Archive for December 2008

29 December

星と時



 21時を過ぎた頃、外に出て、少し歩き、夜空を見る。
 天上にはオリオン座。
 そのオリオンの周囲には、黒に滲む銀の光が散りばめられている。
 遠く、遠く、その光はこの地球にいる地面の上の私の上に輝き、それは、もう、ずっと昔から変わらない。
 同じ星々の光景を眺めているが、年月はこの地上で確実に経ている。

 真上から北西に視線を移す。
 そこには、星が見当たらない。
 ぼんやりとした薄明るい、煙のような夜空があり、それは私の頭上とは別世界の空に思えた。
 その空の下には、遊園地がある。
 遊園地はもう閉まっているだろう。
 しかし、そこに見える空は、人工的な灯りの残り香のごとき霞の夜なのである。


 人間は、暗闇に危険を感じてきた・・・そうして、その闇を明るくしてみせることで、安らぎや平和、また、この冬の寒さを補うために火を焚き、暖をとり・・・暮らしてきた。
 街が、都市がライト・アップされることで活気づき、夜であっても人々はそこに集い、夜を昼とは別に楽しむという生活を培ってきた。

 これを、ひとつの文明と呼べば、麗しいこと。

 しかし、そのために、見ることのできない、小さな星たちも、存在してしまった。



 ・・・私の居る場所は夜だが、別の場所は、静かな夜ではない・・・その暗闇では無い場所で、諍いが起こっている事情がある・・・イスラエルのことを想う・・・この、12月25日を過ぎれば、問題が起こる・・・干渉の絶えない歴史を持ち、どうにもこうにも・・・私の生きている間に解決があることを望むのは、難しいのだろうか・・・?



 時は、よく流れる。
 だが、速く流れる。

 12月も、あと残すところ数日。
 12という数字、1と2。
 ワン・ツゥー、で、行ってしまう。


 振り出しの「1」に戻るためのこの一ヶ月は、短距離走者の鍛えられた足の脛のごとく、引き締まりながら、時間を蹴って、地上を行く。


 過ぎ行く一年に、命が減るような気がする昨今だが、いやいや、そうではなく、その速さにあやかる気持ちになり・・・

 ・・・そう、あたかも、嬉しい事が待っていて、そこに近づくための時間を惜しんでいるのだと、少し発想を変化させてみることにする。


 さすれば、楽になる。


 私はただ、あの暗闇に滲む星に、近づいているだけ・・・


 天上に"YES"・・・



 LOVE & LIGHT





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26 December

『硝子戸の外』のイヴ



 X'mas sheet music



 クリスマス・イヴというのは、12月24日のことではあるが、しかし、この「イヴ」とは、厳密には24日の日没後のことをさす・・・つまり、「evening」。だから昼間は「イヴ」ではないのである。

 さて、その24日の日没の頃、確かに「イヴ」になる時刻、私は白い息を吐きながら打ち合わせ場所へ。
 チェリーはこの日の午後は、マダム・ギター=長見順さんとのリハーサルである。
 お互いに帰りが遅くなっても家で晩餐をしようということになっていたので、私は昼下がりにお夕食の仕込みをしておいた。
 闇くなった道を歩いていれば、ピザ屋さんの前からパッと飛び出してくる親子連れ。スーパーの袋一杯に食品を入れた女性の姿。家々の前からは、香ばしい香りが漂ってくる。

 時刻も時刻なので、何ともお腹も空いてきそうになるが、私はまず、瓶ビールを注文した。お通しは、豆のトマト煮・・・私の作る味と似ている・・・なんて思いながら、ゆっくりグラスを傾けていた。打ち合わせの雰囲気は緩やかであるにもかかわらず、この暮れが押し迫る時期、遣るべき事はやや急ピッチにならざるをえない。先方の方は、この世界でずっと活躍されてきた方である。氏は良い作品を作りたいとおっしゃってくださっている。ほっと、嬉しくなる。

