階で聴こえていたのはタイトかつアグレッシヴなドラムの音・・・豹が走るようなループ感・・・。
 そこに、この日はソリッドなエレキ・ギターが重ねられた。弾き人はチェリー・ルパンその人である。獲物を認めた豹が爪を立てようとしているような、ロック・ギターの餓えと即効性・・・喰らいつく瞬間は短いに越したことはない・・・或は、眠っていた山が突然目覚めるような・・・ええ、高尾山が目覚めるような・・・。
 或る映画のサウンド・トラックの制作を依頼されたチェリーの作業光景である。分単位、秒単位で映像に寄り添わせる音楽の群れ。我が家にはバイク便で映画資料が届けられるようなこともあった。時間勝負の映画作り。しかし、最終的な仕上げとして、音楽は、スタジオに入って改めて録音する段取りとなっている今回の仕事であるという。製作者側の思い入れと勢いが伝わってきた・・・この私にさえ。


 階下の私はキッチンで贔屓にしているお肉屋さんから購入してきた牛肉の包みを開く午後。
 笑いたくなるくらい、よいお肉・・・美しい色と手触り・・・栃木牛、素材はステキである・・・そのお肉で、私はビーフ・ストロガノフを作るのである。
 うっすらと浮かんでくる灰汁を丁寧にすくい、しっかり煮込み、味が整った夕刻、私は出かける準備をする。


 向かうは下北沢、福岡史朗氏と西村哲也氏のライヴ、lete。
 本番前に哲也さん、美尾さん、パスカルズのチェリストとして活躍なさりながら素晴らしい家具職人でもあられる三木黄太氏(息を飲むような素晴らしい手作り家具のお店を持っていらっしゃいます・・・人生において、人間のお仕事とは、何もたった一つである必要は、無い、と、心から痛感させていただくような!)、そして三木さんがこの日お連れになったデンマーク人の音楽家Runo氏と合流いたし、しばし喉を潤す。

 
 さて、leteはいっぱいのお客さん。ご存知のように、ここはとても小さなスペースであるにもかかわらず、この場所に出演されるミュージシャンのお顔ぶれは厳選された魅力を持つ方ばかりといった趣も多い昨今・・・その中でも、この夜の出演者のお一人である福岡史朗氏のlete歴は長い。
 私、この晩はちょっと特別(love & smile)にカウンターの中から拝見。カウンターの中というのは、楽屋であり、ステージ脇である。小さな椅子に腰をおろし、時々立ち上がったり。


 最初に福岡君。
 先月、ちょうど1ヶ月ほど前の大久保由希ちゃんのレコ発ライヴの時も、素晴らしい弾き語りを披露してくださった(この日のことは、10月末の記事として綴ってございます)。なので、今日も再び、あまりに福岡君の魅力について私があれこれ綴ってしまうと、きっと彼はクシャクシャなお顔をしながら苦笑してしまうだろう・・・。
 しかし、彼のように音楽を表現できる人は、この国には他にいないわ・・・生まれた時から知っていたように自然に、それを媚びずに遣れる人は、ただ独りしかいないとさえ感じている私である。時にアクロバティックにさえ聴こえるギターを弾きながら、あのような歌が歌える人は、一体、何処にいるかしら? 長く音楽に親しんで来られた方なら、理解することが出来るはず・・・彼の魅力を。それは一見すると人を寄せ付けないようなクールな言葉とともに表現されるのね、でも、どうしてどうして、彼の心の裡にはpassionがひしめいているわ。
 新譜『Ulalala』も発表された福岡君である。そのタイトル曲でもある”Ulalala”を聴くことができて、Risa、よかった! ・・・そうよ、この曲の間中、ステージ脇のカウンターの中からclapしていた私よ。coolなpassionに。
 福岡君のステージの最後の曲、”サン・タイガー”は、哲也さんも参加されての演奏となった。この”サン・タイガー”を演奏する福岡君の動画は、10月末日の私のpageにアップしてございます。誰もが素直に心を動かされ、微笑みたくなり、幸福を感じる、名曲、です。
 今の彼は、ステキだ・・・本当に、ステキだ・・・やはり、今日も、この溜息まじりの言葉につきる私である。


