Archive for 07 April 2009

07 April

4月3日、池袋/異邦人のように



 晴れ、風はやや強く、桜は満開になろうとしていた。
 この日、荷物の多い私はキャリーを引き、家を出た。
 向かうのは、池袋、鈴ん小屋、lonesomestringsのライヴ。
 我が家から池袋に行くには、高田馬場を経由して山手線外回りというのが通常なのだが、この日は別のコースを選択した。
 
 最寄り駅から下り線を利用し、西武遊園地へ。そこから、レオ・ライナーに乗り、西武球場駅に向かう。東京から一度埼玉県へ入る。とはいえ、僅かな距離(我が家の2階の窓からは遊園地の観覧車がよく見える、そして球場のドームも遠くに望む事ができる、遊園地の夏の花火、これは8月の全ての週末に見る事ができる)、この武蔵野の広陵地帯は、別荘地のような気配がある。そして西武遊園地駅界隈は、最低でも6~70坪はある住宅が多く立ち並び、郊外の有閑な光景を見ることができるのである。

 身近な場所とはいえ、子供のいない我が家は滅多に西武遊園地には行かない。が、夏はプール券、冬はスケート・リンクのご招待、そして、真夏の夜の花火大会など、季節ごとのチケットを当然のごとく西武グループからいただく。
 その遊園地の古風なジェットコースターを右手にしながら、レオ・ライナーは、球場方面へゆっくり走る。この「レオ号」、線路上を走るわけではない、路面は一見アスファルト、そこには高圧電流が流れている、車両のタイアには溝は無く、まるでレーシング車のようである。
 私は窓際、進行方向に向かって右側の席に腰を降ろす。車窓から見える桜の木々は、熟した香りを硝子越しに漂わせるがごとき。やがて現れるゴルフ場の淡い芝の緑・・・誰もプレイしている姿はなかったが、私はゴルフというスポーツ、実は案外興味がある・・・バンカーが所々にあり、割と高低の多いコースだな・・・などと余計なことを思いながら、かつて私が少女時代、叔父や父が(特に叔父は毎週末)このゴルフに興じていたことなど想い出す。叔父はかなり熱心に・・・というのも仕事がらみもあり・・・ゴルフ熱の人だった。父はスポーツマンだったので、おおよそ全てのスポーツというものをソツなくこなした。以前にも書いたが父のスキーは素晴らしかった・・・私の先生である。叔父は麻雀、将棋、落語、浪曲が好きで、父は将棋よりも囲碁、文学の人であった。そして土曜の夜など、叔父が父を呼びにくる・・・「兄さん、麻雀やらないか」・・・父はそう言う叔父のために、参加する。勿論、勝負なのだが、あえて本腰を入れるわけでもなく、呑みながらやるらしい。夜更かしの私は時々その様子を覗きにいき、「あの顔では、勝ってないな」などと思いながら戻ってくる。
 桜は随所に咲いていて、私はチンチン電車から花見をしている気分になる。
 が、それもつかの間、西武球場駅に到着する。

 ここから西所沢に出る。その後は西武池袋線で池袋へ。
 急行が来る。ひばりが丘、石神井公演、次はもう、池袋。池袋のひとつ手前の駅である椎名町には、親戚が暮らしている。最近あまり会っていないな、と思いながら、ちょっと懐かしい記憶がよぎる・・・祖母の妹である人が、よく我が家を訪れては、美味しい八宝菜を作ってくれたことを・・・もう故人である。

