Archive for June 2009

27 June

サンドと刃物



 欲望・・・なんて、綴ってしまったけれど・・・


 数週間前の晴れた午後、包丁を研いでもらった。
 地元の職人さんたちのお仕事を披露する、というキャンペーンがあり、その中のサーヴィスに「包丁研ぎ」があったので、持って行って研いでいただいたのだ。もう随分研がれていなかった我が家の包丁は、それを使う私の指に時々危険を招くことすらあった。
 おかげで、何もかも速やかに切ることができ、その晩のお夕食、野菜はキャベツづくしで、お味噌汁もキャベツ。
 気のせいか、気の持ちようか、キャベツの甘さが引き出されていた。


 確かそれと同じ日のことである。
 私はジョルジュ・サンドの本を読んでいた。覗き込んだチェリーが訊く。
「ジョルジュ・サンドって、誰だっけ?」
 私は頭の後ろから聴こえたこの声に、思わず笑いながら、
「ジョルジュ・サンドは、ジョルジュ・サンドでしょ? 誰って言われてもね。どういう人かと言えば、女の作家で、ミュッセやショパンの愛人だった人よ、愛人の数は限りないけどね(笑)」
 愛人の数だけではない。彼女は、作品の数も限りない。


 ジョルジュ・サンド(・・・彼女のことは、以前にも綴ったことが何度かあったわね・・・)。
 この人は、「月を歯でとる」ことを望んだ女だった。この言葉に触れれば、あたかも飽くなき欲望、とも言えそうな表現であるが、彼女はギュスターヴ・フロベールにこのように書いたとか・・・

「幸福はただひとつしかありません。例外を愛することです。ですから私は、あなたを愛します・・・」

 例外を愛すとは、どういうことか?

「月を歯でとる」ことは、無理なことで、その無理を背負って生きるものを愛したいということであり、不可能を可能にすることに情熱を捧げるものを愛し、更には、救いたかったのだろう。

 少女の頃、彼女は馬が好きだった。修道院で学び、複雑な血筋で生まれた少女は、貴族的な祖母の価値観のもとに育ち、楽器を弾き、よく本を読んだと言われている。夜、本を読んでは、夢想し、想像し、自分の言葉で物語を書いた。友人に手紙を書き・・・そして、その友人の美しい文体の中にある優れた感性に劣等感を持ったことも、あっただろう。
 しかし、彼女の中で育まれた感性は、その友人の見事な質感以上に、成長し、続行し、実るための執拗な修練という美徳を得た。
 身体を動かすことと、家の中で夢見ることでバランスをとっていた彼女の思春期は、外の世界に向かう。
 自由という言葉を使えば簡単だが、この人の生きた19世紀、女性の自由など、余所では認められない時代。
 よって、彼女は非常に若くして結婚し、子供を産み、しかし短い結婚生活の後、離婚する。
 離婚とは明らかに「例外」的な行為だが、若くして結婚した者には有りがちな結果である。人々はそれを一種の汚名や汚点のように感じるかもしれないが、私は、必ずしもそのようには考えていない・・・というのも、精神的に離別している男女など、世間にゴロゴロ転がっていて、それを見せつけられて、「ああ・・・」と、同情するより、別離の方が切れ味がいい。しかし・・・実際に離婚するということは、結婚するよりもおぞましいエネルギーを使うことになるはず・・・要するに、愛が終わったとかなんとかではなく、利害や法が入り込むのだから、サインひとつどころの話ではない・・・

 彼女の「例外」を愛する人生が、いよいよ現実となってやってくる。
 賢い女である、が、女が立身出世することが難しい時代ゆえ、しかも、彼女には、いつも、お金がないわけで、そうなると、言い方は悪いが、捨て犬のごとく、喰らいつく必要がある。

 魅力的な女は、ここが、いい。
 恋ができるのだ。

 しかし、恋人はやはり・・・「例外」的な男ばかり・・・

 つまり、彼女が愛せるのは、世慣れたハスッパなデブの金持ちではないのだわ。
 時には、遇った瞬間、老人のような容姿の男である場合もある、神経質であったり、病に悩んだり、そんな男が多い。

 彼女が愛するのは、決まって、どこか危うい芸術家たちばかり・・・

 その現実が、彼女を更に強固にする。自分が行動することで、向かってくる困難と闘うわけである。
 そうして、これでも? これでも?・・・と、彼女は母性を彼らに注ぎつづけるが、それに限界を感じたら、彼女は去る。

