Archive for 01 March 2009

01 March

1969年夏のロンドン



 2月から3月になる頃は、毎年、バランスが崩れる。
 今は自分の本『YES』の発表にまつわる諸々のことに奔走していて慌ただしくしているが、それでも、ひとつ区切りがつくたびに、一息入れ・・・そう、その一息の時に、崩れる私のバランスらしい。
 
 28日、今日は編集者さんとデザイナーさんと共に、最後の打ち合わせ。
 製本寸前の原稿と表紙の色や細部についてあれこれ話し合う。もう、これで後は完全に製本されるわけである。『束見本』というものも、見せてもらう。編集者は私にこの『束見本』をあげる、とおっしゃってくださったが、デザイナーさんが、「これ、俺がほしい」とおっしゃり、持ち帰ってしまった(笑)。
 私もページサイズになった原稿を一旦引取り、再チェックさせていただくことに。週明けには、原稿を編集者にお返しし、氏がもう一度確認した上で、印刷屋さんへ、GO! という段取りである。
 
 バランス、崩しても、いられない。


 そんな今日この頃であるが、少し前、或る記事を目にする機会があり、その記事に何か暖かくもなり、ちょっと感じ入ったりした。
 その文章をかいつまんで(長文なので)、私流に、ここに綴らせてくださいね・・・。


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 ・・・それは1969年の英国、テムズの東側に位置する"Beckenham"でのこと・・・有名になる前のディヴィッド・ボウイーの逸話。

 当時、彼はこの"Beckenham"にガールフレンド(ストーンズの『アンジー』のヒロイン、アンジェラ/アンジー・バーネット=後のアンジェラ・ボウイーとは別の女性)と暮らしていた。地元のライヴハウスに週末になると出演し、時には"フォーク・クラブ"でも歌っていた・・・ライヴが跳ねた後、彼は地下鉄の終電に間に合わず、彼はギター・ケースと共に駅で眠ったこともあったという。

 そんなディヴィッドが中心となって企画した"Beckenham free festival"というものがあった。このフェスティヴァルの前進は"Arts Lab"というアイデアにのっとり、パフォーマンスを行うアーティストの研究所のようにして発達しつつあった。

 1969年、ロンドン・・・サイケデリックが蔓延している時代である。ボウイーは、1947年生まれ、この時、22歳である。若いとはいえ、この時代のロック・ミュージシャンは、二十歳そこそこで有名になっている者もすくなくはない。例えば、スティーヴ・ウィンウッドなど、ほぼボウイーと同じ年齢であるはずだが、ウィンウッドが音楽業界で仕事を始めたのは確か若干17歳くらいの年齢だったはず、20歳のウィンウッドは、ちょっとしたスターだっただろう。そこへいくと、ディヴィッド・ボウイーという人は、その時代の平均といういみでは、どちらかというと、遅咲きなのである。

 さて、ボウイーはこのフェスティヴァルのために、様々なミュージシャンに電話をし、出演依頼をした。今日でも著名な面々として、この年のフェスに参加したのは、ブリジット・セント・ジョン、キース・クリスマス、トニー・ヴィスコンティ等がいたという。でも、ノエル・レディング(ジミ・ヘンドリックスの"Experience"のベーシストとして活躍していたが、この'69年には脱退していた)は、事務所だかマネージャーだかの返事=「スーパー・スターは無料のフェスに参加しません」という一言で断ったという。フェスティヴァルは成功し、三千人の集客があり、しかも、平和的で暴れる者もなかった。

 この日、ディヴィッドは後に発表される彼のアルバム『Space Oddity』からの楽曲、「Space Oddity」「Janine」、「Wide-Eyed Boy From Free Cloud」、「An occasional Dream」等を演奏した。

 その彼の演奏を振り返って、ブリジット・セント・ジョンがこのようなことを語っている・・・「私はこの日のことをほとんど憶えている。それは"pagoda"のようだった。美しく、人々はリラックスしていて、太陽が燦々としていた。私は自分のセットを憶えていない。でも、私の最大の記憶は、私たちのグループの後、ディヴィッドがひとりで試みた"Space Oddity"だった。それは本当に素晴らしかった。それは注目すべきものだった」

 ブリジット・セント・ジョンの形容した"pagoda"とは、『塔』を意味するが、『釈迦の家』とも言われる。実際にはヤンゴンにある建造物だが、当時、サイケデリックの時代、東洋思想に感化される西洋人も少なくなかったので、このブリジットの形容はまことに時代的な言い回し・・・しかし、いいな・・・"pagoda"・・・ラヴェルの『ラ・メール・ロワ』の中にも「美女と野獣」とともに著名な「パゴダの女王レドロネット」という作品があるが、ステキだ。

