Archive for 05 April 2009

05 April

4月2日、音楽家の昂揚



「大熊亘氏がフランク・ザッパになれない理由」、というのを、今宵のダイアリーのタイトルにしようか、なんて思ったものの、それはあまりにもご本人大熊氏にも、それから、氏を取り巻いていらっしゃる演奏者の方々にも当たり前な事柄なので、やはり止めた・・・笑・・・。
 
 そう、大熊亘氏が、ザッパになれないのは、「CICALA-MVTAのメンバーが氏の言う事をきかない」からなのである。
 氏は私とお話しながら、私がそれを言うより速く、自ら笑いながらおっしゃった、4月2日の吉祥寺スターパインズカフェのライヴ終了後にね。


 というわけで、4月2日の晩へ、面舵一杯。

 それは或る春の「夜(世)の夢」。
 今年2009年はCICALA-MVTAが結成されて15周年という年である。私は15年間、このバンドの音楽に触れさせていただいてきた。例え私の姿が彼らのライヴが行われる会場に見当たらないことがあっても、私の耳と頭と心の中には、常にCICALA-MVTAの楽曲のもたらす魅力は存在しつづけてきた。・・・チェリー(桜井芳樹)も、このCICALA-MVTAのギタリストとして15年を過ごしたことになる。
 そのようなことを想いながら、スターパインズのバルコン付近にて、知恵さんらとともに鑑賞した彼らのライヴ・・・最高だった!

 それにしても、あの晩の大熊氏のテンションは高かった・・・ライヴ開始直後から終演までの間、知恵さんと私は何度も顔を見合わせて笑わなければならなかった・・・大熊さん、確かにその晩は、いつもとちょっと変わっていた・・・もともと、変わっている男ではあるが、その変わり方に更に曼荼羅模様が入っているような・・・ここはマンダラ・グループ、当然だが。
 私ことLady-Risaは、ライヴが進行していくうちに、『寅さん』の初代おいちゃんこと、森川信になっていくことを止められなくなる・・・ええ、シガレットを持つ指の角度、口調・・・「◯◯だねぇ〜」・・・座り方・・・要するに、ご機嫌なのである。
 この晩はツイン・チューバ、関島さんに加え、ギデオン氏もおられるが、このギデオン氏が数日前にご結婚されたということも、大熊さんの昂揚に拍車をかけていたかもしれない。
 一部、目まぐるしく展開される楽曲のパワーに、私、「おいおい、寅さんよぉ〜」ならぬ、「おいおい、熊さんよぉ〜、知らねぇよぉ〜、後んなって、疲れちまってもぉ〜」。
 
 そう、今宵は彼、大熊亘氏について、少々書こう。sorry, Mr. ・・・これから綴ることはこれまでの15年間、私の心の中に仕舞われていたあなたへの親愛のカルテとでも思ってくださいませ。

 CICALA-MVTAは、大熊亘カンパニーと言ってもいいだろう。あのリンゼイ・ケンプ・カンパニーのように、彼、大熊さんが率いることによって「夜の夢」のごとき場所を展開する。リハなど聴いていると、大丈夫かしらん、と感じることもあるかもしれない、これは、『野戦の月』の音楽を皆で作り、録音する時なども同様なのだが(・・・この作業は毎回直前にスケジュールが決まり、作曲家たちは当日譜面を皆に渡し、録音ほぼ一晩か二晩で終わりになり、猛烈な楽曲が完成するが、巨大な絵巻物を太筆でグワッと全員が全身を傾けて表現するような仕組みになっている、当然、ほぼ生楽器、選択するより行うがハヤシ=囃子でシンデレラのごとく時間ギリギリまでスタジオという舞踏会場に居尽くす、大熊氏と並んで音楽仕掛人の役割を担当するチェリーも余念がないが、お二人とも、必ず最後まで居残り、"ナンだ神田"、と楽曲を実らせていくそれぞれの作業の遣り方の異なりを、出番が終わった私など、ビール片手に見物させていただいているのも愉しかったりするのである、うふっ・・・)、実際、大熊さんは、多少のんき者でもあり、何かが始まると周りが見えなくなることもあるかもしれない、しかも、何にでものめり込んでいく。氏の軌道は、生き方にも見られるし、その軌道はもはや、氏の伴侶になられたみわちゃんの生き方へと広がっている。このおふたり、お互いをしっかり迎え入れて、更に大きな輪を築き上げていかれることだろう。
 その大熊さんは、本番のステージ上では、コンダクターならぬ、アクターと化す。いや、現実には、コンダクターなのだが、お見受けさせていただく姿は、「のし歩く男優」である。壇上のメンバーは、皆、氏の合図=振り付けを見据えなければいけない。見据えるが、皆、「自由人(じゆうびと)」で在り過ぎるため、男優ならぬ男爵の命令に素直に応じない場合もあったりするだろう。そういう時の男爵が、また、素晴らしい。つまり、応じない他のアクターたちに協調し、自ら流れを作るのである。
「なぁ? 面白れぇ男だろう〜、熊って野郎は」と、ここで、森川信子=Risaは、お茶の間の相づちを賜りたい。
 