 2部は哲也さん。
 この晩は、アコースティック・ギターのしっとりとした音色と歌を聴かせてくださった。年末が近いから? ・・・いいえ、そういうわけでは、ないのでしょうね。ややアンニュイな彼の楽曲には、美しいドラマを感じる。そう、彼はドラマ的な人、ドラマティックとは、少し、違う・・・ドラマを作るように、音楽を仕上げる人でもあると、私は勝手にお見受けさせていただいているのだけれど・・・どうかしら?
 そして哲也さんという人は、ガツガツ遣ってしまってはいけない人なのかもしれない。道をゆっくり歩くように、じっくり音楽を作ることが似合う人かもしれない。分析力のある人ですもの、その時間の流れを愉しみながら音楽を想像されることでしょう。とはいえ、お酒のペースなど、とっても速い氏である。ミルクやジュースを飲むように焼酎を飲んでしまう彼は、吸収することについては貪欲な人・・・違っていたら、ごめんなさいね。
 そしてあの晩、哲也さんは、私の大好きな曲を弾き語ってくださったわ・・・嬉しい、Risa!
 彼のドラマ性と音楽が美味く絡み合った作品にはキラッとした輝きがある。こういう時、彼はセンチメンタルを装いながらも意識的である。微笑むべき彼の表現の魅力と言わせてね・・・彼は決して、ナイーヴ(このナイーヴを”繊細”と勘違いしている人がいるが違うわよ、これは”素朴”という意味)な人間ではない。で、その意識的ドラマが成功していると感じさせる楽曲を歌う時の彼の声は・・・とても心地よいわ・・・。


 ずっとステージ脇から拝見させていただいていた私は、このおふたりのギタリストさんたちの背中ばかり観ていた夜である。
 福岡君は淡々と演奏し、哲也さんは愛嬌のあるMCサーヴィスを注ぎながら。
 指は、見えない、表情も、うかがうことはできない。

 が、ギタリストの背中って、いいもんだよ。

 私は、よく、よく、知っているの・・・昔から、よく知っているのですもの・・・ギタリストの背中というものを。
 少し前屈みになった背中を斜めに走るストラップ・・・これはその人個人の、”タスキ”みたいに見えるわ。
 その背中には、その時、彼が背負っている理想が、真綿のようになって、そっと乗せられているの。
 椅子に座った彼は、考える人のような姿勢で楽器を抱くわ。
 彫刻家ロダンは、あの足を組んだ男性の顎の下に、肘をついた片手を不自然な具合に設置することで人間を表現したけれど・・・
 ・・・例えば、何かを抱いていたらそれはまた、素敵よね・・・とも感じる、女の私であったりする・・・そうね・・・ロダンの恋人だったカミーユ・クローデルが創作したら・・・”考える人”ではなくて、”抱く人”・・・なんていう彫刻をこしらえたかもしれなくてね? 思わず、その彫刻を背中から抱きしめてみたくなるような作品を。



 24時を過ぎた頃、帰宅。
 チェリーは階上の部屋で音楽を作りつづけていた。
 お水を一杯飲もうとキッチンに入れば、ビーフ・ストロガノフのお鍋の中は少し減っていた。
 お皿もビア・マグも洗ってある。シンクの中は綺麗に何も、無い。
 pretty!

 こっそり2階の仕事部屋を開けてみる。
 ギタリストの背中が、ここにも、観えるので、ある。



 福岡君、どうもありがとうございます。
 哲也さん、また、遊びに行かせてくださいね。
 ”YES”・・・私も、よい本、作ります。



 Thanksgiving-Day・・・の、今日この頃。
 七面鳥はいただかないが、心の中には、感謝の気持ちを。


 "not cold turky......"・・・よ、うふっ!



 ..* Risa *¨





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25 November

we will be guerrilla for the beauty...



 proserpina/Dante Gabriel Rossetti 


 we will be guerrilla for the beauty.
 planning in a pure valley.
 i love you who smile on the earth covered in the green.

 sometimes, delicate and imaginative soul wants to hide somewhere.
 because otherwise it breaks.
 i love you who sing in ruins where the ivy twisted around.

 we will be guerrilla for the beauty.
 breathing at the quiet innocent place.
 i love you who pray under the blue moon benumbed in the dark night.



