Archive for 30 January 2009

30 January

グールド真実バーンバンド名食べられないもの



 グレン・グールドのピアノ演奏による、バッハ、『PARTITAS/BWV823-830, PRELUDES & FUGUES』を聴きながら最終段階も近づくの編集に取り組む1月29日午後。

 真実が聴こえ、視えた。

 お夕食はレアのステーキ。

 グールドはやはり、私の天使だ。
 殺法である。
 市川雷蔵が演じた『眠狂四郎』の剣が円月殺法なら、このグールドのピアノは私にとって螺鈿殺法である。
 どちらも、舞う。
 そして、無闇に余計なものと関わらない。
 無頼である。
 無頼剣、無頼奏。
 しかし、惹きつけ、魅了する。


 晩餐の後、チェリーに訊かれる。
「好きな食べ物を順にあげてみて」
 私は応えた。
「1番、ステーキ。2番、お寿司。3番、ハンバーグ。4番、お刺身。5番、とろろ」。
 彼は笑っていた。
「だったら、あなたの1番好きな食べ物は、何?」と、私が訊けば、
「厚揚げ」
 今度は私が笑った。笑う私に彼が言う。
「どこで食べても、厚揚げというものの味に、特に裏切られた記憶は、ないからね」

 人それぞれ、真実があるのである。
 その真実とは、ひとつとは限らない。
 ひとつとは限らないが、その真実にも、個性が見られるものらしい。


          *


 そういえば、ディヴィッド・バーンのコンサート、こんな状況でなければ、是非観たかった。
 ふと、思う。
 バンド名というのは、案外、未来を予告しているのではないか・・・なんて。
 ローリング・ストーンズなんて、そう考えると如何にも長く続きそうな名前である。ビートルズという名よりも、ザ・フーという名よりも長続きしそうな名前ではないか。何しろ、石が転がるのは、道と坂があれば果てしなく続くのだから。何かが水をさしたりしない限り。その場限りを感じさせない名前とは、それを名乗った時の気合いを越えて、名前のおかげで長くつづいてしまうものかもしれない。
 ところで、かつて自分のバンドにトーキング・ヘッヅという名を命名したバーンの心意気も、その趣向を感じさせる。『頭』に関わるバンド名は他にもあるが、トーキング・ヘッヅという名、今日になって思うに、バーンの意志と趣向を予告する名前だったのだろう。
「・・・って考えると、解散するしないの問題とは別の視点で、バンド名って、大事よね。同じように、作品のタイトルも」と、チェリーに言えば、
「あなたはひとつ、とても大事なバンドの名前を、今、忘れているよ」と、返される。
「・・・」
「ザ・バンドだよ。これ以上の名前は、無いじゃないか(笑)」

 一本とられた。
『頭』の血が少々薄くなっているか、私。ならば、早々にお肉を焼いて、その『おつむ』に血を通わせてやらなければ、と、表面から1ミリ下は真っ赤というレアでステーキをいただく私であった。チェリーはミディアム・レア。で、このお肉、鮮度抜群にして、よく研ぎすまされたお肉屋の包丁でよい塩梅にスライスされているため、血が滴らない。健康なお肉である。脂身好きの方には、もの足りないかもしれないが。だが、生命を失っても健康である肉、とは、ステキだ。健康なステーキ。オヤジ臭い言い方になってしまったわ。

 名前や作品のタイトルをつける時には、人間の意図だけでなく、予感というものも、おおいに働いている場合もある。
 適当、や、思いつき、には、ご用心、と感じる昨今の私である。何故ならそれは、想像力の欠如がさせることなのだから。
 そして、安易であることによって、真実を見失う恐れもある。
 年齢を重ねれば重ねるだけ、ヒトは、敏感に物事や周囲に触れる必要がある。
 年齢を重ねれば重ねただけ、ヒトは、余計なことには口出しもしなくなるのである。
 欲しいのは、真実。
 "gimme some truth"と歌ったのは、ジョン・レノン。
 さて、お風呂上がりである。『Imagine』を久しぶりに聴きながら、まだ起きていられるなら作業をしてみようか。実は、この編集作業、単なる手入れや想像力の問題以外の仕事もあるのだ・・・つまり、頁の数を決めてあるので、そこに収めることを調節しているのである。勿論、この『YES』という作品は散文、詩、日記文、fairy-taleという内容が主なので、それらの小品の配列も兼ねる。音楽でいえば、mix作業をしたり、曲順を決めるような事に似ているかもしれない。私が行うのは、そこまで。後は、プロにお任せなのである。そう、マスタリングしていただき、後は製造という過程のように。
 迫ってきた感じが、いい。
 
 グールドのバッハ、真実、ディヴィッド・バーン、ステーキ・・・今朝占ったタロットは当たっていたらしい・・・24時までの間、ツイていた、確かに。

 結果、私にとっての29日という一日は、感謝に満たされた一日となって終わっていった。
 夜に生きるもの、それは、やや餓えたクールな無頼漢であり、ステキな名前のもとに活動し、老いない生き物。
 私もそのように、生きたい。

 因にこの日の(遅い)朝食は、ハムとレタスのサンドウィッチと珈琲。
 私のサンドウィッチには、マヨネーズたっぷり。
 そして、私(だけ)、乳脂肪分3.8%のミルクをゴクゴク飲んだのであった。
 

 予感と個性によって、命を得る、名前。
 
 しかしながら真実とは・・・食べることが出来ないものなのだわ・・・。

 だって、それは、屍にならず、永遠に生き続ける魔物なのですもの。


 Lotsa LOVE






03:28:04 | mom | No comments | TrackBacks