「私はてんてこまいしてる。一種の詩的熱狂の歓喜の中にいる」

 彼女はこのような手紙を或る人物に書き送ったこともあった。

「・・・というご立派な世界でひとりの女が悪態をつくのを目にするのは、前代未聞のことです。ええ、そうです。これは、『ご大層な職業だ』と言いましょう。確かに、そう悪いことでもありません。そして私は自分の著書にこのような力強い形容詞を散りばめることを諦めません。それは風景の中の黒い石、枯れた一本の木、ひとつの断層です。あなたがエレガントにおっしゃるように、lapsus calami(筆の切れ目)です」

 この彼女が誰かに向けて書いた手紙の文章、私は好きだ。


 恥ずかしながら言わせていただけば、私は彼女の少女時代の逸話をとても身近に感じる。
 私は馬のいる場所に行けば、必ず、馬に乗り、子供の頃、馬の絵をたくさん書いた。現実的に、馬を自分のものにすることなどなかったが、私は、手綱を引く心地よさを愛した。乗り物は好き、でも、電車やバスを自分のものにし、皆を運ぶようなことは、できない。
 それで、車だった。
 私は幼い頃から、車の運転がしたくて仕方がなかった。
 これで、どこへでも行ける。手綱ではないが、ハンドルを握れば、私はひとりで操ることができる。しかし、間違えば事故となり、危うくなる。
 だけど、どう?
 外で動き回り、遊ぶことにも、危険があるわ・・・ただ走っていて転ぶこともあるし、誰かとぶつかって、身体の一部を損傷するかもしれない・・・鉄棒から落ちて失神するかもしれない・・・走る、鉄棒、何だって、普通のこと・・・でも、怪我をするときは、怪我をする。
 怪我を「例外」だと思ったら、それは、甘いこと。
 普通に生きていれば安全だと思うのは、何かが、欠落している考え方なのではないかしら?
 普通って、何よ? 私には、解らない。
「例外」の方が、この世には、よほど、数が多いかもしれなくてね。


 そういえば、昔、父がこんなこと、よく言ってたわ・・・それは、飛行機の墜落事故が何かと騒がれ始めた頃、私がまだ少女だった頃・・・

「飛行機事故は確かに怖いがね、見ろよ、自動車事故の方が、よっぽど多いんだぜ、怖がっていたら、どこにも行けやしないじゃないか」

 その父から、今日は不意に電話があり、少し話した。
 話したら、泣きたくなった。
 おまけに、馬鹿娘は、相変わらず馬鹿なことを父に言ってしまったのだ・・・
「長生きしてね、親孝行できるまで・・・こっちが先に死んじゃわないように、気をつけるから」
 笑いながら言ったつもりだったが、ひどく、後悔し、少し言葉に詰まった。 
 すると、しばし、父は、沈黙していたのだ。
 父は今年、78歳になった。


 ジョルジュ・サンド、72歳で死去。


 そして20世紀のフランスの女流作家、スランソワーズ・サガンは、私の父より4年遅れて生まれたが、69歳で死去。
 サガンの作品は、ほんの数冊しか読んではいないが、彼女がかなりの車好きで、一度自動車事故で重傷を負ったり、離婚、そして、破産と波乱の人生を生きたことは名高い。ちなみにサガン、こんなことを言ったそうな・・・

「破滅して、何が悪いの?」


 恐るべし、フランスの女たちである。 
 が、私は幼少期より、外国の物語世界に埋もれていたこともあるせいか、彼女たちのような声が、「例外」ではなく、「当然」のように思われて仕方がないのである。

 で、私にとってはそのような「当然」の感覚で、誰かと話ていたとして・・・

 その相手が、安全な生き方をし、安全であることがよりよき人生と信じつづけている素朴な人だった場合、相手はいきなりな私の言葉にゾッとすることもあるらしい。

 こちらは正直を申し上げているだけなのだが、どうやら相手には、私の言葉が、強烈で、あたかも地獄の誘い文句のように聴こえることもあるようで・・・

 いきなり、そこで、「例外」の札を突きつけられ、情けなくなるのである。

 いや、日本の女も、凄いのですけれどね・・・本当は。


 というわけで、女と刃物の切れ味は、良いに限る、かしら?