 フェスティヴァルの当日は、バーベキュー、お茶、チベットのショップ、占星術師もいたり、アクセサリーなど、様々な屋台もあったらしい。そして、アンジーこと、アンジェラ・バーネットの手作りのハンバーガーも売られたという。

 実に、そのフェスが行われたのは8月16日だったのだが、その月、ディヴィッドは父親を亡くしていたらしい。コンサートの11日前に亡くなった彼の父親は、フェスの5日前に埋葬されたという。
 フェスに打ち込んだボウイーではあっても、その後の賑やかなパーティーには出席しなかったらしい。

 彼、ディヴィッドは、非常に真摯にこのイヴェントに取り組んだらしい。つまり進行係の役割を果たしながら・・・そして、パントマイムを奨励し、演劇的(ドラマ的)であり・・・あの『指輪物語』などのエッセンスも当時のロンドンっ子のシンパシーに触れたことであったようである。

 この"Beckenham free festival"は、その後も引き続き開催されていたが、今日、この1969年の夏に参加したミュージシャンの半数は他界しているとも言われている。

 他にももっとこのフェスに関する細かい逸話はあるが、私がここに綴るのは、この辺で十分でしょう。


 このフェスのほんの少し後のことである、ディヴィッド・ボウイーという若者が、『Space Oddity』というアルバムを正式に発表し、世界に羽ばたいていくのは。
 ボウイーが完全にスターダムにのし上がったのは、アルバム『HUNKY DORY』に次ぐ『ZIGGY STARDUST』の頃だろう(来日した頃でもある)。彼は25歳を過ぎていた。しかし、その絶頂を越えると、更なる不毛も顔を出したりするものである。

 余談であるし、以前も綴ったが、私の叔母がロンドンに留学したのは、'70年代初頭である。1951年生まれの叔母は、私と丁度12歳年が離れているが、姉のような人である。チェルシーに下宿していた彼女が思い出の道として記憶してるキングスロード・・・私もかつてロンドンを訪れた時、歩いたな・・・このチェルシーは、昔、名だたるアーティストが暮らした街として有名だった・・・叔母が'70年代に過ごしたロンドンの写真を少女の頃何度も見せてとせがんだ記憶がある・・・ブルージーンに赤いセーターにチェックのコート・・・叔母の髪は豊かで長く、生まれつき掘りの深い顔は、いつ"KitKat"のCMに現れてもおかしくない様子だった。私は彼女のように好きに自由に人生を通り過ぎてみたいと願ったものだった・・・が、そんな叔母に、今、たまに会えば、私は叱咤されることもある・・・因に私の本のデザイナーさんは、この叔母と同じ年齢らしい・・・叱咤こそされないが、パワーのある方である。


 あの1969年の自らを、彼は忘れてはいないだろう・・・ほとんど意図的に自分を設定しての発言であろうが、'70年代当時バイセクシャルと自らを名乗り(嘘である)、派手な化粧とコスチュームにキメ、グラムという名を広めた彼の心の裡にあったものは、名声はもちろんではあっても、情熱だろう。
 そして、彼は成功した後も、人々の前に現れる時に、サーヴィスを忘れなかった。
 
 ・・・サーヴィス・・・それは、媚びではないのよ・・・例えば彼は、大変謙虚であり、今日でも、空港でサインを求められればニッコリ笑って快く左手でペンを持つ。もう一つの手には、シガレットを持ってね・・・若い頃、焦りながらも、自分だけを信じることを決意した彼は、他人に対しても寛大な面がある。

 苦労するって、いいことだわ。


 そう、人生とは、咲く時期を選ばない。一度咲いても、そのままにしておけば、枯れてしまう。枯れないために、人は、栄養をとり、時に休養もとり、賑やかな場面から離れてみたりしながら、旅をする。


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 青臭いね、と言われても、私はかまわない。
 バランスをとるために、私はいつでも変貌する。
 身の回りにあること、全てに反応し、自分を立て直す・・・ずっと、やってきたこと・・・でも、それは、自分の部屋の中でのことだった・・・嘘よ・・・外側に向けても、同じ事、してきたじゃない。
 などと自問自答しながら、ああ、春ね。


 3月になる。
 この3月いっぱいで、新たに片付けてみようと思っている作業も、ひとつある、この頃。

 その前に、今日渡された原稿に目を通す事・・・何度目だろう・・・しかし、それは、私の役割なのである。
 目の前のことを遣っていくうちに、視えてくるものも、あるのね。


 さて、眠くないなら、少しだけ、最後の原稿チェック、してもいいわね、今も。


 PEACE & LOVE





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