 ..* Risa *¨



 追伸
 週末のお楽しみのことは、また後で!





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22 November

私のオルフェに・・・x



 imagination



 昨年購入したホット・カーペットを修理に出していたのだが、しっかり2週間で帰ってきた。帰ってきたとはいえ、それは新品であった。どうやら、修理するより新品の方が適当だったらしい。保証期間中である。少し得をした気分だが、やはり、2週間が必要かと思うと、何となく合点がいかないような気もする。
 カーペットは、直ったわけではなく、入れ替わった。
 そして、私の眼も、2週間で治ることもなかった。
 が、私は入れ替わったわけではなく、死んだわけでもないのである。

 と、そんなわけで、そのホット・カーペットの上でぬくぬくと本など読んでいた夜である。
 その読書の私を、居間に入ってきたチェリーが見るなり、
「可笑しな格好しているね」と、笑った。
 私はクッションを顎に下に置き、うつぶせ状態で本を読んでいたのだが、下半身はというと、左足を真っすぐにして、右足を横に投げ出す姿勢で本を読んでいた。つまり、立っていれば、左足を軸に、右足を真横に上げているポーズである。
 ・・・これが・・・本当に気持ちよいのである。
 クラシック・バレエを習っていた私は、正直、足癖があまり良くない。正座をするより、胡座の方がシックリくるし、だいたい自宅でTVなど観ている時は必ずといっていいほど、足をドウニカしている・・・ストレッチと言えばよいかもしれないが・・・回したり高く上げたり広げたりと、大変お行儀が悪い格好で観ている。
 だから当然、読書の時なども、足は必ず飛び散った格好だったりするのである。
 眼を使い、たいして良くもない頭ではあるがそれも使い、おまけに筋肉も使うという3拍子揃った状況というのは、脳を柔軟にしてくれるのである。


 ところで、読んでいたのはジャン・コクトーの作品。
 何とも暗澹とした事件や事情を新聞やニュースで知る事の多い昨今の日本であるが、詩人コクトーの水晶のような眼と愛、そして深い洞察と美に対する繊細な働きかけに改めて全身を奪われていく私がいる。彼は時に厳しい。が、非常に寛大な精神の持ち主である。アナトール・フランスよりも、ランボーよりも、ボードレールよりも、ラディゲよりも、ユイスマンスよりも・・・いいえ、それらのフランスの男性の作品は皆好きな私なのである。なので、本来は、比較などという卑しいことはしたくはない。だが、ダンディズムの人でありながらも、透明で純粋な理想を忘れない優しさを感じる。
 昨年亡くなったらしいジュリアン・グラックや、10年ほど前に亡くなったジュリアン・グリーンのような女性的とも感じられる魅力や、また神秘的な手法で作品を描く作家とは一味違うが、コクトーの言葉は、私にストレートに響くのである。
 彼の映画『オルフェの遺言』を再び鑑賞したくなった今宵である。


 そこで、今日、私が”可笑しな”格好のまま読んでいたコクトーの文章を少し引用したい。
 それは、ただの私の11月21日のこととしてここに書き留めておくだけのことだが、今後、この日を気紛れに振り返りたくなった時に「ニヤリ」とできるために記しておくのである。


「・・・私は最大の悪口と最高の賛美とを受けている。私は私の参加(=アンガージュマン)が私自身の中へのそれであって、私の外へのそれではないからという理由で仲間はずれにされている。(中略)信念を持たない外的な参加(=アンガージュマン)は許し難い行為である。私は決してそのような決心をしないであろう。(中略)私は自分が知っているか、或は十分に知っていると信じている政体(=レジーム)の中でしか、騙される事を受け入れない。深い信念を持たずに参加するコミュニストは、信仰を持たずに単なる習慣や順応主義(=コンフォルミスム)から聖体拝受するカトリック教徒と同様に、不届きである。私は右にも左にもあたいしない人間がどんな危険に身をさらしているかをよく知っている・・・」

