Archive for 09 April 2009

09 April

世の外/view something new...



 表向き日記と称して綴っている私の長々しき夜語りだが、これらの半分はおよそダイアリーとは言えない代物である。
 陳腐に過ぎるものもあれば、少しはよく書けているようなものもあり。
 何故にそれを綴るかと訊かれたとしたら、仕方なく応えるに・・・
「古え人が、夜な夜な歌を詠んでは想いを馳せ、心を遊ばせ、明け方を恨めしく感じたと同じく・・・」
 一千年を越える過去の人々が詠んだ詩は、限りない。
 私は中学生の頃、『百人一首』を全て記憶したが、それも数えきれない和歌のうちのたったの百である。その中に選ばれなかった歌にも、どれだけ美しい詩があったかしれない。
 日本の古典を読むことに興味を持つきっかけになった『百人一首』だったが、高校に入って古典の授業が面白かったのは1年の時だけだった。理由は単純で、それを教える教師の仕事の仕方が魅力的でなかったからだ。もっと魅力的な教師に学んでいたら、私の古典に対する興味は熱しただろう。恐ろしいことだが、指導者によって好き嫌いが決まることは真実だろう。「人のせい」にしてはいけないが、「人のせい」、で、世界感が変わってしまうことがあることは、少し生きた人なら誰もが経験して確かめたことだと思う。そしてそれが、<世の中>というものの一部分なのだろうな。

 しかし、不思議なもので、和歌を百も憶えると、いちいち考えなくとも、何気に、勝手に、意味が読めるようになる。暗誦の美学とは、きっとそんなことに尽きるのだと思う。西洋人がラテン語を死語と言いながらも学ばせられると同様、日本の古典も日常語ではない。外国語を学ぶような心地で向かう必要もあるが、後、一千年もすれば、この平成の世の言葉も、未来の人々に古典とされ、疎ましく思われる可能性は十分ある。

 では、後の一千年後には、或いは疎ましく思われるかもしれないものを、どうして人は綴るのか?
 そんなことは、知らない。私とて、これらを残そうなどと思って後生大事にしているかと問いただされれば、そうではない。現に私は「ちぇっ!」と、舌を打ちたくなるようなものはさっさと削除する。そう、昨日の手記など、もう、消えた。腹は切らないが、吐き出したものは綺麗に消すことができる。掃除人である(ああ、そういえば、W・ブレイクも煙突掃除人のことを描いていたな・・・)。いくらでもこびりつく、煙突の中の黒い煤を拭うように、際限なくつづくことかもしれない。
 だから振り返り、甘い目線で撫で回したりするような余裕はない。次の掃除が待っていて、その作業は、新しい煙突で、やはりその作業場は居心地がよいとは限らず、戸惑いながらもブラシをかけ、頭を真っ黒にし、肺を遣られながらも、煙突のてっぺんまで辿り着いたなら、そこでつかの間の明け方の光景を見て一服することだけが、せいぜいであろう。そう、その昔、煙突掃除というもの、夜更けから明け方にかけて成された作業なのである。
 自分が表したものを、後に残そうなどと、それを作っている時に誰が考えるだろう? 考えて表しているなら、それは偽りの行為よ。
 今が大切なの、それを遣っている今を生きるために、それを愉しんでみることで、精神が活発に働き、「ああ、大丈夫だ、これで生き続けることができる」なんて感じるのがやっと・・・だ・・・時にふざけることもあるが。
 
 古えの歌人も、そのような気持ちで謳いつづけたのだろう。
 或る時は愛人に逢いたいがゆえ、或る時は季節の移ろいと自らの老いを惜しみながら、或る時は・・・

 或る時は、<世の中>から、脱出するために。

 <世の中>というものがあるのだから、<世の外>というものが、在る。
 そう思えば、はみ出すことを怖がる要素は確実に減る。
 どうして<中>にばかり居る義務があるだろう?
 人の心は自由にどこへでも飛ぶことができるものなのに。
 
 私はフワッと座り、ただ想像してみることしかしてこなかった。
 ところが、生意気にも、昨今のこの国の遣り方に少々疑問を持つ。
 例えば、13年間乗った車を買い替えると補助金を渡すとかいうニュースを聞いたような気がするが、それは、何だろう? 財力が衰えているといい、税金が安くなろうはずのない国が考えていることに疑惑を感じる。少子化を嘆き、妊婦診療を無料に、などと掲げても、それを行った自治体はたった一つだと聞いたが、それは私の空耳だったのだろうか? その金は、どこへ行ったのか? やはり、<世の外>なのか?

 それでは、<世の外>とは、治外法権なのだろう。
 よろしい、私は度々、そういう所へこれからも行かせていただこう。
 が、私の<世の外>は、国が秘密裏に設けているような場所ではない。
 私の知る<世の外>とは、『君よ知るや南の国』のごとき絵巻物の<世>である。
 <草>を<枕>にするような<世>・・・だわ。
 ならばそれは、sanctuary・・・? 
 asile・・・asylum・・・?
 それらの名は、<聖域>という理想に基づいているが、必ずしも、安全とは言い切れない。
 不確かな場所であり、安楽でもない。
 <世の外>も、甘くは生きられない。
 獣もいる。毒を持つ植物もいる。魔法使いもいる。妖精もいる。彼らは気紛れに変貌する。それこそ、愉しみだから。sanctuaryと考えれば禁猟区を想うかもしれない・・・しかし、ここにおいては、人間という生き物が保護されるわけではない。
 

 私には残すものなど、必要ない。
 この人生を、何とか生きるだけである。
 何とかとは言ってみても、多少、面白く生きたいが。

 男はかつて私に言った。
「あなたは、素朴でないから、いい」

 蒼い目の詩人は私に言った。
「君は兵士のシンボルだ」


 そんな言葉さえあれば、私は、いつでも<世の外>へ飛べる。
 飛んだ先で、私は大きなイグドラシルの樹に抱かれるだろう。


 view something new・・・





04:02:01 | mom | No comments | TrackBacks