 さて、夢に溶けましょう。

 
 どうやら、今日も、何とか太陽の顔を拝見できる兆しが・・・朝はまず、ジャーマン風のパンと珈琲&ミルク。


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 ..* Risa *¨




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26 June

欲望



 もの凄く、欲しいものが、現れた。

 たぶん、以前から欲しかったのかもしれないが、あまり深く考えようとしなかっただけなのだろう。

 ところが、一昨日前あたりから、欲しい。

 今、この長い太陽の帯を撫でるようにして暮れていく昼間を想いながら、私、手に入れたいと感じる欲望の対象を針で刺した。
 
 ・・・本当に好きなのは、あなたではない。
 だが、あなたという印を手に入れることも、興味深い。

 ・・・私が本当に好きなのは、今日のような、晴れた日に、裸足で床をステップすること・・・早起きして、夏の気配に胸を踊らせること・・・庭を飛びまわること・・・絵日記を書くこと・・・夕刻にピアノを弾くこと・・・カレーライスをお代わりすること・・・そして、???


 そのようなことを得るためにも、或るものが欲しい。

 欲しいからには、手に入れることを目的に暮らす。

 窓を開け、誰にでも会えるように、訪れるものを拒まない。


 まだ、日は落ちない。


 愛すべき黒ユリに訊ねた。


 ・・・私にできるかしら?


 黒ユリはあっさり言うわ。


 ・・・できるだろう。


 そこで、あなたの声に従って、私はあのものを、得る。


 武士(つわもの)にならなければいけないわね。


 ようこそ、欲望。


 週末、ボヤボヤしていたら、この欲望は、オジャンになるだろう。


 私が描く世界の鍵を握るのは、あなたの魂!


 なんて、ちょっと、passionなvoix du soir・・・


 こういうことを私が書くと、"引きたくなる"方が多いことは、十分解っている。


 よって、ご容赦くださいね。


 でも、私は私なの。


 知らぬフリ、していることは嫌い。


 でね・・・知らぬフリをしている人間こそ、そんなことしているうちに、「本当の事を知る」チャンスを見失ってしまうもの。

 知っていると自負していたことは、実はもう、過ぎ去ったことで、人は、どんどん、進んでいるの。


 フィールドなのよ、この世界は。


 いつもの場所にいても、人生は列車のごとく、動いているわ。


 乗り遅れてばかりの私は、ひとつの林檎になって、揺られる、この先。


 この先?


 今は、さしあたり、その欲しいものを手に入れるべき。


 しかめっ面の美しい顔、それは、欲望。



 ..* Risa *¨





19:56:30 | mom | No comments | TrackBacks

25 June

6/21 遊ぶ、夜、MARU!



 6月21日、作業案のために勤しむ昼間。ふとハーブ入りのお茶あたり欲しくなるが、オーガニックの珈琲で過ごす。チェリーは午後からリハーサル、夜はギター・レッスンである。
 
 この晩は、去る5月23日には、私=桜井李早の著書『YES』の出版記念イベントを行わせていただいき、親愛なる私の編集者でもあられる三島悟氏がオーナーをお勤めになったMARUの最後の晩である。ライヴが行われているし、私たちも参上したいと思っていたのだが、私、食事をした後、ひどい胃痛に床の上で悶えた。こんなことは久しぶりで、さては、昨日の古い油のたぬき蕎麦がたたったのでは・・・と、思いながらも、胃薬を飲むために立ち上がる事もできない始末。・・・しばし、寝ちゃおう、そうして、目が覚めれば、落ち着いているだろう、と、静かにしていたら、案の定、少し眠れた。
 22時過ぎ、チェリーから電話があり、「MARUに向かう」という旨を伝えられたが、是非とも私も同行したい。「胃が痛くてね・・・よかったら、一度家に戻って、私を拾ってくださいな」と、言う。23時近く、吉祥寺から帰宅したチェリーである。その後、私の様子を見計らい、MARUへ。

 もうお開きかな? という時間帯だったが、どうしてどうして、ここに集う人々は、この夜が日曜ということも問題ではないらしく、宴の気配は続行されつつある・・・と、勝手に想像してしまったのだが・・・・・・

 案の定、24時近くでありながら、この店の終焉はほど遠く、語り、歌い、奏でる人多く。そして、三島氏の元気なお顔がぬっとチェリーを覗き、リクエストしてくださる。・・・ああ、何かplayすることになるのね・・・ギターはある。大活躍の岩崎君も、鍵盤の前に座っている。

