Archive for 19 April 2009

19 April

私の好きな男の顔



 こういうことをここに書いたところで、どうでもいい事だし、どこに書いても同じ事だが、今日、私は私の好きな男の顔というものが漸くわかってきたらしい。
 或る人の顔写真をずーっと眺めていた昨日、その人物は、夢にしっかり現れた。

 それはともかく、私が殿方の何が気になるかというと、まず、額の角度。これは、髪の生際から眉にかけて80度ほどの角度ですーっと直線的であると素敵だ。

 そして、髪。これは、どうも、少なめか、白髪の混じった具合が好みなのである。ロマンスグレーなどという上品な様子で必ずしもある必要はないが、どこか髪の毛というものに癖のある人がよいらしい。

 さて、次は、鼻。これは、高さの問題とは限らないが、できれば顔全体の中でこの鼻を最も主張しているらしく見える鼻の持ち主が好きだ。尖っていたり、正面から見ると長いのに、何故か微妙に曲がっていたりしたら、もう、大好きだろう。風通しの良さそうな鼻であり、しかも、特徴的かつ、あまり短くないとグッとくる。この鼻に関しては、私は父親と弟のそれを見る度に、嫉妬してきた。実にバランスよく、ど真ん中にあり、美しい。何故に私はそのようではないのか? 何か除け者にされているように感じてきたが、恐らく私は逆子で臍の緒が首に巻き付いていて呼吸すらしていない状態でこの世に現れた難産娘であったため、産まれ出流る時に、よほど鼻に負担がかかったのだろう、生きるために鼻の角度と高さを捨てたと思えば納得できた。

 そして、私は顎のしっかりした人に惹かれるとみえる。これも私に欠けているもののひとつだが・・・先に言ったように、死にものぐるいで産まれたゆえ、顎も犠牲にしながら発生したらしい私の顎は小さいのである・・・顎のしっかりした人というのは、よく咀嚼でき、咀嚼できるということは生命力も旺盛で、その生命力が旺盛ということは、意志もしっかりしている、という現れのような気がするからかもしれない。無い物ねだりである、私には、意志の力なんていうものは、存在していないのだろうな。が、決心なら、速いが。

 ここまで書くと、「なんだ、結局、欧米系の顔?」などとお笑いになる方がいるはずだが、確かにそうあるように見受けられるだろう。ここで嘘、ついても仕方がないもの。
 しかし断っておくと、私が好きなのは人間の顔であり、それは各民族の特徴というものがあるわけで、別に私は外国の男性の顔ばかりにポカーンとしているつもりはない。確かに、ジョン・レノンの鼻が好きだし、ACミランでかつて活躍したフットボール選手マッサーロの額も愛すべき額であった。ボウイーの顎は美しいし、ジャン・ポール・ベルモンドの尖ってはいないが(元ボクサーだった時に遣った)曲がった鼻も心地よい。自ら刈ってしまっているが、もっと伸ばしていたらソフトに薄いチェリーの少なめの髪も好き(空き)である・・・昔は私がカットして差し上げたものである(余談)。