 やがて、今日はこんなところで、と、話も終わり、私は再びビールをお代わりしていたのだが、そこは酒場・・・隣のお客さんたちといつのまにか会話が始まっていた。50代半ばくらいであろうか・・・男性と、そのお連れの女性である。恐らく、老眼の話題がきっかけで話はじめたのだったと思うが、この男性は映像作家であり、N大の芸術学部で教鞭をとられている方であるという。老眼の次には環境の話、それから'60年代安保と'70年代安保のこと。
 おまけに、私とその方のお連れの女性は、気がつくと意気投合してしまっていた。というのも、彼女は「私は生まれ変わったらフランス人です」とおっしゃり、また、あのミレイのオフィーリアの絵が大変お好きらしく・・・当然、冷たい水を溜めた浴槽のモデルの逸話は了解済み、で・・・そうよ、あのオフィーリアの周りの花には、ひとつひとつメッセージが込められているのよね・・・例えばデイジーは・・・そうそうそこにパンジーがあったなら・・・で、ケシはね・・・なんて・・・とてもとても初対面とは思えないムードであれこれおしゃべりしていたのである。N大の先生はその様子を優しいお顔で見聞きなさりながら、お酒を追加されていた。
 するとチェリーから電話がある、20時過ぎだろうか? 今、西荻にいるが、21時頃にはそっちに向かえそうだ、と話している。なので、私は彼がここに到着するのを待っていた。隣の席のおふたりも、チェリーが来るのを待っているとおっしゃっている。

 そのうち、話題が或るドイツ人の英語教師のことになったと思ったら、お店のドアが開き、そのドイツ人が現れた。「メリー・クリスマス」と言いながら、生ビールを注文する彼は、Benという名である。またひとりお客が増え、賑やかになる。
 Benはもう十年以上も日本に暮らしているのだが、日本語はほとんど話せない。話せないが、言葉の意味は少し理解できるという。
 外国語を教える時に大切なのは、相手の国の言葉を出来るだけ使わないで教えることが必要なのは、私も知っている。そう、私が日本語教師をしていた時も、外国人に英語などをあまり使わず教えた。日本語を外国の言葉に置き換えて教えるのとは違うのである。それではただの翻訳であり、これは語学とは別であり、求められるのは実用なのである。
 そんなBenと私はドイツのことを話した。以前、私がドイツを旅した時に訪れた街のこと、ベルリン、ハンブルグ、ハイデルベルグ・・・バッハについてやベートーヴェン、それからビートルズのこととか。Benは私とほぼ同世代なのである。クリスマスということもあり、彼が感じる日本人のクリスマスについても語ってくれたわ・・・ですから私は私の知る、クリスマスの伝統について彼に話してみた。遠くドルイドの冬の祭りとしてやってきたクリスマス・・・大きなツリーを飾り、賑やかに集まって祝うクリスマスは、あれは、アメリカで始められたことではないかしら? 西洋の昔のクリスマスはドアに木の枝を飾り、家族で静かに祝うものだったと本で読んだことがあったけど・・・そんなこと、話ていた私だった。それについてBenが話してくれたのは、彼のアイルランド人に対する印象だった・・・彼らには独特の信仰や習慣が今も残っている・・・彼らは腕には大きなリストバンドをしていて、それにはそれぞれ模様が描かれている・・・とても濃い髭をはやし、首から肩にかけて頑丈で、髪は長いし・・・そう、赤毛だったりする・・・ドイツ人とは違う・・・・・・。
 同じ西洋人同士でも、お互い、随分違いを意識しているものなのね、やっぱり。そしてBenは穏やかな声で話すが、会話が進むうちに徐々にその語調は熱が入ってくる。

 チェリーはまだ来ない。先生のお連れだった女性は、チェリーに会って帰りたかったと言いながら、22時頃にお店を出た。
 先生とBenと私だけになった。先生の作品のことなどをうかがいながらも、更にチェリーを待つことに。あなたの作品はノスタルジックか、それともロマンティックか?と、Benが先生に尋ねる。先生は、少し苦笑していた。
 再びチェリーから電話がある。今、国分寺です、遅くなったので、このまま家に戻ります。
 あら、まっ!
 私も漸くお店を後にする。
「メリー・クリスマス!」と、挨拶しながら。

 もう23時を過ぎていた。風はさして無い晩だが、とても寒い・・・寒いのは、私はこの夜、たいして食べていないからなのである。
 携帯が再び鳴る。また、チェリーである。

「今、どこ?」と、彼。

「道を歩いているわ」

「あのさ、俺、家の鍵を持たないで出かけちゃったらしいんだよね」

 ・・・あ〜あ。

「どこにいるの?」

「家の前」

 私は、「道」を早足で歩き出した。

 我が家の前には、黒い影。コート姿のチェリーである。
 ふたりで家に入り、昼間に整えておいた料理をさっさと食卓に上げる。
 ハンバーグをジューッと焼く。
 もはや、日付は12月25日になっていた。