 その時、ブルーズが始まった。

 チェリーはギターを持ち、もうお一人の若いギタリストさんの演奏をうかがっている。・・・俺、どこで、飛び込もうかな? ・・・そういう彼の、決して攻撃的ではないが、極めて狩猟民族的な魂が浮かぶのを、私は露に感じた。とにかく、桜井芳樹という男は、どんな場面であっても、片方において対するギタリストの表現を確かめないうちには、出しゃばらないのだね(これは、あの男の美徳と私が断言する・・・わ)。・・・そうか、そういうイメージで弾くんだね、それなら、俺、あんたにこんな風に合わせ、応えてみようかな・・・悪く思わないでくれよな、俺の弾き方を、というのも、俺は、あんたの音を聴いて、今、こんな風に弾いてみたくなっただけなのだから・・・
 チェリーの顔が緩む。酒のせいでは、ない、普段のライヴとはまた異なった、個人の彼の顔があり、遊んでいることが解る。sorry・・・身内贔屓すれば、流石! である。勿論、楽器は借り物だし、何の準備もないが、それさえ風流にしてしまい、その男が弾くフレーズは、ハッとする音だった。艶やかであり、それでも、誇りっぽく、昼間の労働を終えた後、仲間と集って脱日常になっている酒場、そのものである。
 ブルーズっていうのは、こういうもの。
 そのチェリー、演奏後、こんなことを言う、「何で、キーが"G"なんだよ(笑)?」


 09-6-22-MARU1


 些か調子が悪い私であったが、「Imagine」など、歌わせてもらう。鍵盤は岩崎君、ギターはチェリー。

 その後、このお店が閉店する気配からどんどん遠ざかるような状態で、宴は続行。マイク無しで、「流しごっこ」まで、始まる。皆、声、デカいなぁ、静まり返った周囲の迷惑もどこ吹く風、雨上がりの夜の風に吹かれている。
 そう、流しは、「一番」で、終わり、「二番」へ向かわず、次の曲に移行するべし。最初の「流し」役は建築士でもあるN氏。彼の歌は素晴しい。お次はチェリー、ギター、離さない。しかし、考え方によっては、「一家にひとり、流しさん」という塩梅はいいものですわ。
 活発な昭和30年代後半生まれの族が歌い、演奏し始める、もう、時刻は25時も過ぎる。shit(笑)! な、歌声喫茶のようであり、どこまでお前ら、昭和なんだよ! という選曲で、皆、歌う歌う、走る走る、1960年前後~1964年生まれの世代、特に東京オリンピック開催までに生まれた世代は、今や皆、兄弟である。どこで生まれ育とうと、記憶が一緒なのである。この世代は目出たいことに、自分たちが生まれる前の昭和歌謡でさえ知っているし、当然まだオチビだった頃のGS、小学校時代、中ボー時代、高校へ・・・20世紀の日本が最も華やかだった時代を幼少から思春期に体験した世代は、共有することが多過ぎる。ひばり、ブルーコメッツ、サブちゃん、西田佐知子、いしだあゆみ、フォーククルセダーズ、フランシーヌの場合、津軽海峡冬景色、麻丘めぐみ、青い三角定規、由紀さおり・・・あげくに、譜面のカタログを無造作に開いて弾き、歌い合い・・・何度も「これでお終い」と言われながらも、それを無視して、次の曲に行く、高度成長期世代の流し組は、臆面も無くMARUの窓際に集まり、開けた窓も構わず、大声で歌い奏でつづけた。個人的に、私としては、「時計」と「生きがい」、「人形の家」、「高校三年生」を合唱できなかったのが残念だが・・・三島先生をだいぶ皆で困らせてしまったかもしれない・・・やんちゃ小僧の集まりだった(笑)。
 最後は、「翳り行く部屋」あたりで、(しぶしぶ・苦笑)〆たのだっただろうか? 時刻、26時を過ぎる頃。
 いずれにせよ、恐るべし、昭和30年代後半生まれ族の根強い記憶である。帽子仲間ハル氏と手をかざし合い、ハルちゃんの素晴しく響くテナーには負けてはいられず、と、私。写真家女史の歌声の麗しさに共感し・・・体調不良など、すっ飛んだRisaだった。
 何が驚いたって、この晩の席でひょこりお会いしたのは斜向いのご主人! ご近所ではあるが、まさか、このMARUにまで出入りしておられたとは・・・ご職業は建築士であるこの斜向いのご主人である。何だか、街というものの在り方と、そこに暮らす人々の引力のようなものを感じてしまった。ということで、斜向い様、これでもう、我が家の事情、バレてしまったのね、これからも、よろしくお願いいたします。


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   左:N氏 & 右:チェリー

 
 後から乱入し、さぞやMARUにご迷惑をおかけすることになったチェリーと私であったかもしれないが、オーナー三島氏のお元気なお姿には、頼もしさを感じた。本当に、病院に閉じ込められていた人とは思えない活き活きしたご様子である(まだ、還暦なのですもの、これからが、人生です!)。奥様も、さぞや、ご心配な日々を重ねられたこととお察しするが、この晩のお顔は笑顔だった。

 このMARUは、三島オーナーの後を引き継がれる方があるようで、幸い、お店は継続されるとのことです。
 諸々の催しが行われると思いますので、お楽しみに!