 そこで、最後に何に、ドキッとくるかというと、それは、頬から口元に走る皺だったりする。
 特に顔が痩けているとか、そんな問題ではなく、あの頬から口元にかけて、縦に二本くらいの線が浮かぶ男性の表情に、恋をしたくなる、憧れる。
 それは必ずしも草臥れた表情ではない。この皺は、生まれついたものとも言えるかもしれないが、確実に言えるのは、顔の筋肉が使用されている証しとも言える。つまり、実は表情が麗しく豊かであり、それを為すための伝達能力が活発である証拠とも言おうか・・・要するに、老いによる皺では無く、表情筋を使用している結果が加齢と共に見せる姿なのだと感じるわけである、Risaは。
 唇を微笑させたアルカイックな面持ちの時にも見る事ができ、また、眩しそうに光を見る時、くだけた顔つきをしている時にも、この線(皺)が見られると、私は男と向かい合っているという女性的な安堵でそこにいられるとみえる。
 それは、心が常に変化することで起こる顔面の動きが証明していて、これは、一種の役者的作り事であったとしても、許したく、または、許され乗っ取られたくなる。演技でも、結構、即ち・・・
 この皺の魅力という意味で、俳優クリント・イーストウッドはかなり理想的である。が、今思うに、「ダーティー・ハリー」と呼ぶには、彼はハンサム過ぎただろう、クールではあったが、あの顔は、決して汚れていない。むしろ、「セルピコ」のアル・パチーノの方がよほど汚れた印象だった。要するにハリーが汚れていず、むしろ清潔感溢れる英雄を演じたからこそ、あのマグナムの残虐な穴さえ卑劣に映らず、正義に見えること・・・それを、'70年代のアメリカで絵にしたかったということに尽きる。汚れた英雄と題しながら、器量は抜群、それが、ベトナムへのひとつのアンサー・・・悪い奴は、余所の国にいるわけではなく、まさに隣人にあり、それを躊躇うことなく征伐する警官こそ、英雄で、そのことは、9.11以降、消防隊にも飛び火しただろう。「セルピコ」は、また別の英雄として描かれたが・・・逸れたわ、お話・・・毎度のこと、このおかげで、長くなるのよね、もっとはやく〆たいのに。

 が、私が昨日眺めていたのは、クリント・イーストウッドでは無い。

 彼と私はデッキで会話していたわ・・・海がそこにあり、私たちは何も食べず、何も飲まず、ただデッキのテーブル越しに座り、ほんの少しのもどかしさを感じながら、話していた。
 近くには小さな空港もあり、搭乗する人たちが集まり始めている。その中にどうやらドイツ人がいて、ドイツ語でこちらに向かって何か話しかけた。ドイツ人は、彼に向かって話しているのか私に向かって話しているのかわからないが、「もう離陸の時間だよ」と言いながらタラップを上がろうとしている。風が吹き、でも、私たちのデッキは微風。私は彼もあの飛行機に乗るつもりかしらと思っているけれど、彼は立ち上がらない。アルカイックな微笑のまま、私を見つめていた。けれども、やっと彼が口を開く時が来たわ・・・「僕らはまた会おう」・・・
 どうやら、去るのは彼ではなく、私の方らしかった・・・私は立ち上がり、デッキを後にする。
 その満足感に、私は彼に恋をしていると感じている。

 それは「wonderland」の人間で、まるで幽霊のように柔らかく、それなのに私は、私の左側に見える海と同じくらい迫ってくる存在を受けざるを得ない形で彼を眺めている。

 私が彼に感じるのは、あたかも、肉親であるような安心感だった。

 それだけのこと。

 その、それだけのことが、押し寄せては引き返し、そのくり返しをする波のように焼きつく。

 そう、立ち上がったのは、私だった。
 彼の海と良く似た色の目は、その海に沈む太陽に照らされ、眩しそうに細められ・・・私は、その甘く、眉との距離を1ミリにも近づけた瞳に吸い込まれてもいいと願った。

 ヒロイックな微笑。
 夕陽と共に、沈みそうな、微笑。

 目元か口元か。
 吸い込まれるなら、その距離を計れ。
 言葉こそなくても、人は距離がもたらす美に反応し、そこに想像を置く事で、直感を育てる。

 ねえ、あなた、あなたは、どうして私に友情を感じるの。
 きっと、私たちは、どこか似ているのでしょうね。

 野生の香りが、無重力で白熱した白痴の世界を通過する。
 そんな幾つかの空間を遣り込めた後、ビッグ・バーンが新たに生じることが、あるのでしょう。

 担ぐ物は、十字架とは限らない、過去とも限らない。

 鼻の先にうっすら見える、理解と希望。


 PEACE & LOVE

 
 ..* Risa *¨





04:19:59 | mom | No comments | TrackBacks