 
 遅い遅い晩餐、お風呂に浸かりながら、こんなことをヒョイと、思う。


 ・・・何の用事もない一日だったなら、私は家の中で、漱石の『硝子戸の中』のごとく過ごした「イヴ」の晩だったかもしれない・・・な。


 が、『硝子戸の外』も、面白い。
 偶然、行き会わせた初対面の人たちと、笑い合いながらクリスマス・イヴというものを過ごすのも、オツである。


 幸いなのは、帰る家、あっての、こと・・・か。

 
 隣家に植えられた柊に負けず、その脇から咲く、寒椿の牡丹色が眩しい、25日の記録である。

 我が家のオリーヴは、季節を知らぬ顔で通り過ぎようとしているらしい。
 歌うように、そこに、一年を通して在り、どんな風をも、臨機応変に受け入れ、高く伸びるのみ。

  
 
 PEACE & LOVE






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23 December

swingin' lete, swingin' Musashino



 Musashino

 Yoichi Aoyama & Risa Dec.212008

 pinups

 Isao Tsukamoto & Risa Dec.212008



 12月21日、朝食をとりながらNHKラジオを聴いていれば、そこから流れてくるのは、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』。
 日本ではクリスマス・シーズンや年末というと、ポピュラーなのは専ら『第九』だが、西洋では、クリスマス・シーズンはこの『くるみ割り』、そしてヘンデルの『メサイア』という具合である。
 私は子供の頃から『くるみ割り人形』が大好きで、特に「情景」に聴くことができるような、まさにチャイコフ節とも言える「ただ降りてくるだけの音階」から醸し出される美しさにうっとりしてしまう。「ドシラソファミレド」や「ラソファミレドシラ」をこれほど特別なもののように感じさせる作曲家はいないだろう・・・もっとも、その旋律だけでは確かにただの音階でしかないが、そのメロディを包み、楽曲に深みを与えるオーケストレーションが、チャイコフスキー・マジックなのであるが。

 暖かな日曜日である。
 午後からやや風も吹く。
 12月であるのに、春のような香りが漂っている。

 
 そんな昼下がり、武蔵野市民文化会館へ。leteのコンサートである。『硝子戸の中』を忍ばせ、出かける。

 出演者は、塚本功、中村まり、桜井芳樹、滝本晃司、TICA、さかな。
 皆さん、leteで長くライヴ活動をなさってきた人ばかりであり、小さなスペースのleteの空気を、このホールにも流していらっしゃった。ステージ中央に収まっているパイプオルガンの前には、さかなの西脇さんのお描きになった絵画が置かれている。その絵は、私にはどうもこの21世紀の作品には思えず、どこか18世紀から19世紀の作品のような印象があった。西脇さんが描写に仕掛けた秘密を考えたくなる・・・が、それは、今日は野暮ということで、止めておきましょうか・・・しかし、素晴らしい作品なのである。
 Rocker塚本君は、とびっきりの演奏を見せてくださった。はい・・・そうです・・・文字通り、「恋に堕ちる」ようなLive・・・「パーティーに呼ばれてやってきた」とおっしゃる彼は「アベ・マリア」(塚本君のクラシックものは実にカッコいい!)に始まり、「キャラバン」を〆に粋にステージを去った。
 まりさんのこの夜は大変素晴らしかった・・・彼女と一緒に演奏したチェリー(桜井芳樹)のギターは、女性の歌をとても上手く引立てる。私は見事だと思った。まりさんの歌声は冴えていた。そして、桜井の演奏は、彼の一面・・・キラキラした微光に似た柔和な響き・・・を披露できたのでは、ないだろうか。
 ゆったりとした時間が流れ、知った方々も会場に遊びにいらしていて、久しぶりに真人さんにもお会いし、休憩の時間にはちょこっとビールなどいただきながら、暖かい冬の風を浴びる。
 最後はさかな。息の合ったおふたりの演奏は、優しく、力強く。ポコペンさんの歌に、涙しそうになる私であった。彼女は、甘くない女性である。誤解なさらないでね・・・厳しい女性と私は申し上げているのではないのです・・・甘くなければ辛いというのは、あまりに単純な見方・・・そうではなくて・・・
 そうではなくて、ポコペンさんの物作りの在り方が、甘くない、と、私は申し上げたいのである。私は彼女の詩世界にも、非常に共感させていただいている。私の感覚ととても近い意識の流れのようなものを、ポコペンさんに見てしまうのである。例えば同じ言葉を使ったとして、それで必ずしも誰かに共感できるわけではない。というのも、その言葉を使う人の精神が「本当にその言葉通り」なのか否かが視える時が、私にはあるのである。言葉を軽々しく用いているだけの文章(詩)には、限界があり、いつかはしらじらしく感じられるようになるだろう。それに対して、その言葉を使うことで文全体に灯りがともされ、創作者の世界(頭の中)が卵が孵るようにして外に出るような作品には、生(せい)の強さがある・・・心を歌うとは、そのようなことではないだろうか。
 私は、ポコペンさんに、そんな魅力を感じる者である。