 そして、三島オーナーは、ご自宅内の離宮を『茫々亭』と名付け、8月から、金土日の営業を始められるとのこと。嬉しいことに、『茫々亭』は我が家からそれほど離れていないので、週末にひょいっと遊びに出かけやすいのだ。三島離宮のお庭で、「だるまさんがころんだ」とか、「缶蹴り」している大人が増えたら、さぞや、可笑しいだろう。皆、気取らずにな、そして、そういう所から、生まれてくるものも、ある。
 人とは、遊びによって、育てられるのだ。
 とにかく、隠れ家的『茫々亭』=『MARU茫』で繰り広げられる諸々のイベントの行方も、楽しみですよ!

 たまには、素顔で豪快に遊ぶのも、よい。お調子者の私は、こういうこと、大好き! 本当に、小学校時代の教室で開かれた年度末の「お別れ会」のシーンなど想い出し、それとダブる光景だが、人とは、幾つになっても、子供のように無邪気に楽しむことを忘れられないものなのだな。・・・小学校時代は、昼下がりのお楽しみだったが、今や、夜に楽しむという、時刻の違いと、そこには、お菓子とジュースではなく、必ずお酒がある、ということだけの異なり。

 おかげで、翌22日、私の顔色は良かったようである・・・楽しかった!


 三島さんと、MARUに集った人々に・・・XXXXX


 PEACE & LOVE


 ..* Risa *¨




02:32:23 | mom | No comments | TrackBacks

23 June

6/20 試聴室その2



 チェリーの腰の具合も大分よくなり、車の運転もできるようになった。
 この日は横浜、黄金町の『試聴室その2』にて、ロンサムストリングスのライヴである。もうひとつ、ご一緒なさるのは3人の小粋なおじさまたちのグループ、ハーモニカ・ライナーズ。


 朝から陽射しもあり、久しぶりの太陽が嬉しい。横浜へ向かう運転はチェリー。私はといえば、前日、あまり体調がよろしくなかったので、帰り道の運転を担当。
 多摩川沿いの道を走っていれば、前を行くのはグレーのホンダS2000、FR、オープンカー、良い車である。乗っているのはどうも父娘らしく、助手席の娘さんはまだせいぜい中学生といったところだろうか? ほっそりした腕を頭に持っていっては、華奢な手で髪を撫でつけている。サラサラとした真っすぐな黒髪は肩より少し上のラインで揃っているらしく、その髪の色と艶で、後ろ姿だけで、彼女がまだまだ若い女性、少女と言っていい年齢であることがこちらにも解る。父親は車が止まるたびに横にいる少女に話しかけたり笑ったりしている。オープンカーというのは、このように明け透けに後ろからでもどこからでも乗っている人たちの姿を見せる。
 少女の無邪気な様子に、やはり助手席に座っている私もそのような気分になりたくなる。空を眺める。
 と、何だかそこにある空の様子は海のようで、私たちは目線より上にある水平線に向かって走っているような気がする。しかも、そこに浮かぶたくさんの白い雲はそれぞれ可笑しな形をしているのね・・・先頭は、こたつ。その後ろに、まるで座椅子の格好をした雲。次にさかな・・・列をなして並んでいる。そうして、更に遠くに浮かぶのは、フェリーに似た客船が・・・山は見当たらない。
 その後、第3京浜をほんの10分ばかり走ればもう、三ツ沢。三ツ沢を降りたところはいつも渋滞している。月に一、二度くらいの割合で横浜を訪れるチェリーは渋滞にも慣れてはいるのだろう。もうすぐ黄金町に入るという頃になると、チェリーは「ここが、ドルフィー」とか、「ここがあのグッピーだね」と私に話してくれるが、それらのお店の名を聞いていて、何となく横浜的、と感じる。