                    『一詩人の歩み』/ 1960 より


 この文章はサルトルへの言葉であるようだが、ここだけを読むと誤解される人がいるかもしれないことを危惧して言わせていただくなら、これは、攻撃では、ない。

 詩人という自覚の中から編み出されたコクトーの信念であり、理想である。

 理解と平和的な世界を未来に視ようとした詩人のコメントである。

 コメントとは、コメントするということは、一つには、とても記号的にさえ見えるシンプルな言葉(ここには暗黙の了解にほど近い親密や親愛が込められていてお互いそれだけで頷き合える魅力がある)、或は、描写であろう。
 そしてもう一つは、受けた人間ががっかりしたり、返答に困るように感じる意見はステキではないということを前提として意識した上で遣ることに意味があるということである。
 呼応し合うなら、そういうことでは、ないだろうか?
 勿論、一方通行ならば、仕方がないが。


 素直に、私はフランスの文芸作品が好きである。
 しかし、この年齢になってくると、男性の描いた作品群もよいが、どうも、女性の作品群に惹かれることが多い近頃かもしれない。
 フランスの女性は、強い・・・(微笑)。そんなことが原因で、あの国は、結婚をしないまま男女が暮らす現実が今日でも減らず、また、離婚率も少なくないのかもしれないわね・・・。


 しかし、主義というものは解りやすいに越したことはないが、それを表すことは、解りやすくある必要もないだろう。

 というのも、解りやすいということは、何事をも解りたいと願う者だけが望む理想なのである。
 ところが、表現者いう立場の者は、決して解っていることを表したいのではなく、それどころか、解らないからこそ、そこに自分という一点をさらしながら乗り込むことを望んでいるのである。

 幾つになっても解らないことの多い私などは、その解らないということをチャームにしたいくらいである。
 いや、もはや、解らず屋というカテゴリーに入れられてしまうかもしれないが、精神はゴージャスでありたいものである。


 そんな今宵のお夕食のメニューは、名付けて『ママンのハンバーグ』とサラダ。
 この『ママンのハンバーグ』とは、私の母が私が子供の頃に作ってくれたレシピ。合い挽き肉とタマネギという組み合わせだけでなく、ニンジン、ピーマン、シイタケなども入れたもの。少し焦げてしまいそうな焼き加減でいただくと、香ばしい。ミンチと合わせる前の野菜たちはあらかじめバターでしんなり炒めてあるので(私はタマネギだけを合わせるハンバーグの時は滅多にタマネギを炒めないのである・・・カロリーを考慮してという理由もあるが、私、あのタマネギのシャリッとした甘苦い触感を生かしたくて・・・これは、メンチカツを作るときにはよい手法。でも、私はハンバーグでも同じようにするのが好き・・・特に、クリームを使ったソースで仕上げる時などは、タマネギを炒めないでミンチと捏ねた方が爽やかである)、口の中でまろやかに広がる。
 そのようなお肉料理と、生野菜というのは、私の躯にひどく馴染んだものらしい。因にサラダのソースは、タマネギのみじん切りとオリーヴオイル、酢、塩とブラック・ペッパーというシンプルなもの。
 こういう食卓だと、私は快適な健康を維持することができるらしい。太りもせず、痩せもせず、自分で味付けをするおかげで、塩分も過多にはならない。


 多くを望まず、しかし、満足する、ということの設定は、自らの年輪のごとく・・・ああ、昔よくいただいたBaumkuchenのごとく・・・。
 ・・・ハンバーグもバームクーヘンも、ドイツの食か・・・。

 彷徨ってしまったわ。

 ドイツ料理といえば、Rouladen (ルラーデン)が好きである。
 食べたくなると自分で作る料理である。
 このRouladen 、我が家の食卓を飾った時にでも綴らせていただこうかしら。


 私のオルフェに・・・x


 おやすみなさい。





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21 November

ヘイフラワー/ Heublumenのお風呂の中で・・・



 Richard Doyle/water lillies and water fairy


 while taking bath of Heublumen...