 終演後、色々な方たちとおしゃべりをしていたのだが、よくお会いする人とお話していても、何故か(勝手に)年末ムードになっている私がいた。
 撮影を担当されていた知恵さん、本当にお疲れさまでした。
 また、leteの町野さんから氏の奥様の手作り石鹸をいただいた・・・オリーヴ、パーム、ココナッツなどのオイルとラヴェンダー・パウダー、アップルFOを成分としている石鹸・・・食べてしまいたくなるような石鹸・・・ありがとうございます。年末、このステキな石鹸で、一年の穢れを落とすことにいたします。


 ここは武蔵野。
 凡そ40年前のロンドンではないが、何となく、「swingin'」な気分。



 pic1 : Me=Risa(hiding Soseki...he is being in her bag...)

 pic2 : Mr.Yoichi Aoyama & Risa

 pic3 : please to see the Mr.Bowie's "pin ups"...see (like) Bowie & Twiggy...peaceful brother & sister play...
here, swingin' Musashino...not swingin' London...and though it is not BIBA but BURBURRY.

 pic4 : Mr.Isao Tsukamoto(Rocker) & Risa



 いよいよクリスマス寒波が訪れそうな夜空に、清く向かい合う。







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20 December

愛についてのお告げ & 先日のお客様



「愛する者を持つ者は、辛さのなかにあっても、その愛する者を想うことで、いつでも心に休息を持つことができる。
 この理想的な有閑は、特権的ともいえる夢想によって引き起こされる美しき暇である。 
 しかし、そのような存在への愛無く生きる者は、ただそわそわと、忙しさのなかに生きるだけだろう」

 このような言葉が、数日前、私の夢の中に現れた。
 これを言ったのは、私自身なのか?
 それとも、枕元に立った、誰かなのか?
 それを言う声は、私の声のようでもであったが。 
 果たしてどうかしら・・・

 その科白が終えた瞬間目覚めた私は、残念にも、夢の光景を忘れていた。
 が、私はこの言葉をベッド・サイドの小さな用紙にメモをした。

 そうして再び眠りにつこうとしながらも、さっきの夢の中の言葉を唱えていた。

 ・・・あれは、もしかしたら、私に呼びかけた救世主の言葉なのかもしれないわ・・・
 ・・・しかし、未知の声ではない・・・私の声のようでもあったわ・・・
 ・・・お告げ、というものがあるというけれど・・・
 ・・・そのような神秘が、私に訪れたのだとしたら、素敵なこと・・・
 ・・・まだ闇いのね・・・明るくなっても、去らないで・・・私と共に、いて・・・

 あれは、誰の言葉?
 本当に、私の言葉?


 ・・・何やら、聖女になったような気持ちで、再び眠りについた私だった。


 


 picはMari Nakamura(left) & Risa / in my living room
 
 先日、我が家を訪れてくださったMari Nakamura嬢。
 ・・・彼女とは、ちょっぴり女同士ならではのお話で愉しいひと時を過ごしたのである・・・賢くて、真直ぐで、頑固で・・・大変魅力のある人だと感じた。


 そして、Cherry & Mari-chanは、日曜日に




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18 December

鳥と打ち合わせとパブロたちと音楽と・・・青春・・・



 昨晩から雨、朝は、冷え込みが激しい。
 珈琲を入れていると、何やら窓の外の庭先が騒がしい。そこでは冷たい雨の中を小さな可愛い鳥たちが、まるで鬼ごっこをしているように飛び回っているのね。
 シジュウカラとヤマガラだろう・・・人間の拳くらいの大きさの彼らのお腹はふっくらと。止まっては飛び、また止まり、キョロキョロしたかと思えば、再び舞い上がり。
 我が家の庭にはオリーヴが二本植えてあるのだが、それらはここ数年で随分成長し、大きな枝にいっぱいの緑色の葉を繁らせている。このオリーヴたち、少し剪定しないといけないと思いながらも伸ばし伸ばしになっているのだが、その枝の間を縫うように上手に敏捷に飛び回る鳥たちである。実は、このカラ類たち、ここに現れては、時々、オリーヴの枝にキツツキのようにコンコンと嘴を当てていることがある。その尖った小さな嘴の先が響かせる音は、とても心地よく、リズムは軽快。
 見事な遊戯と言いたい鳥たちの行動に、私の躯も暖められる。