 大通りを曲がり、小さな路地に入る。ここは京急の高架下界隈。ディープな通りである。かつてこの地域を飾ったであろう<赤>い線の空気漂う初黄音商工会という名の通りに立ち並ぶ店は午後4時、ドアを開け、商売の準備を始める頃らしい。このような一画を私も幾つか知ってはいるが、これだけ広がってしまった(長く立ち並んでいる)場所というのは始めてだった。私が懐かしむのは開発が始まる前の昔の立川の駅周辺だが、ここは、その比ではない・・・しかし、興味深い。もうひとつの通りには立ち飲みの店などもあるが、当然、この時刻、もう飲んでいる人はいる。が、気になるのはもっと別の店から漂ってくる気配、「入ってみたい・・・カウンターに座って、瓶ビールなど注文したら、マダム・・・は、私に何を話すだろう・・・それとも、無言だろうか・・・そんなことはないだろう・・・」。近頃はこのような場所がどんどん都市の中から消えているようだが、それも何となく寂しい気がするのは、せめて私が昭和30年代生まれだからだろうか? 街が快適になり、美しく生まれ変わることは良いことであり、安全のためには必要なことだが、昔から、都市づくりというものには、ひとつのルール、或いは免罪的なものがあり、それは、<ただ歩くだけではない場所>という区域が設けらてきた。日本でも西洋でも同様のことがいえて、城は小高い丘か山の上などにそびえ、そのすそ野に城下の街があり、家が、商店または市場が、そして酒場が・・・と分けられるようになり、その街の外れに墓地や処刑場がある。普通に暮らす人々も或る目的により、移動する。移動の目的は子供や一般の女人は禁制である場所もあったりする。黄金町のこの区画は特殊な場所だが、言ってみれば、アジール・・・いや、聖域という言葉が相応しいかどうか、それは個人の方々の判断なので一概に私は決めつけないが、それでも、私など、これらの場所が一種のサンクチュアリとも考えたくなる。・・・あの高架下の小部屋でガタゴトと電車の走る音を聞きながら揺れた男と女がどれくらいいたか・・・そこに愛などというものを求めたかどうかなど、知らない、知らないが、そういう夢が咲き、枯れ、くり返されてきた場所・・・気高くハミ出さない事だけが人生の美徳ではない・・・汚れなき生活が人間的とも思わない・・・この地域には、この地域の掟やリズム、流れ、そして規則正しさがある。ただ、何となく在る訳ではない。ここで商売をし、生活する人々の時間割があるのだ。日々、しっかりと、或る時刻になればマカナイが作られ、その後、座る人、立つ人・・・がいた。それを思えば、規律ある暮らしなのではないか? 社会のルールを重んじるかどうかは別としても、である・・・車寅子になった時のRisaはね、そんなこと、思うわけよ。


 『試聴室その2』は、その通りに面した高架下にある。このスペースは、周囲の雰囲気と打って変わって「おや?」という佇まいで突然現れる。ガラス張り、清潔感溢れる木材の香り、『その2』以外の幾つかの部屋は、多目的に利用出来るアトリエのように設えてあり、絵を描いている人、展示の準備をしている人もいた。現代的な小さな小さな学校のように見えなくもない。


 さて、リハーサルが終わり、本番までの間、少し付近をブラッとする。チェリーはお腹が空いていないと言っていたが、私は血糖値が下がってフラフラしたくないので、何か食べておきたかった。「この辺のお店に入ってみる?」と、彼に訊ねてみたのだけれど、「俺が今日、バンマスでなければ入ってもいいけど、ねぇ(笑)」
 というわけで大通りに出て、麺類でもいただこうとお店を探すが、これが、なかなか見つからない。交差点のところに一軒のラーメン屋さんがあり、初老の女主人がお店の前に立っているのだが、暖簾は出していない。まだ準備中かと思うが、もう18時を過ぎている。私たちが横断歩道を渡っていたら、その女主人も後ろから歩いてくる。交差点の向こう側にお蕎麦屋さんがあったので、手っ取り早く、そこに入る。すると例の後方の女主人もつづいてお蕎麦屋に入ってくる。どうやらラーメン屋と蕎麦屋は親しいらしく、何かをお互い手渡したりなどし合っている。チェリーと私はたぬき蕎麦を注文する。私はお蕎麦屋でゆっくりすることを決め込むつもりのない時、暖かいお蕎麦なら大抵たぬき蕎麦を頼む。が、しかし、こんなに優れないお味のお蕎麦を店でいただのは生まれて初めてであった(一生忘れないだろうな)。それとも体調不良で私の味覚がちと変なのかしら? いや、違うわ、油が古いのね、きっと。とは感じても、何も外で必ずしも美味しい物ばかりを食べることが人生ではないだろうと思い、完食した。こういう優れないものにもかかわらず完食するというのも、また、人生だろう。『試聴室その2』に戻りながら、あの角のラーメン屋さんの前を再び通ったが、まだ暖簾が出ていない。しかし、入り口は開いていて、中のカウンターには男がふたり座っているが、食べてはいない、飲んでもいない。何をしているのだろう? 面白い街。