「夜(世)の夢」も、二部に入る。
 久しぶりに(私が)聴かせていただいた「道化師の週末」には、胸が熱くなる。
 まだまだ時間があると思っていたら、あっという間に終盤が近づいた。この頃からだろうか、ややステージ上はイキの好さだけではない雰囲気が現れ始めた。それは少しの疲労と人間が限られた時間の中での役を終えようとしている時の構えがもたらす合図なのかもしれないが・・・・・・ここで森川信子は、寅子となり、下手な口上などを・・・

 ・・・こんなこともあるだろう、一家揃って車で旅を楽しんできた、夕闇が迫る頃、母親は助手席から後部座席にいる子供たちに声をかける・・・「多呂ちゃん、花ちゃん、もう、お歌は歌わないのかい? え、何だって、眠くなった? もうすぐ、お家に着くよ、ほら、橋が近づいてきた、あの馬琴橋の真ん中が県境、拾った貝殻は、大事にするんだよ、何? 今夜は買ってきたアジの干物が食べたいって? そうだね、お家で待っているおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に、食べようね、アジの皮も、ちゃんと食べるんだよ、もうふたりとも、大きくなったんだから、そうして、多呂ちゃん、お家に帰ったら、おじいちゃんの肩を叩いてあげるんだよ、花ちゃんは、おばあちゃんと一緒にお風呂に入るんだよ、ああ、橋が見えてきた、安全運転で帰ろうね、お家が近くなってきたんだもの、ほっと安心ししていると、危ないからね」・・・父親は母親の脇で黙って運転している、けど、その横顔には、うっすらと微笑が浮かんでる・・・橋を渡る、県境を越えれば、あと数キロで我が家だ、垣根越しに家の灯りがみえる・・・じいちゃんばあちゃんは蛍光灯の下でTVなんぞ観ているだろう、ふたりとも黙って観ているだろう、何故というに、老人夫婦というのは、ふたりだけでいる時には口数も少なくなるもんだ・・・玄関をスルスル〜っと開ける、子供たちの不揃いな足音が廊下を走る・・・「ただいまぁ〜!」、そう言ったなり、子供たちは老人夫婦の観ているTV番組のチャンネルを無惨にも変えてしまうかもしれない、だが、その様子を眺めながらも、老人たちは笑い顔を見せ、もう、さっきまでのTVなんかどうでもよくなる・・・「楽しかったかい?」と、老婆は花子の頭を撫でる、「美味しい物をたくさん食べてきたかい?」と、老人は煙草に火をつけながら多呂を膝の上に乗せる・・・夕飯はアジの開きに蓮根の煮付け、冷や奴と青菜の浸し物、味噌汁はシジミ・・・一家の団欒はそうやって過ぎていく、そういうあたしも、そろそろお開きとなりましょうかねぇ〜・・・

                                 ~車 寅子 拝

 音楽は実りある方向へ向かい、そのため、長さも感じる事無く、アンコールへと流れていった。
 一言添えるなら、彼らの音楽は、例えば体調が優れない時などには苦しいこともあるかもしれない、というのも彼ら、癒しという文字を台本から捨てているからである。
 彼らは、旅芸人の魂を肩に背負い、昂揚の舞台を繰り広げる。
 私はだから、大熊亘氏を、CICALA-MVTAを信じる。
 

 大熊亘は、フランク・ザッパになる必要は、ないのである。
 ついでながら、個人的に惜しいと思ったこと、白状してもいいだろうか? それは、ライヴの中で、美しく耽美にして、ひとつの水の滴りが湖面に幾重にも重なる円を描くような、大熊節を聴きたかったということ・・・そうよ、それは、大熊さん独りで演奏されてもいいとさえ願う、彼の詩的な世界、短い描写・・・そんな時、他の楽団員たちは、休息していてもいいじゃないか・・・まるで、眠りの森に在るように、人々はステージ上で、眠りの民の役を演じていてもステキだと思う・・・眠りの森で、独り奏でる「流浪の音楽家」・・・やがて、眠っていたひとりが目覚め、またひとりが目覚め・・・と、次々に音が重なり合い・・・・・・その後は、想像におまかせいたしますわ・・・。
 だが、大熊亘とは、何と、人を感動させる男だろう! 
 

 最後にこの晩の会場にて、私の著書『YES』を紹介するようご提案くださった大熊亘・みわぞうご夫妻に感謝いたします。
 幸い、はばかりながら持参させていただいた書籍は完売となり、心より、皆さんの暖かいご支援に恐縮しております。

 そして、この夜は、太宰治賞作家でいらっしゃる瀬川深氏と、終演後しばしお話させていただいた。穏やかで、大変丁寧なご挨拶をしていただき、まことに嬉しかった。


 15周年のCICALA-MVTA、本当に、おめでとう!
 この私も、これからもあなたがたとともに、道を歩かせてほしい。
 今日(4月4日)は、故、高田渡さんを想うコンサートも行われた。
「景色の無い音楽は好きではない」と、生前、渡さんがおっしゃった或る夜のことを、私はいつまでも忘れられないでいる。
 そうして、大熊亘氏も、景色のある音楽をお作りになられる人である。


 タノシカラムータ。
 と、私が言えば、大熊さんは、こうおっしゃるだろう。
 ヨロシカラムータ。

 彼はつぶやかない。
 音楽家は、つぶやきなどという野暮を、好まないだろう。


 皆々さまには、このわたくしの長々しい文章におつきあいくださり、失礼いたしました。


 翌4月3日のロンサムストリングスのライヴのお話は、また明日。


 PEACE & LOVE


 ..* Risa *¨





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