 珈琲も入った。
 編集の作業など始める。
 お昼頃、ターンテーブルに乗ったのは、Hound Dog Taylor。"Let's Get Funky"は懐かしく、久しぶりに聴いてかなりシビレる! この人、左指、6本であるからして・・・。


 午後は所用で家を出る。
 降り続ける雨に少々辟易するが、しかし、このような冬の雨の中を歩くことも悪くはない。勿論、車で出かけてもよいのだが、あえて、傘をさして出かける。


 ・・・先方が私の原稿を読んでいる間、私は瓶ビールを手酌しながら珍味肴をお箸で遣りながら待つ。
 店内に流れているのはジャズである。
 ジャズ喫茶に通った高校時代の夕暮れなど想い出す。

 あの頃は、ビールではなく、珈琲で過ごしたものだった。
 そして、何故か、心を傷つけてみたくなるような気持ちにもなった・・・不思議と、ね。
 何の不安もなくティーン・エイジを生きたつもりはないが、重い苦悩など、はっきり言って無い年頃だろう・・・今、振り返れば。
 明日も学校か・・・かったるいわ・・・でも、サボれば悪く思われる・・・遣りたいことだけ遣れる人生がそのうち待っているわ、私には・・・だから今は、ちょっと辛抱か・・・大学に入れば少し満足な毎日になるだろう・・・何しろ音楽は好きなのだから、そして、数字や方程式からも解放されるだろう・・・まあ、少しの我慢・・・。
 そんな程度の浅い深刻に、つまらぬポーズを作りながら、ジャズを聴く。
 しかし、家に帰ればベートーヴェンを弾き、歌曲を歌い、深夜にはロック・ミュージックのレコードに針を落とす。
 英国のロックを聴きながら、クラシカルを学ぶという愉しみが、当時の私の忙しい学園生活を学園天国にしようとしていた時期である・・・屋上でトランジスター・ラジオを聴くことさえしなかったが、家に戻り、自室で流していたFEN。
 深夜に何か綴るのも、その頃からの癖となったのだろう、恐らく。

 原稿を読み終えた先方の方に、思わずそんな私の青春の風景を語っていた私であった。
「不良でしたね」と、ニヤリとなさる、氏である。
「そういうことでしょうか?」と、苦笑せざるをえない私である。
「あなたの文章を読んで僕が似たような印象を受けた女性がいますが・・・彼女がこれを書いた頃は還暦にさしかかる頃でした、外車を粋に乗り回すような人ですが、こういう人です」と、先方が言いながらその女性の書物を私に手渡した。
 ・・・ほう・・・
 ・・・私は、1940年代生まれの女性とさして変わらない部分を還暦あたりの男性に感じていただけるような文章を綴っているのか・・・しらん・・・? ・・・私って、幾つ?
 
 ビールをもうひとつオーダーしながら、意見交換しながら、何やら2時間半程の時間が過ぎる。
 遊んでいるような気分になる。
 そういえば、学ぶことも、仕事も、個人生活も、どれもさして変わらないような暮らしを続けてきたではないか、私というモノは・・・。

 
 それではまた後ほど。
 と、ご挨拶をし、お店を出る。ジャズ喫茶では、ない。よい、飲み場である。


 闇い雨の大通りを歩きながら、すれ違うのは、人間と車ばかり。
 どこを観ても、シジュウカラもヤマガラも、いない。
 
 ここは、人間だらけである・・・。

 家に帰り、遅い夕食をとる。

 床にコロンとしながら、手に届く位置に収まっている一冊の本を書棚から抜き出す。

 1876年にカタロニアに生まれ、スペインの歴史的史実であるフランコ体制の崩壊する少し前の1973年に没した世界的チェリスト、パブロ・カザルスの手記である。もうひとりのパブロ・・・つまり、パブロ・ピカソも同じ年に亡くなっている。
 この書籍は、カザルスが93歳の時の手記である。
 その手記の最初の方に、このようなことが綴られている・・・

「過去八十年間、私は、一日を全く同じやり方で始めてきた。それは無意識な惰性ではなく、私の日常生活に不可欠なものだ。ピアノに向かい、バッハの『前奏曲とフーガ』を二曲弾く。ほかのことをすることなど、思いも寄らぬ。それは我が家を清めるBenediction(祈祷)なのだ・・・・・・人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる・・・・・・・」


 朝の鳥たちと、還暦の女性の過去と、パブロたちと・・・


 そうして、今、午前4時になる頃、エルモアを聴きながら、眠りにつこうとしている私である。


 青春に、乾杯。


 LOVE & LIGHT





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