 ライヴが始まった。ハーモニカ・ライナーズは、'62年に結成されたハーモニカのトリオである。活動休止後40年を経て再結成されたそうだが、素晴しい演奏力だった。年を重ねるということを考えさせられる。ちなみに、クロマティック・ハーモニカ担当の方と、バス・ハーモニカ担当の方は、私の母よりも少し年上である。生き生きした演奏に目を見張りながらも、老いてなお音楽をつづけ、披露するという直面がロンサムを含む私の知る多くの同世代の音楽家の将来を想像した・・・マッカやストーンズを見れば、それはそういうもの、とは思うが、長く活動するということには、色々な状況や条件も迫ってくるだろう、そして、若さというものを過去にした時、人の生き様がバレる。このハーモニカ・ライナーズの方々の休止中のことは勿論私は知り得ぬことだが、きっと豊かな人生を送られてきたのだろう。そういう印象の音楽だった。
 ロンサムは・・・私はチェリーのコンデションを多少気にしながら聴いていたが、スペースが透明感溢れる分、音楽も透明に響いた、と、感じた。4曲でほぼ1時間弱が終了するというセット・リストだ。これは素直な持ち味を出しただろう。そう、素直な持ち味で、いいのよ。ハーモニカ・ライナーズとのセッションが最後にあってもいいのでは、という印象も無くはないが、しかし、こういう場合、お互いがお互いを遣る、という潔さは大事だと、私は感じる。人が何かを表現する時、その場において相互関係にある者同士が、必ずしも、一体化することが喜ばしいとも思えない私なのである、要するに、個人、個の存在が、今、自分が遣るべきことを遣る、それで、十分だと、思う。常に、個、が、どの角度からも潔く平然と生きる時間が大切なの。
 
 長く表現をつづけるためには、そのようなクールな感覚が必要で、結局、個人なのである。
 その個人が寄り集まった時、何ができるか、は、その時にできることであり、普段の個人が生きてさえいれば、どこで、だれと、なにを、しても、ちょくめん、しても、平然と生きられる。

 私は個人主義をウンチクできるような優れた者ではないが、個人として表現することが、好きであり、その痛いような感覚に攻撃されることも、快感である。
 しかし、この日に食べたお蕎麦屋の味よりも、優れた味を出せたら幸いだと、感じた。

 人に味わってもらう、最小限の責任は、持つべきだろう。

 だが、それでも商売が成り立ち、お客が来る、という現実があるのだ、あのお蕎麦屋が商いをつづけていられるようにね。
 お蕎麦屋の老夫婦は、間違っても悪い印象はない、普通のお蕎麦屋の構えであり、よく在る一般的なお蕎麦屋である。
 ただ、油が古く、意欲がないだけだろう・・・つづけていければ、いいのだ、ふたりにとっては、このお蕎麦屋を。


 この『試聴室その2』は、ここを訪れた人たちが読むことができる書籍を置いていらっしゃる。非売品である。

 にもかかわらず、ここの責任者の方は、特別に私の著書『YES』を販売品として、こちらに置いてくださるとおっしゃってくださった。

 many thanks!

 そのRisaの著書『YES』とは、このような本です。

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 今後、『試聴室その2』のライヴに訪れて、興味を持たれた方、是非、お手にとってみてくださいね。お問い合わせは、スタッフの方に、お願いいたします。
 


 そして、この 著書『YES』の通販のお知らせです。
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 御注文はこちらまで。

 御注文くださった方のプライバシーは、当然、厳守させていただきます。


 横浜からの帰り道は、私が運転。
 どの道も流れ、第3京浜のほんの僅かな道のりに、若い頃の思い出を重ね合わせる。
 お腹が空いたチェリー、国分寺駅北口からちょっと離れた場所にあるラーメン屋さん、『麺屋がらーじ』に寄って行こうと提案する。
 一見ラーメン屋さんというよりも、バーの佇まい(各種お酒も置いてある)のこのお店、だが、こちらのラーメンは、美味しいのだ。他では味わえないお味、普通盛りの量は深夜に食べるのに丁度良い量。私は味噌ラーメンを。8種類のお味噌を使って仕上げられたスープはコクがあり、元気になる。