 
 池袋はしばらく訪れなかったが、駅前はともかく、大分様変わりしただろうか?
 三越脇を通り抜け、高速下へとキャリーを引きながら歩いていれば、外国人が多い、黒人が目立つ。ふと、ここは、どこの国か、と思いたくなる。
 さて、鈴ん小屋のビル界隈なのだが、私はうっかり(よくあることだが)、ビルの入り口と違う方向をうろつく。この辺りに建物があることはわかっていても、入り口がどの方角なのか、それを見失うこと、時々、ある、の。そこにいる白いコック姿で煙草を吹かしている男にビルの名前を言うが、彼はそのビルの名は知らない。が、「ここ」というと、「たぶんこの先が入り口」と応えてくれた。男の言葉は訛りがある、明らかにチャイニーズ系である、そう、私は昔、外国人に日本語を教えていた・・・彼のような人にも教えたことがある・・・それは池袋ではなかったが、もう随分昔のことである。そのような外国人に東京に暮らす私はビルの入り口など、尋いているのである、しかも、大きなキャリーを持ち。

 ここで漸く、この日のlonesomestringsのライヴ模様へ。
 湯川潮音ちゃんとのツアーを終えてほぼ一ヶ月、この夜は何か、自由奔放を愉しむ姿があった。桜井の弾くエレキ・ギターは、いつもの赤いマーチンではなく、Fender-Esquire、キレのあるよい音であった。アタックがよく響くせいか、久しぶりにこのギターを抱いたチェリーは、遊びたかったのだろう。
 それにしても、ベースの松永さんの演奏が素晴らしかった! 氏の表情も素晴らしかった! 音楽家の快楽の顔とは、このようなものよ・・・唇、ほころび、視線は一見譜面の方向などに当てられているが、どっこい、演奏者たるもの、そこに視線を落としているだけで、実は観ているわけではない・・・躯とイメージが動きを勝手に生じさせ、譜面は「あて」であることが精々で、本当の目は、別のものを観ているわ・・・私は彼の指の動きもうっとり拝見していた・・・そこから浮き彫りにされてくる音は、音は・・・
 ・・・ああ、このウッドベースのラインは、絶対にピアノの低音=左手=リズムでは、生み出せない調べなのよ・・・ええ、声(voice)でさえ、難しい・・・あの響きは、弦楽器の構造でなければ編み出せない魅力で、あえてそれに向かい打つために頑張っているのは、パイプ・オルガンの足だろう。それでさえ、あのようなグルーヴは出せないだろう。出せないさ、振動の具合を確かめ、それを器量としてこなし、自分の音として絶対の表現で表すのは、人間の感性とセンスと、そして何より、練習の結果なのですもの! 松永さんは、練習の人である。氏は練習のくり返しがもたらす貴い価値をよくよくご存知の方である。
 玄一さんの軽快なトークとスティールの揺れ、そして、原さんの講談師のごときバンジョー語りと軽やかな手さばき。
 ロンサムは、また、ひとつのサークルを越えて歩き出しているみたい。

 この晩、ライヴにお見えになっていらした"キリンジ”兄=Mr. T Horigome氏から、私の著書『YES』についてのステキな感想をいただいた。堀込氏は、先月『YES』をわざわざご購入してくださったのである(many thanks!!)。
 そうしてこの夜、まことに、まことに、私が、「何でわかっちゃうの?!」って、びっくりしてしまうような直球の感想を、まず、おっしゃってくださったのである。
・・・ああ、Risa、感激! 
 粋な作詞をなさる堀込お兄様である・・・やはり、流石・・・なのである。


 終電に間に合うように、チェリーとふたり、それぞれ荷物を引きずりながら池袋駅東口へ向かう。
 何故って、この時、我が家のモンデオ2世は、車検中だったのである。
 私は、さっさと歩く。並んで歩いていたチェリーの姿、横から見えなくなる。振り返る。彼は笑いながら私に声をかける。
「あなた、歩くの速いよ、でも、カッコイイ」
 東口、目の前のラーメン屋さんの屋台の前で、一瞬止まる。
「寄っていく?」
「寄ったら、終電危ないよ、今日は土日だから」
 諦める。
 この屋台、私が知る30年近く、ずっとこの場所に構えているが、主人は同じ人なのだろうか?
 いつか、食べてみよう。

 何年生きても、未だくぐったことのない所というものがある。

 世の中というものは、計り知れないことばかりである。

 異邦人のように過ごした、4月3日であった。


 ..* Risa *¨








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