 ヘイフラワー / Heublumenとは牧草地に生きるイネ科の野草だという。
 今宵はそのバス・ソルトをお風呂に入れて長湯長湯。
 香りもよく、もう浴槽から抜け出せない、と思ってしまうくらい心地よいのである。

 このような野草が育つのも、自然の恩恵であり、その恩恵が私たちの躯や心をほぐしてくれるのである。
 そこで、そう、浴室で、何やら揺れるような気分でつらつらと・・・。


 先日の黄金の部屋の死人、という夢の印象が頭から離れず、しかし、あの光景は、私に何か新たな意識を与えてくれているようである。
 もしかしたらあの15世紀から16世紀を生きた錬金術師であり、医学者であり、魔術師であったパラケルススの魔法かもしれない・・・などと、酔っぱらったようなことを考えたくなる。
 ・・・あの死人・・・(実は女性である)・・・が、輝きながら棺から起き上がったことは、幸福の知らせなのだわ・・・だって、経帷子を身につけていなかったのですもの・・・牡丹色のシルクのドレスはお墓に入る者が纏うものではないわ・・・彼女は一度は息絶えたけれど、甦った・・・エドガー・アラン・ポーの小説(私がとても愛する物語)のワン・シーンのような場面ではあったが、ポーの作品に描かれているような闇い部屋ではなかったのね、私の夢の世界は・・・怪奇ロマンでもよかったわ、それは、夢ですもの、夢魔に取り憑かれてもそれはあくまで夢の世界。
 ・・・なので・・・錬金術を想いたくなるの・・・それから、予言とか、お告げとか、滅多に考えないようなことを招き入れても悪くはないわ・・・。

 彼女は、誰? 誰だったのかしら?
 彼女は、私だったのかも知れない・・・もうひとりの私が、この私を抱きしめようと起き上がった・・・。
 ・・・そうね、今日は、そのように感じてみましょう・・・
 錬金術に目線を向けて、私は古来の謎と摩訶不思議にパーン!と、両手を打ったわ。
 その時、右手の鳴る音と左手の鳴る音が、両者ともに、平等に聴こえると確信して。
 それを、浴室の中でやるとね、とても良い響きよね・・・お解りでしょう? あの、湯気の中の湿っているにもかかわらず、パシッとした音を・・・日本人なら、皆、知っているわ・・・右手と左手の鳴る音、そして、お風呂というメロウな時間の流れを極楽気分で味わう奥ゆかしさ・・・そこで鳴るのよ、clapが、crushではないわ。



 それからもうひとつ、Heublumenに浸りながら思ったこと。
 これは、点描のごとき英文で綴ってみようか。


 i thought while taking bath which in bath salt of Heublumen twice this evening.

 how much value is there in digging a tunnel on that mountain to make a highway?
 when it is important now to protect that nature.
 Mt. Takao......

 it was sacred mountain of the Japanese Kanto area and sometimes did the heart of the people who lived in Tokyo peacefully.
 in addition, it is the mountain which sometimes gave us power.
 it is from the eighth century that this mountain was considered to be a holy mountain.
 people has been believed that God lived there.

 in consideration of various things, it is not possible for us to be frivolous.
 for all life and the future to spend here as of now.

 please imagine that one mountain is a human body.
 if we dig the big hole there, what kind of pain is there?
 please imagine what kind of change happens there.
 we do not want to harm anything.

 now, one government is going to get faith and nature of one folklore out of order.
 it is not what is praised.

 i want to love flowers blooming there.
 i want to love butterflies and birds living there.
 i worry about the heart of people living in there.



 そして今日は、1度目のお湯と2度目のお湯の間に、或る英詩に寄り添っていたの。
 so i want to close to such one poetry.

 Christina Rosseti English Poet


   "THE SOVEREIGNTY OF LOVE"


 If love is not worth loving, then life is not worth living,
 Nor aught is worth remembering but well forgot;
 For store is not worth storing and gifts are not worth giving,
 If love is not;

 And idly cold is death-cold, and life-heart idly hot,
 And vain is any offering and vainer our receiving,
 And vanity of vanities is all our lot.

 Better than life's heaving is death's heart unheaving,
 Better than the opening leaves are the leaves that rot,
 For there is nothing left worth achieving or retrieving,
 If love is not.


 ~by Christina Rossetti


 LOVE & LIGHT





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