 小舟のようにフワフワと、よい一日だった。

 
 ダイアリーは、翌21日の晩へと、つづく。


 LOVE & LIGHT


 ..* Risa *¨




02:46:37 | mom | No comments | TrackBacks

17 June

Tokyo Billboard/バンドネオンの夜



 TokyoBillboard


 6月14日日曜日、さて、何から書けばいいかしら? そう、前日に引き続き、腰痛のチェリーである。

 この日の現場は、六本木ミッドタウン、Tokyo Billboard。バンドネオン奏者小松亮太氏のライヴ。ゲストにはsaxの須川展也さん。

 入り時間は午前11時。もう、助手席シートを倒して乗っていられる状態ではない彼は、後部座席にて横になっている。振動さえ痛みに繋がるらしく、できるだけ穏やかに運転するdriver-Risa。
 あまりすっきりしないお天気ではあるが、朝の光はフロントガラス越しに眩しい。杉並は環八前から脇道に入り、井の頭通りに出る。その後甲州をほんの少し走り中野通りから原宿方面、そして、青山墓地内を通り抜け、乃木坂へ。
 本番前のリハーサルはすぐに始まった。入れ替え制の2ステージである。大丈夫か、チェリー・・・というのも、この日、彼はもはやまともに座ることすらできない状態。私はといえば、時間の感覚がなくなってくる。

 最初のステージが始まったのは、16時半。満席である。ステージの後ろはガラス張りの大窓となっていて、何やらホテルの結婚式を行う会場を思わせる。窓越しに見えるのは大日本帝国は港区の高層ビルの景色。その窓も、本番が始まる頃、黒い遮音カーテンで覆われる。何となく客席をウロウロしたり、ゆったりした楽屋を独占した気分でモニターを眺めたりしていたのだが、この夕刻の客層はどこか柔和な雰囲気にある。
 19時半からの2ステージ目は、なにげに客層も変わる。この時、僅かなスペースもあったので、私は客席にて、じっくり演奏を鑑賞させていただいた。
 何といっても、小松亮太君のタンゴに架ける橋は情熱の橋であり、この十数年に渡る彼のタレントぶりには感動するのであるが、ここで、ちょっと、身内意識で語らせていただけるなら、この日の演奏者には、我が"lonesomestrings"のメンバーが2名、参加していたということか・・・そう、ベーシストの松永孝義氏&桜井芳樹(チェリー)である。
 チェリーは立ち姿のまま演奏していた。赤いマーチンのエレキで彼が立ったまま演奏することは、実は近頃少ないのだが、その姿勢、なかなか潔かった。
 そして、グワッと心動かされたのは、松永さんの演奏・・・カッコイイ・・・氏は、タンゴのお仕事の長いキャリアを持っておられるが(私の先輩でもある松永さんがタンゴを演奏されていることは、私は学生時代からうかがっていたのである)、何だろう・・・生き物のような音なのである。しかも、氏の表情に浮かぶのは、氏が音楽に<完全>にのめり込み、解放と束縛を甘んじて受け入れ、そこで勝負しているような至福の微笑みなのである。
 勿論、亮太君のバンドネオンの技は素晴しく、意識の高さを実感させられる。彼は、失敗などという言葉を持ち合わせない人だろう。彼においては、演奏とは、常に、いつも、必ず、ベストを演じることであり、そのプロ意識を愉しむ姿勢なくして、現場は無い、と、いうことだろう。
 ゲストの須川さんは爽やかな雰囲気の方であるが、演奏される音は艶やかで、かつ、熱いものを感じさせてくださるパフォーマー・・・音色の美しさに、サキソフォーンという楽器がこの人間の世界において何故作られ、愛され続けたかをつくづく納得させていただいた。
 また、このライヴでのドラムスを担当された佐竹さんとパーカッションの小林さん、おふたりも、私の母校の卒業の方々・・・懐かしいお話などしばしさせていただき、楽しかった。
 ヴァイオリンの近藤譲は、兄妹のごとく、チェリーの腰を心配してくださり、ありがとうございます!

 帰りは乃木坂より外苑西から新宿通り、そして青梅街道。
 チェリーはほっとしたのか、時折眠っていた。


 で、月曜日、一度緩和されたかと思った彼の腰は、更に悪化。
 巌窟王は、医者を嫌う。これは、私も同様のことなのであるが、立場が自分でないと、おいそれと眠ってもいられない。
 いよいよ辛くなったか桜井芳樹、火曜日、病院へ(連れていったわよ!)。
 おかげで、だいぶ楽になったようである。だが、しばらく、お酒の方は、どうかしらん?
 ・・・そんなこんなの6月中旬、昨年の今頃は、私が原因不明の高熱で倒れていたっけ・・・。


 そうして私、今、7月から新たに或るサイトに連載を書く予定が入っている。
 

 LOVE & LIGHT


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